大祭

「……嫌な……感じだな」

 ぽつりと呟かれた言葉に、男は敏感に反応する。自分に向けられた言葉ではないと分かってはいるが、全神経を集中させている今、どんな些細な言葉でも拾ってしまうのだ。

「どういう……事でしょう?」

「これは……嫌な予感がする、とでもいうのか……妙な風が吹いている。森に住まう妖精や小精霊達も、何所かざわめいている」

 その言葉に、男は目の前の精悍な顔を見つめた。彫の深い、整った顔立ち。年齢を重ねるとともに渋みが増し、それと比例するように眉間の皺も多く深くなってしまった、かつては「友」と呼んだ男を。

「族長様、ただいま戻りました」

 偵察に出ていた仲間達が徐々に戻り始め、男は思考を無理矢理四散させた。

 ――何故、今その様な事を思ったのだろうか。

「どうであった?」

「……矢張り族長様の仰る通りでした。森の入口の到る所に帝国人が……」

「……そうか……」

 眉間の皺を更に深めたグラティア族長ダリエスに、仲間達の視線が集まる。

「これ以上の深追いは危険だ。未だ奴等は村の場所どころか、森の入口ですら見つけられてはいない……。下手を打てば逆に此方の動きを気取られてしまう」

「……では?」

「戻るぞ。もう直ぐ決着も付く頃だろう」

 何を、とは言わなかった。しかし、その場に居た全員に、彼の言わんとする事が理解出来た。

「……折角の大祭であるのに、残念なことですな」

「全く。なんて不吉な」

 ぶつぶつと呟く仲間達を呆とみつめ、ああ、だから急に侘しい気持ちになったのかと思い至った。


 ダリエスは、昔から優秀だった。村の同世代の子供どころか、大人でさえ彼に勝てぬ者も多かった。

 落ち着いた言動、深い思想、圧倒的な強さ。彼は族長として完璧で在った。完璧過ぎていたが故に、周りからは持ちあげられ、期待され、誰からも特別扱いをされていた。

 そして、幼い頃より共に野山を駆け巡った「友」である自分でさえ、何所か彼と一線を画してしまっていた。

 そしていつからか、彼を「友」とは呼べなくなり、唯一絶対の主であるかのように追従するようになってしまったのだ。グラティア族「弐の戦士」である自分でさえそうなのだから、他の人間に彼と「対等」であれなど無茶な話である。

 そうして幼い頃より重圧に耐えしのんできたダリエスであったが、彼が伴侶を迎えた事で、その重圧を少しでも分かち合う事が出来ればと願っていた。幸い、と言うべきか、彼の妻となったのは元神子だった。族長、賢者(オストロ)と並び、村の未来を担う一端である神子なのだから、族長たるダリエスを支えるに充分だと思っていた。実際にどうであったのかは他人である自分には分からないが、少なくとも妻子を得た彼の表情は若干ではあるが柔和と呼べるものだった。


 しかしその彼女も数年前に他界し、再び彼は重い荷物を一人で背負わなければならなくなってしまった。眉間の皺が増え、護る者が増え、彼の一人の肩で支えるには重すぎる責務を、肩代わり出来る者はもう存在しないのだ。


 ――彼はもう限界だ。これ以上荷物を増やしてしまえば、潰れてしまう。それに気付いている人間が、果たしてどれ程いるのだろうか。

 ダリウスならば大丈夫。ダリウスに任せておけば大丈夫。そうやって頼り切って全てを押しつけて、彼一人に重責を背負わせてきたのは自分とて同じなのだ。今更それに気付いたとて既に遅きに喫している。


 ――何故、急にこんな事を思ったのか。それはきっと、今頃行われている筈の大祭の所為であろう。

 何事もなく終われば、次期族長はアスティンとなる。同じ年頃の仲間達の中に、彼に勝てる者はいない。――唯一彼の対抗馬と成れる男は、大祭に参加していない。

 アスティンは浅慮で悋気を起こしやすくまだまだ子供の様だが、人を引き付ける力は過分にある。幼少の頃より、彼の周りには人が集まり、常に仲間達の中心に居た。幼い頃より圧倒的な存在感で人の上に立っていたダリウスとは正反対とも言えるが、だからこそ、アスティンはダリウスとは違う道を歩める筈だ。

