第4話 特訓の成果

「ふんぬ! はあ! やあ!」


 私は全身の筋肉に力を入れた。優れた筋肉は時空の歪みを生み出すと言う。私はその歪みの中に自らの身を投じた。


 するとどうだろうか、時間の流れがゆっくりな空間に辿り着いたのではないか。これこそが1日32時間のトレーニングをする秘訣。この空間ならば私は無限に強くなることが出来る。


 しかし、この空間を維持するのもかなり疲れる。無限にこの空間の中に入れるわけではないのだ。


 ディアナは1日64時間の筋トレをしていると言った。恐らくこの空間よりももっと捻じれて歪んでいる空間に身を投じているのであろう。


 筋肉を鍛えて鍛えて鍛え抜くほど、より強く空間を歪めることが出来る。その分より多くの筋トレをして強くなれるのだ。富める者は更に富むという理屈の通り、筋肉がある者はさらに筋肉が付くのである。


 そうして私はひたすらにスピードの特訓を続けた。シャトルラン、反復横跳び、とにかくスピードと瞬発力がつきそうなことは手あたり次第やってみたのだ。


 その訓練をすること120時間……ついに私の拳は音を置き去りにした。


 勝てる……これならケンに勝てる。いや、ディアナにだって勝てるかもしれない。と私は完全に慢心をしていた。


 パワーとスピードを兼ねそろえた私に死角はないのだ。



 修行を終えた私は学校に行くことにした。体全体がオーラに包まれているような感覚を覚える。自信に満ち溢れているようなそんな思い。今の私なら何者にも負ける気がしない。


 ふと学校に行くと同じクラスの陰キャのモブが陽キャに虐められているのを発見した。


「……めろ! 返せよ……!」


 あちゃー。何か物を取り上げられてしまったのね。可哀相に。この世は弱肉強食。虐められたくなければ強くなるしかないの。


「なんだよこの画集。うわ、引くわー女の裸体ばっかじゃねえか」


 いやいや、学校になんてものを持ち込んでいるのこの人は。神聖なる学び舎をなんだと思ってるの。


「返せよ!」


 陽キャが陰キャから奪った画集を持って手を上げている。陰キャを必死になってそれを取り返そうとジャンプをするが、陽キャの方が圧倒的に身長が高いから届かない。見ていて哀れに思えてくる。


