クレアの死3

 ぐらぐらと、目の前が揺れているようだ。


 ――これは、なんだ?

 ――これは、何なのだ?


 自分達はいつものように狩りに出かけて、帰還したらいつもの様に神子の祝福を受け、いつもの様に仲間で騒ぎながら、いつもの様に食事をし――いつもと変わらぬ日常を過ごす筈だった。

 それが、いつもの様に狩りに出かけた後、神子である妹の安否が分からぬと言われ、族長である父が身罷り、グラティアを護る精霊王の結界が破られ、そして禁域への族の侵入――

 しかもその大事の収拾を自分がつけなければならない――なんて。


 こんなの、知らない

 どうすればいいのかなんてわからない。

 そもそも、次代ではあっても、未だ勉強中の身であり、族長ですらないのだ。自分の手には余り過ぎる。


 絶望と、そして縋る様な目をしてオストロを見やると、件の賢者は怜悧な眼差しでアスティンを見つめていた。

 それはまるで、アスティンを見定めているかの様であった。

 その試す様な眼差しを受け、ぐっと唇を噛み締める。


 自分は次期族長――否、父が身罷った今、既に族長である。グラティアの民を護る事が己の使命なのだ。


 そうだ。自分はこのグラティアの民を導かなければならない。

 未だ勉強中の身で、知識も経験も覚悟も――何もかも足りないものばかりではあるけれども。

 それでも、経験はこれから積めばいいし、足りない知識はオストロに補完して貰えばいい。頼り全てを任せるのではなく、相談し、助けて貰えばいい。何も、全てを独りで抱え込む必要はない。

 大切なのは、独りよがりになり、民を危険に晒さない事。そして、周りの声に耳を傾ける事。


 すっと目を伏せる。逡巡は一瞬。確認をするようにオストロへ告げた。

「先ず、民の安全が最優先だ。何故結界が破られたのかは分からないが、最も強固な結界の張られていた禁域への侵入をゆるしてしまったのであれば、村とて最早安全な場所ではない」

 ちらりとオストロを見ると、無言で続きを促された。――どうやら間違ってはいないらしい。

「そして次にクレアだ。クレア以外に神子を継げる者が居ない今、アイツを失う訳にもいかない。救出に向かう者も待機させておく必要がある」

 悔しいが、クレアの現状が分からない今、無暗に増援を送ってしまえば、逆に危なくなってしまう可能性もある。

「そして禁域の確認。これはオストロと精霊王の末裔しか入れない為、俺とオストロで向かう」

「……お待ち下さい」

 黙ってアスティンの采配を聞いていたオストロが、漸くその重たい口を開いた。

「確かに禁域は、我々当代のオストロと精霊王の末裔しか入る事は出来ませんが……アスティン様が招けば、共に入る事も可能で御座います」

「……招く?」

「ええ。特別な儀式などは必要御座いません。只、此の者は己の仲間である、と……自分の意志で連れたのだと思えば良いのです」

「……それだけか?」

 禁域はグラティアの民にとっても最重要な場所。依って近付ける人間が制限されており、族長ですら安易に近付かない聖域でもある。だからこそ、そんなに安易に人を入れる事が出来ると言われれば、困惑もしてしまう。

「……理由はいづれお話いたします。ですが、アスティン様とクレア様がおられれば、可能で御座います。逆を言えば、お2人にしか出来ない――ダリエス殿や……私でも不可能でございます」


「俺とクレアだけ……?それは一体どういうことだ?」

 族長である父にも、オストロにも不可能な事が、何故アスティンとクレアには可能だというのだろうか。

 疑問は尽きないが、それでもオストロの「何れお話する」という言葉を思い出し。何とか言葉を飲み込んだ。


 ――今は、そんなことをしている場合ではない。重要なのは、自分とオストロ以外にも聖域へ向かえるということのみ。


「では、現――否、前戦士達は此処に残って村を護ってくれ。敵が攻め込んでくる可能性がある。指揮はヴェズリーに任せる」

「……はっ!」

「セリアは連絡が入り次第、数名を連れてクレアを救出に向かってくれ。状況が分からないから、人選は任せる」

「はい」

「女達は、人数の確認を。家族が全員揃っているか報告をしろ」

「はいっ!!」

「フランツ。お前は俺と共に禁域へ来い」

「俺だけで宜しいので?」

「ああ。現戦士達全てを連れていきたいところだが……禁域は何があるか分からない。下手をすれば、禁域の魔法により俺達が全滅、ということもありえる。ここは族長たる俺とオストロ、後はグラティア第2位の戦士であるお前の少数精鋭で行く」

「了解」

「残った現戦士達は、村を見回ってくれ。人がいれば中央へ誘導し、侵入者が居た場合は撃退。必ず二人一組で行動する事」

「はっ!!」

「では散開!フランツ、オストロ、行くぞ」

「承知」

 気懸りはある。この場に残り皆を護りたい気持ちも、全てを投げ出してクレアを助けに行きたい気持ちも、恥も外聞もかなぐり捨てて父の訃報を嘆きたい気持ちも……。

 それでも、自分が族長になってしまった以上、グラティアの命運は自分が握ってしまった事になるのだ。

 ずしり、とその重みを感じながらも、アスティンは今できる事をする為に、聖域に向かって行った。


 ※ ※ ※


「此処が、聖域……」

 フランツの感慨深い声を背後に、アスティンも複雑な想いで見上げた。

 己が次期の座に付いた際、一度だけ、父とオストロに連れられて来た事がある。

 此処を護るのが己の役目であり、結果的にそれがグラティアの民を護る事にもなるのだと言われた。

 ――それがまさか、こんな形で再訪する事になるとは思いもよらなかったが。

 オストロの案内で聖域内を歩いていたアスティンとフランツだったが、そのオストロの足が止まり、怪訝そうに見つめた。

「どうした?オストロ」

「いえ……。何者かが侵入した形跡が見当たらないのです」

「何?」

「アスティン様、この石像を見て、如何思われますかな?」

「随分と精緻な石像だな。これを作った者は、国一番――否、大陸中を探してもそうはいまい」

「……そうでしょうな。これは本物ですから」

「……なに?」

「この石像達は聖域の番人――普段はこうして眠っておりますが、聖域に侵入者が現れた際に目覚め、排除を行う。……その番人達が眠ったままという事は、この場を誰かが通った訳ではないという事です」

「――それは……」

「……ひょっとしたら、クレア様はもう既に侵入者達の手に堕ちている可能性も高いということです」

「それはどういう――」

「急ごう。どちらにせよ、事実を確認すれば済む話だ」

「問い詰めようとしたアスティンを遮り、フランツが先を促す。

 アスティンは渋々ながらも彼に従い、再びオストロの案内で走り出した。


 ※ ※ ※


「此処です」

 オストロに促され重厚な扉を開くと、そこでは信じられない光景が平賀っていた。

 最愛の妹が横たわり、そこに今にも刃が振り下ろされようとしていたのだ。

「やめろーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」

 アスティンの絶叫が響いた。

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