 何より、アスティンよりも強い存在が常に彼の隣に在ってくれるのであれば、アスティン1人に重責を背負わせる様な事もないだろう。アスティンが猪突猛進に突き進もうとしても、彼と、そして妹であり神子でもあるクレアが止めてくれる筈だ。


 これで、ダリウスの荷物が少しでも軽くなってくれればいいと心から願う。

 彼一人に重責を負わせた時点で、自分には彼の友人を名乗る資格を失ってしまった。自分は対等な「友人」ではなく護られるべき対象となってしまったのだから。だからこそ、願う事しか出来ない。

 それでもかつては「友」であった男の幸せを望む事くらいなら赦されるであろう。


 ――アスティンは、同じ道を歩まなければよいが……


 そっと溜息を吐くと、男は静かに仲間達の背を追った。



 ※ ※ ※


「クレア」

 名を呼ばれたクレアは、魔法の終結を見届けてからゆっくりと振り返った。

「フランツ、どうしたの?」

 その問いかけには答えず、クレアの目の前に座って居た男を睨めつけた。

「……その程度の傷、魔法を使うまでもない。手当だけで充分だろう。……神聖なる大祭で、怪我を理由に近付こうなんて罰あたりなやつだな」

 フランツの瞳に揄いの色を見つけ、男は頬を赤らめた。

「い……いや、別にそんなあれじゃなくてだな、この隙にお近づきにどうこうとかじゃなくてだな……!!」

 慌てている所為か、己の思考全てを暴露してしまっている事に気付いていない。きょとんとしているクレアを視界の端に収め、フランツはふうと溜息を吐いた。

「全く……気付かないクレアが鈍感なのか、誇り高きグラティアの戦士が情けないと言うべきか……」

 額に手を当て、本気で嘆かわしそうに呟くと、男は顔を真っ赤に染めたまま、そそくさと立ち去った。

「……フランツ?どうしたの?」

 きょとんと自分を見上げるクレアに、思わず微苦笑が零れ落ちる。

「……あの程度の怪我、治癒魔法を使う程のものじゃないよ。……あまり魔法を使い過ぎるのもよくない」

「でも、血が出ていたし、とても痛いって言っていたし……」

「誇り高きグラティアの戦士が、あの程度の怪我で音を上げる筈がないだろう。単に甘えて居るだけなんだから、放っておけばいいんだ」

 釈然としない顔をしているクレアを見つめ、さて後何人情けない戦士が来る事やらと頭を抱えたくなった。

 

 クレアは可愛い。それは誰の目から見ても一目瞭然だ。雪の様に白い肌に、くりくりとした大きな眼。整った目鼻立ちに、絹の様に柔らかな髪。年頃の男達の中で一番人気がある事は間違いないのだが、クレアが「神子」という神職に就いている所為で、気軽に話しかけられないのだ。勿論、口説こうなんて以ての外だ。

 だからこそ、こう言った機会があれば、少しでもお近づきに……なんて考えを持ってしまうのも、まあ無理らしからぬ話ではあるのだが。


「それよりフランツ、何か用事があったのではないの?」

「ああ、そうだった。――クレア、族長様達は今どちらに?」

「お父様?そう言えばどちらに行かれたのかしら」

 言われてみれば、次期族長を決める神聖なる大祭に現族長の姿がないというのもおかしな話だ。

 クレアの答えを聞いて、フランツの瞳が鋭く光った。

「……フランツ?」

「族長様だけではない。戦士達の姿も見えない」

「!!まさか!!」

 慌てて周りを見渡すが、確かに戦士達の姿が見当たらない。

「大祭は、次期族長を決める大事な儀式であると同時に、次代の戦士を決める為の大切な選定の儀でもある。其処に族長様や現戦士達の姿が無いというのは明らかにおかしい」

「まさか、何かあったというの?」

「分からない。だからクレアに訊きに来たんだ。……何か、族長様やオストロ様に聴いていないの?」

 クレアはまだ幼いとはいえ神子だ。政治に関する話し合いにも当然参加している。只の村人である自分に詳細を話せないのは仕方ないにしても、何か心当たりでも、と思ったのだ。