「……めろよ! やめろよ!」


「うわー。こいつマジになってるよ。へいパース!」


 陽キャは仲間数人で陰キャの画集を投げて回し始めた。これは流石に可哀相になってきた。助けてあげなきゃ。


「ほれパース」


 陽キャが画集を投げた瞬間、私は音を超える速さでそれをキャッチした。私のその速さに周囲の皆は口をあんぐりと開けて呆然としている。


「な、なんだお前は!」


 陽キャは突然現れた私に驚き戸惑っている。けれど今はこいつの相手をしている暇はない。


「はい。これ大事なものでしょう? もう取られてはダメですわ」


 私は取り返した画集を名前も知らないモブの陰キャに返した。


「あ、ありがとう……」


 陰キャは顔を真っ赤にして俯きながらそう言った。中々可愛い所があるじゃないか。


「てめえ! 質問に答えろ! 何者かって聞いてるんだ!」


 陽キャが語気を荒げる。まあなんともみっともない。先程までウェーイと余裕ぶっていたのはどこへいったやら。


「淑女に対してその言葉遣いはあんまりではなくて?」


「うるせえ! この女やっちまおうぜ!」


「おう!」


 数人の陽キャが私に飛び掛かって来た。やれやれ。全く女1人相手に男数人がかかって情けないね。


「せいや!」


 私は回し蹴りで陽キャをまとめて壁まですっ飛ばした。蹴り攻撃で私のスカートの中身が見えそうになったけれどそんなことは気にしてられない。


「ぐぶ……」


 陽キャは私の一撃で簡単にのされてしまった。弱い。弱すぎる。これが漢女ゲーのモブ。所詮この程度の実力しかないのに名有りのキャラの私に勝とうだなんて1億年早い。


「ひゅー。やるねー」


 私の後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。この声の主は……


「ケン……あなた見てたなら助けてあげてくださいませ!」


「んにゃ。俺は今来たところだね。俺が到着した頃には、既にキミが奴らから画集を取り返してたよ」


 ケンは全く悪びれている様子はなかった。


「で、でも。わたくしという乙女がやられそうになっていたなら、助けてくれても……」


「キミに助けが必要かい? 俺とガチでやりあえるくらい強いのに?」


 ぐぬぬぬぬ。私の肉体は確かに漢女だけれど、心は乙女なんだ。男子(イケメンに限る)に助けられればキュンとくるというのに。


「どうやら、キミには相応のスピードが見に付いたみたいだね。どうだい? 3日後。俺と試合をしてみないか?」


「ええ。望むところですわ。次は負けませんわよ」


「ああ。俺も負ける気はない」


 私はケンと握手を交わした。ケンの手はゴツゴツとしていて正に男の人の手という感じだった。



 放課後、ケンとの戦いに備えて特訓をしようと早く家に帰ろうとした時のこと。校庭の方が何やらざわざわとしている。一体何があったのだろうか。


 気になった私は校庭に向かった。ある一か所に人だかりが出来ていた。野次馬が邪魔でよく見えない。私は野次馬をかきわけて、この騒ぎの正体が何かを突き止めようとした。


「こ、これは……」


 私が見た光景は信じられないものだった。そこにいたのは今朝、陽キャに虐められていた陰キャが無残な姿で横たわっていたのだった。


 陰キャは全裸にされていて、体中に打撲の跡があった。首は絞められたような跡があり、生きているのかどうかすら見ただけでは判別できない。


 よく観察をするとどうやら微かに呼吸はしているようだ。一体誰がこんなひどいことを……


 私はたまたま近くにいた、今朝陰キャを虐めていた陽キャを睨みつけた。きっと今朝の腹いせにこいつらがやったんだ。


「お、俺らじゃねえよ! なあ? 俺ら何もしてねえよな?」


「お、おう……いくらなんでも俺らはこんなひどいことしないって。良く見てみろ。こいつの金玉もかなりの打撲跡がある。同じ男なら痛みを知っているこの箇所をこんなに痛めつけられないぞ」


 確かに一理あるかもしれない。女の私には無縁の痛みだけれど、そう言われると妙な説得力がある。ということは犯人は女子なのだろうか。


「おい! お前たち。何をしている!」


 騒ぎを聞き駆け付けてきた先生がやってきた。先生は生徒達を散り散りに散らすと、陰キャに布を被せて保健室へと運んでいった。


 どういうことだろうか。私がやっていた漢女ゲームにはこのようなイベントは存在しなかった。この世界何かがおかしい。私は確実に歯車が狂う何かを感じ取った。


「酷いことする人もいたもんだねー」


 ディアナが私に話しかけてきた。彼女から話しかけるのは珍しいことだ。基本的に漢女ゲームでは、悪役令嬢の私の方が主人公であるディアナに突っかかるのが常だったから。


「ねえ。モニカは誰が犯人だと思う?」


「さあ? 全く見当もつきませんわ。彼は目立たない存在だし、恨まれるようなことはしてないと思いますわ」


「そうだね。私もそう思う。でもね。人は見かけによらないと思うよ。例えば、あの陰キャ君がとんでもない助平な奴で、女子の裸を妄想してそれを絵に描き留めているとしたら? その絵を見た女子はなんて思うんだろうね」


 私はその言葉を聞いてゾクっとした。例え話にしてはやけに具体的な内容だ。まさか、あの陰キャをやったのは……


「ははは。そんなに怖い顔しないでよ。私達仲間でしょ?」


 ディアナはこちらに近づいてきた。嫌な予感がして警戒心を高める。しかしディアナは無遠慮に私に近づいてくる。そして、耳打ちをしてこう言うのであった。


「もし、貴女が彼から画集を取り返してなかったら、私の裸体は描かれなかった。貴女の行動のせいで彼の運命は決まったようなものよ」

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