兄妹~アスティン~

「行ったぞ~っ!!」

 仲間の声が聞こえ、複数の足音がそちらへ向かうが、自分は敢えて遠ざかった。

 そっと目を伏せる。複数の気配――これは仲間のものだ。それらからやや離れた所に感じる気配。進行方向から考えて、先ず此処で間違いない。

 必死に走る荒々しい足音、葉の擦れ合う音。全神経を集中させ、委細漏らさず拾い集める。

 肌に感じる湿気――うん。少し高めを狙った方が良い。頬を撫でる風を意識しながら、ゆっくりと矢を番えた。

 徐々に近づく足音を補足し、かっと目を開くと、ぎりぎりと悲鳴を上げていた弓弦を解放するように、矢から手を放す。

 辛抱強く「待て」を命じられていた矢は、解放の合図と同時に飛び出して行った。そして綺麗な軌跡を描いて獲物に吸い込まれていった。


 思いもよらぬ方向からの一撃に気付かなかったのか、少しばかり走り続けた獲物は、その後どうっと音を立てて倒れた。急所を綺麗に射抜いたのか、もうピクリともしていない。

 それを確認すると、にんまりと満足気な笑みを浮かべ、堂々たる足取りで獲物の元へと向かう。


 仲間の気配を感じ、駆け寄ろうと身を屈めるが、ふと足元に陰がさした事に気付き、上空を見上げる。旋回している鳥は随分と大きそうだ。

 にぃっと悪戯っぽい笑みを浮かべたアスティンは、流れるような動作で矢を番え、躊躇うことなく解き放った。飛び立とうとしていた鳥は緩やかに落下し、先程射止めた獲物の上に覆いかぶさった。


「アスティンがやったぞ~~!!」

 立て続けに獲物を射止め、これで今日の英雄は自分に違いないと浮足立つ心を抑えていたアスティンは、仲間の声に確信を得、口元を緩ませた。


「すっげー、アスティン!どっから狙ったんだ?」

「あそこの木陰からだ。身を隠せるし、獲物にも感付かれない」

「っは?!あんな所から!?それでよく狙えるな」

「別に大した事じゃないだろう」

 歓喜に打ち震える内心を押し隠し、堂々たる様子で応える。別に、大した事ではないというのも本当だ。精霊王の末裔たる自分には。


 グラティア族は大自然と共存する一族ではあるが、特に精霊王の末裔たる自分達は、その寵愛も深い。あちこちに点在する小精霊たちには好かれ、天候をよむ事も息をするに等しく容易い。あとは自分の技量次第だが、アスティンは努力を怠った事がない。この程度の狩りならば朝飯前だ。

 仲間からの賞賛の声を心地よく浴びていたアスティンは、しかし次の一言で一気に陶酔から覚めてしまった。

「これで次の大祭の優勝はアスティンできまりだな!!」



 「大祭」と呼ばれるそれは、祭りと銘打っていても出店が出回る様な浮かれたものではない。一言で言えば、剣闘大会。村中の若い男達が参加する、グラティア族にとって、大きな意味合いを持つものだった。


 グラティア族長は、精霊王の直系男子が継ぐものである。これは暗黙の了解であり、侵されざる不文律でもある。そして同時に、「強さ」をも求められる。

 グラティア族は戦士の一族でもある為、強い者程発言力も増し、敬意を集める。だからこそ、アスティンも幼いころより父から武術の英才教育を受けてきた。剣技、弓、素手での戦闘……。「武」と名のつくものは全て習い、狩りに必要な知識だって詰め込まれてきた。 その為、同年代の少年達の中ではアスティンに敵う者などなく、アスティンが次期族長の座に就くことに不満を覚える者もいない。このままいけば、アスティンは何の憂いもなく族長となる――筈だった。

 

 しかし、例外というものはどんな物事に於いても存在するものである。


 グラティア族長は精霊王の直系男子が継ぐもの――この唯一絶対の不文律が崩れ落ちてしまう例外が存在する。それが、族長に女児が産まれた場合である。

 グラティアは戦士の一族。強い者程敬意を集める。だからこそ、族長は一族の誰よりも強くなければならない。そこで、「大祭」と呼ばれる剣闘大会が開催され、そこで優勝した者が族長の娘を娶り、次期族長となる。