「いいえ。何も……」

 ぷるぷると首を振るクレアを見下ろしさてどうするかと思案し始めるが、突然の大声で思考が霧散されてしまった。

「フランツ!!」

 振り向くと、きらきらと瞳を輝かせた年下の少年が駆け寄って来た。

「アスティン」

「お兄様」

 2人の声が重なる。ある意味今一番会いたくない人間が来てしまい、クレアの心臓が激しくなった。

「フランツ!!運の良い奴だな。未だ俺達は当たっていないと言う事は、決勝で闘う事になるだろう!!」

 びっと剣を付き付けると、アスティンは宣戦布告をした。

「いいか、俺は絶対にお前を倒す!!だからお前も俺と当たるまで負けるんじゃないぞ!!」

 アスティンは、フランツが大祭に参加していない事を知らない。アスティンだけでなく、他の参加者達もその殆どが知らない。それなのに、彼に勝つことだけを考えて必死に修練に明け暮れていた姿を知っているだけに、クレアは胸が苦しくなった。アスティンを軽くいなしているフランツに、非難がましい視線を向ける。

「お兄様が、可哀想だわ」

 アスティンが立ち去ったのを見届けて、クレアは思わず呟いた。

「仕方がないさ。俺には参加資格が無いし、事前に言ったらアスティンが動揺して調子を崩してしまう恐れがある。……当日に成ってしまえば、もう誰にもやり直しは出来ない」

 もう、何度も繰り返した問答だった。「そんな事はない」「そんな事誰も気にしていない」。誰が何と言おうと、フランツが己の言を覆す事はなく、クレアも上手い言葉が出て来ない。それでも何かを言わずにはおれず、口を開いた瞬間だった。フランツの硬い声がクレアの言葉を遮った。

「……おかしいと、思わないか?」

「……え?」

「アスティンは、オストロ様になんて呼ばれている?」

「どういう……意味?」

「アスティン様、オストロ様はそう呼んでいる」

「ええ。それが?」

「これはどう考えてもおかしいんだよ。現族長であるダリウス様でさえ、『ダリウス殿』という敬称で呼ばれていらっしゃるのに、何故次期族長ですらない、只の族長候補であるアスティンに『様』なんて尊称を付けているんだ?」

「あ……」

 そう言えば、と思い至る。自分も『クレア様』と尊称で呼ばれている為あまり気にした事が無かったが、言われてみれば確かにおかしい。

「クレアは神子だから、当然なのかもしれないけれど――でも、アリエス様もそうではなかった。何故グラティアの賢者であるオストロ様がアスティンを丁重に扱うのか……」

 何処か遠くを見つめていたフランツが、確りとクレアを見つめた。

「多分、特別なんだ。アスティンと……そして、クレア、君も」

「わ……たし、も?」

「歴代の中でも特に秀でた能力を持ち、生涯を神に捧げるとさえ思われていた神の愛し仔アリエス様は、その神の命により、族長であるダリエス様に嫁がれた。……これは、偶然なのかな?」

「フランツ?」

「……なんだかね、アスティンを族長に、という神の思し召しの様にも思えるんだ。精霊王アストール様の末裔というだけではなく、君達には何か特別なものがあって、特別故にアスティンを族長にしなければならない……そんな気がする」

 クレアは絶句してしまった。何て事を考えているのだろうか。あまりにも現実離れし過ぎていて、彼の壮大な妄想にしか思えない。しかし、それは何処か的を射ていて、確かにそうなのだと頷いてしまいそうにもなる。

「まあ、只の考え過ぎ、なんだろうけどね」

 小さく微笑むと、フランツは村の様子を見てくるよと言って立ち去った。

 残されたクレアは、只呆然とその背中を見送った。



 ※ ※ ※


「勝者、アスティン!!」

 突き付けていた剣を引くと、アスティンは小さく息を吐いた。

 ――もう直ぐ。もう直ぐで、フランツと戦えるのだ。


 ずっと、この日を待ち望んでいた。


 遥か高みに存在しているあの男と真剣に勝負できるこの機会を。

 いつものらりくらりとかわされ続け、本気の彼を見た事が無かった。しかし、誇り高いあの男が、神聖なる大祭で手を抜くような真似をする筈がない。

 ふるり、と小さく震える。対戦相手と握手を交わすが、力が入り過ぎてしまい、相手が盛大に顔を顰めた。しかしアスティンの気持ちが分かる少年は文句を言う事もなく、「頑張れよ」と小さく呟いた。お互いの健闘をたたえ合うと、互いに背を向け退場をする。

 割れんばかりの歓声に答えながら、アスティンは只、その時を心待ちにしていた。




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