復活3
――此処は、何処だろう。
そんな事を、ぼんやりと思った。
辺り所か、己の指先すら視認できない程の深淵の闇の中、物音1つせず、感じるのはねっとりと絡み付くような濃厚な魔力のみ。常であれば恐怖しか覚えない筈の状況で、何故こんなにも冷静で居られるのか、クレア自身にも分からなかった。
否、冷静で居るどころか安堵すら覚えている。
不思議だと思う反面、それを当然の様に受け入れている自分自身に疑問に思う事はなかった
――矛盾。
一言で言えばそれに尽きる。
恐ろしい筈なのに安堵している。知らない筈なのに知っている気がする。
そして、それらを「矛盾」であると理解して居ながらも、当然の様に受け入れている。
それが一番の「矛盾」であり、疑念であった。
しかし彼女は、その「疑問」を「疑問」として取らえてはいない。そんな自分を不思議に思う事すらなかった
クレアは決して愚鈍ではない。
普段は穏やかな気質で、決して激する事は無い。表面上でだけであれば、人畜無害な只の少女である
しかしその実、理知的で思慮深く、神子という立場である為か、民を護る事に関しては疑い深い程に警戒心が強く、熟考に熟考を重ね、慎重に物事を進めていく性質である。
そうして時に兄であるアスティンの浅慮を窘める事すらあるクレアが、こんなにも分かりやすい疑念を疑念として捉えないという事は可笑しなことである。
誰かに操られている、という可能性も皆無ではないのだが、クレアは時に、熟考に熟考を重ねた結果よりも直感を大事にする事がある。
それは一重にクレアが「神子」であるからに他ならない。
遥か太古の時代より、天界に坐す神々の意を地界に伝えて来た神子であるからこそ、こうした矛盾や直感は、神々や精霊達の警告である可能性も高いのだ。
しかし、今回の「それ」は、そうした啓示とは違うという確信があった。
神託であれば、それは外部から働きかけるものであるが、今回の矛盾は内部から――クレアの奥底から湧きあがるものであったからだ。
――こんな矛盾は初めてではない。
昔から、極稀にこんな気持ちになる事があったのだ。幼い頃、クレアにとっての「初めての冒険」を行ったあの時から――
あの日、禁域に侵入しようとした兄を止めに言った時、クレアは初めての「矛盾」を感じた。
「入ってはいけない」
(入りたい)
「禁域に足を踏み入れるなど恐れ多い」
(嬉しい)
「見た事のない場所」
(この場所を良く知っている)
「知らない声」
(――いいえ、私はこの声の主を良く知っている!!)
その時から、クレアの中に小さな、けれども無視できない矛盾が積み重なって行った。
その積み重なって行った矛盾が、今この場で決壊を起こしたようだった。
己の姿さえはっきりとして居ないのに不安に思う事もなく、生命の息吹さえも感じられない程に静まり返って居るのに、何故か己のものでない鼓動の様なものを感じて。
そして何より、このねっとりと身体中に絡み付くような濃厚で強大な魔力に護られている様な安堵を感じていた。
そしてクレアは、誘われる様にしてその魔力の中心へと足を向けていた。
深淵の闇の中、黒い人影が浮かび上がって居た。
それは不思議な光景だった。髪も、服も、全てが黒ずくめであるにも関わらず、暗い闇の中でそこだけがはっきりと浮かび上がって居る。
不思議に思いつつもふらふらと歩み寄ったクレアに気付いたその人物は、ぞんざいに言葉を投げかけた。
「お前、誰だ?」
「クレアと申します」
ぼんやりと答えながら、クレアは何故か泣き出したい衝動に駆られた。
――自分は、この人物を知っている。
(――もう一度その姿を目にしたかった)
(――もう一度その声を耳にしたかった)
(――もう一度その瞳に映りたかった)
(――もう一度――逢いたかった!!)
クレアの内側から吹き出す衝動に気付いていないのか、男は興味なさ気に問いかけを続ける。
「それで、そのナントカがなんで此処に居るんだ?」
「此処?」
「男の寝室に勝手に入り込んでくるとか、良識のある女のする事じゃねぇな。……夜這いか?」
「よばっ……!!」
クレアの頬が真っ赤に染まる。
「そ……そんなつもりでは……!!それに、此処が何処で、何故私が此処に居るのかも分かって居なくて――」
慌てふためくクレアを一瞥すると、その男は心底面倒くさそうに呟いた。
「お前、アストールとティアの末裔だろ」
「え……何故それを?」
「見りゃわかる。……あ~……なんかすげ~めんどくさそう……」
何やら男がブツブツと呟いている。
その声を聞きながら、クレアの意識は徐々に遠のいていった。
何やら問答をしていた様な気がするのだが、何処か夢うつつで、何と答えたかも覚えてはいない
しかし、完全に意識の途切れる寸前のやり取りだけは、確りと心に焼き付いていた。
「本当に構わないんだな?」
「――ええ。貴方が共に在るのなら」
「じゃあ、行くか」
男が小さく微笑んだ気がした。
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