 今回は例外中の例外といってもいい。

 族長に男と女が産まれることもあり、その場合は、後継ぎがいるにも関わらず大祭は開催されてきた。

 だが今回、族長の娘たるクレアは神子である。神子は未婚が絶対条件であるし、特にクレアは歴代でもずば抜けた力を持つ神子。婚姻が結べぬのであれば、大祭を執り行わずアスティンにその座を譲り渡してはどうかとの声もあった。

 しかし、2人の母たるアリエスも元は神子。それも、クレアと等しく歴代5指に入るとさえいわれた力のある神子であった。


 様々な意見が混ざりあい、混迷を極める一同を収めたのは、現族長たるダリウスだった。

「慣習通り、大祭は開催する。我々がこの場でどう意見を持ち寄った所で意味はない。アスティンを族長に据えるというのであれば、尚の事大会は行われるべきである……この大祭を制す事が出来ない様であれば、アスティンにその資格はない」


 そして慣習通り、大祭は開催される運びとなった。



 同年代で、アスティンに敵う者などいない。――しかし、何事にも例外は存在するもので。


 アスティンは、警戒するように周りを見渡した。しかし目的の人物が見当たらず、眉根を寄せた。アスティンの心に影が差す原因――アスティンの目の上のたんこぶ。彼がこの場に居ないというのはどういうことか。未だ狩りを続けているのか、それとも気にも留めていないと遥か高みから見下ろしているのか。


「……一度、戻ろう」

 最早仲間からの賛辞を受け続ける気にもならず、アスティンは大きな獲物を担ぎあげた。



「ああ、大きな獲物を仕留めたね」

 温和な笑みを浮かべた青年を睨めつけ、アスティンはぶっきらぼうに問いかけた。

「……なんでお前が此処に居るんだ?」

「うん?そろそろ呼び戻そうと思っていたからね」

 「呼び戻す」その言葉に胸騒ぎを覚え、更に強く睨めつける。

「どういうことだ?」

「どういうもこういうも……獲り過ぎは良くないだろう?」

 「獲り過ぎ」その言葉にアスティンの脳内に警鐘が鳴り響く。

「それはどういう――」

「すっげーーー!!」

 アスティンの言葉は、先を歩いていた仲間の歓声によって掻き消された。


 ――まさか。


 アスティンの頬をじっとりと嫌な汗が伝う。自分の仕留めた獲物は滅多に見られない程の大物で。これを仕留めた自分は英雄なのだ。これ程大きな獲物などそう居る筈もなく、従って自分を脅かす存在も居る筈もない。

 アスティンはどんと突き飛ばす様に青年を押しのけ、そして目の前の光景に愕然とした。戦利品である筈の猪が背中からずり落ちた。


 目の前には、アスティンの自尊心の塊である猪よりも更に大きな熊が木陰で居眠りをするように座り込み、その周りには艶やかな光沢を放つ狐が数匹侍って居た。

「熊っ?!誰が仕留めたんだ?!」

「フランツだよっ!!俺も見た時は吃驚したけどなっ」

「僕も吃驚だけどね。そろそろ寒くなってきたし、毛皮が必要かと思って狐を狙っていたら、逆に熊に襲われそうになるし」

 くすくすと笑いながら話すフランツに、アスティンの血の気がさぁっと引いていった。

「皆が獲って来た鳥もあるし、これだけの熊肉があれば充分かなぁと思って、呼び戻しに行ったんだよ。そっちもいっぱい獲ってるだろうしね」

 思ってた以上の大物を仕留めたね。にこにこと微笑みながら語りかける青年を、アスティンはぎっと睨めつけた。


 ――大物を仕留めた。それは確かだ。これで今日の英雄は自分だと思った。自分に敵う者などいないのだと。

 しかし、そんな自尊心をズタズタにされた気分だった。

 フランツは自分以上の大物を仕留めて尚、驕った様子もなく、遥か高みから自分を見下ろしている。



 ――仲間内で、アスティンに敵う者などいない。アスティンは次代を担う若者達の間では一番強く、次期族長は決まったも同然――だった。その、筈だ。



 ――敵わない。アスティンを絶望が襲う。どう足掻いても、彼に勝てる気がしないのだ。


 自分を脅かす存在を睨めつけ、アスティンは血が滲む程に強く拳を握った。



 

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