アスティアの翼

水瀬紫音

序章

 心地よい微睡みに身を委ねる。

 夢と現を揺蕩うこの瞬間が、何よりも好きだった。

 美味いものを食べるのは、嫌いじゃない。面白いものも、嫌いじゃない。しかし、この瞬間に勝るものは無いと思う。

 これが俗に言う「倖せ」というものなのだろうと思った。

「     」

 そう言うとアイツは、呆れた様に聞き飽きた台詞を口にする。

 そんな日常も――キライじゃなかった。 

 それでも面倒な事は嫌いだし、そのうち煩くなるのだから、それまではこの幸福な静寂を心ゆくまで堪能しようと思った。

 

 やがて聞こえてくる、喧噪。

 しかし心地よい微睡みを手放したくなくて、寝返りを打つように、それらから背を向ける。自分はまだ、寝足りないのだ。

 しかしそんなささやかな願いは叶うこと無く。徐々に覚醒の足音が聞こえてくる

 目は覚めてしまっているのだが、それでも往生際悪く寝入ろうとした時だった。

「いい加減に起きなさいな!」

 声が、聞こえた気がした。

 とてもとても懐かしい、声が。

「全く怠け者なんだから!そろそろ起きて働きなさい」

 鈴の音の様な、美しい声。眦を釣り上げ、此方を睨めつける、強い瞳。

 そしてアイツはそんな自分達を笑いながら見つめ、いつもの台詞を口にする。


「君は本当に怠惰だね」


 ――呆れた様な、顔をして。


 聞き慣れた声、聞き飽きた台詞――懐かしい、声。



 ――目は完全に覚めてしまった。


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