兄妹~クレア~
「お兄様、お兄様~!」
鈴の音の様な愛らしい声が響く。
「もうっ!何処へ行ったのかしら……」
可愛らしい頬をぷうっと膨らませて呟くと、背後からくすくすと笑声が漏れ聞こえた。
「っ!!フランツ!?何時から其処に……」
驚いて目を見開くと、未だ笑みを抑えぬまま、美貌の青年が軽く手を上げる。
「やあ、クレア。君の声が聞こえてきたから来てみたんだけど……何だか懐かしいなって思って……」
「……懐かしい?」
「ああ。昔、アリエス様もそうやってアスティンを探していたなって思ってね」
「お母様が?」
「うん。母娘揃って同じ事をしているなって。……それとも、変わらぬアスティンが成長していないって事なのかな」
くすくすと楽しげに微笑みながら、目の前の少女を眩しそうに見つめる。
彼女は本当に、母であるアリエスに似てきた。顔だけでなく、仕草や雰囲気まで。ふとした瞬間に彼女と重なるのだ。母娘であると同時に、クレアもアリエスも同じ神子なのだし、矢張りどうしても似てしまうものなのだろう。
「フランツは、お兄様がどちらへいかれたのか、知って居るの?」
「多分ね。いつもの所じゃないかな。でも、暫くは放ってあげて欲しいな。――大祭が、近いからね」
その言葉にはっと見上げると、目の前の美貌の青年は穏やかに微笑んでいた。――まるで他人事のように。
「……フランツは、参加しないの?」
「しないよ――出来る訳が無い」
そんな事ない、と口にしようとして、ゆっくりと呑みこんだ。「そんな事はない」それは誰もが思っている事だし明白な事実なのだが、当の本人がそう思い込んでいるのだから仕方がない。今自分が此処で指摘した所で、何の意味もないのだ。
「……お兄様は、屹度残念がるわ」
代わりに口にした言葉に、フランツは楽しそうに笑った。
「ものは言いようだね。残念を通り越して烈火のごとく怒り狂うだろうなぁ」
「それが分かってて何故!!」
「アスティンと剣を合わせる機会なんて何時だってあるさ。明日だろうが明後日だろうが……それこそ今直ぐに剣を持ってきてもいい。――でも、それは神聖な場でする様な事じゃないだろう?」
フランツの、何所か有無を言わせない強い瞳がクレアの言葉を奪ってゆく。彼は矜持が高い。グラティアの戦士であることに誇りを持つが故に、己の言を曲げる事はないのだろう。
「……私は、貴方と結婚するのだと思っていたわ……」
「それは……神子としての言葉かい?」
彼の言とは思えない程の硬質な声に思わず顔を上げると、彼は温和な微笑みを消し、まるで責める様な強い眼でクレアを見つめていた。
「いいえ……託宣ではないわ。……只、そう思っただけ……」
俯き、消え入るような小さな声で続けるが、彼は容赦しなかった。
「不用意な発言は慎むんだ、クレア。君は神子だろう?神子の言葉は時に族長よりも重い。君の只の気まぐれの発言が、神子の言葉として村全ての指針となる事もある」
分かっているだろう。責めるように言われ、クレアはますます俯いた。
分かっている。神の言葉を伝える神子として不用意な発言は避けなければならないし、己の欲を優先させぬ為に、幼いころより隔離され世俗に塗れぬように厳しく躾けられてきたのだ。
――しかし、神子としての発言でなくても、神の託宣を受けなくても、こんなに明らかな事はないのに……。
普段は温和で、声を荒げることも感情を表に出す事もないフランツだ。項垂れる少女を追い詰める様な真似なんて絶対にしない。そのフランツがこれだけ怒って居るのは、クレアが神子として相応しくない言動をしたこと、そしてその何気ない言葉により、村全体を巻き込んでしまう恐れがあったからだ。誰よりも誇り高いグラティアの戦士だからこそ、村人達を護るという意志も強い。
そんなフランツだからこそ、次期族長足るに相応しいと思うのだが、誰よりも何よりもフランツ自身がそれを認めない。
重苦しい空気を変えようとしたのか、フランツは器用に片眉だけを上げ、悪戯っぽく笑った。
「それともクレアは俺と結婚したいの?」
じっと美貌の青年を見つめ、そしてぷるぷると首を振った。
「いいえ。貴方の事は好きだし、結婚してもいいとは思っているけれど……したいかどうかと聞かれたら……多分違うと思うわ」
「そうはっきりと言われたら傷つくなぁ……でも、ま、俺も同じくってとこだね」
全く傷一つ付いていない口調で続ける。
「クレアの事は勿論大好きだけど……どちらかと言うと妹の様なものだからね。妻としては愛せるかもしれないけれど、恋人になりたいとも思わないし、別段結婚したいとも思わないな」
だからこの話はお終いとばかりに微笑まれ、クレアは二の句が告げられなかった。彼女としても、これ以上重苦しい沈黙には耐えられない。折角フランツが変えてくれた空気を再び戻す気にはなれなかった。
* * *
クレアが神子となって早数年――彼女は、立派に「神子」としての役割を果たしていた。
幼いころより神殿にて神子教育を受けていた彼女であったが、8歳になり、神の御許を離れて直ぐに正式な神子となった。クレアにとって、神子として生きる事に何の苦もなかったし、それで満足もしていたのだが、それでも何かが足りないと心が訴え掛けてくるのだ。
理由は何となく想像が付いている。
幼い頃に兄と共に足を踏み入れた禁域――
何故か兄は忘れているようなのだが、クレアにはどうしても忘れる事が出来なかった。
時が経つにつれ、まるで靄がかかったかの様に記憶が不鮮明になってゆき、聞こえてきた声も眼にした内容も今となっては何一つ覚えてはいないのに、それでも誰かを――何かを強く渇望し、心の底から求めた事だけは覚えている。
あの焼け付く様な強い感情の理由も名前も知らないけれど、それでもクレアにとって忘れられないものとなり、クレアの心に何かを残した事だけは確かだった。
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