第11話 最強の闘士ディアナ

 ディアナの腕の筋肉が丸太のように太くなる。素手で縄文杉を引っこ抜けんのかい! と掛け声を思わず入れてしまいそうになるくらい惚れ惚れする筋肉だ。


 これが敵でなかったら、さぞかし頼もしく感じたものだろう。だけれど、今私はこの化け物を倒さなければならない。


 私が破滅フラグを避けるためには、いつかは戦わなければならない存在だったかもしれない。けれど、早すぎる。プレイヤー視点では主人公でも、一ノンプレイヤーキャラに過ぎない私にとっては、こいつはラスボスなのだ。


 世の中には順序というものがあって、足し算を学んで、引き算を覚えて、九九を暗記して、割り算でつまずくといった段階というものがあるのだ。私はやっと足し算ができるようになった小学生程度の頭脳で、確率の計算をさせられるようなものだ。ハッキリ言って無謀すぎる。


 だけれど、漢女には戦わなければならない時があるんだ。大丈夫。ケンとヨシツグの二人が一緒なら、私は戦える!


 漢女の心いきを見せつけてやる!


「せいや!」


 まず、最初に動き出したのはケンだった。ケンが思いきり、ディアナの脇腹に蹴りを入れた。速い! 私と戦った時より、ヨシツグと戦った時よりも速い。これがケンの全力の一撃なんだ。


 ケンが蹴りを入れた瞬間。鈍い音が道場中に響き渡った。流石のディアナもケンの一撃を受けてノーダメージということはないだろう。私もこのまま追撃して、ディアナにダメージを与えなければ……


「来るな! モニカちゃん!」


「え?」


 ケンは足を抑えてその場に倒れこんだ。なんで? なんで攻撃したはずのケンがダメージを負っているの? どういうこと?


「女の子に全力で蹴りを入れるなんて酷いお人ね……なーんて、普通のか弱い女の子だったら言うんだけど、生憎私は最強の漢女。全力の蹴りを受けさせてもらえるのは光栄なことだわ。でも、あなたは推しじゃない。そのだげきには応えられないの」


 ディアナは全く表情を変えずにケンを見下ろしている。


「化け物か……樫の木を蹴った時ですらこんな硬くなかったぞ」


「さあ、ヨシツグ。私と一緒に、死闘デートしましょう。私の暴行あいじょうを受け取って」


 ディアナはうずくまっているケンを完全に無視して、ヨシツグを見て舌なめずりをしている。どうやら彼女の狙いはヨシツグのようだ。


「まだ……まだ終わっちゃいねえんだよ!」


 ケンは背後からディアナの後頭部を思いきり殴りつけた。しかし、結果は火を見るよりも明らかだった。ケンは拳を抑えて悲痛な叫びをあげている。ケンの拳が赤く腫れあがり、見ているだけで痛そうだ。


「私の頭は石頭なの。まあ、私の石は鋼鉄をも砕きますけど」


 ダメだ。生半可な打撃だとディアナにダメージを与えるどころか、こちらが負傷してしまう。なんて強さ。この皮膚の硬さはアフリカゾウのそれを遥かに凌駕している。彼女ならアフリカゾウを片手で投げ飛ばすことなど容易にできるだろう。


 所詮人間は武器を使って、束になって、やっと象に勝てる生き物なんだ。武器を持たない漢や漢女が勝てる相手じゃないんだ。


「ケン! 大丈夫か!」


 ヨシツグがケンの傍に駆け寄る。さっきまでお互いに憎みあい戦っていた仲なのに、心配するなんて。なんて優しい心の持ち主なんだろう。


「ヨシツグ……どうして? どうしてなの! 殴ったケンを心配して、なんで殴られた私を心配してくれないの!」


 物凄い正論がディアナの口から飛び出た。確かにそうである。普通、殴られた方を心配すべきだ。その逆転現象が起きているのは、ディアナの強さが規格外だから起きてしまった現象だ。


「悪かったねディアナ君……僕は化け物を心配する趣味はなくてね」


 ひ、ひええ……ヨシツグ。なんでディアナを挑発しているの。死にたいの? 女の子に向かって化け物はNGワードだよ。


「ふふ、あらやだ。化け物だなんて、嬉しいこと言ってくれるね。もう大好き」


 どうやら漢女的には化け物というワードはありらしい。そうか! こうやって、ディアナを褒めちぎれば戦意を喪失してくれるかもしれない。


「そ、そうですわ。ディアナは正に規格外の化け物。この世のものとは思えないくらいの怪物ですわ。いよ! 筋肉の化身!」


 私の一言にディアナは固まっている。そうか、そんなに嬉しいのか。


「モニカ……よくも! よくも私に化け物って言ったな! あまつさえ、筋肉の化身だとぉ! 殺す! 殺してやる!」


 ええ!? なんで、ヨシツグの時は喜んでくれたのに、なんで私の時はガチギレするの? 漢女心複雑すぎてよくわからない。よく男に女心がわかるわけがないって言うけど、女だって女心わかんないよ! それがわかったら、女子同士の関係で苦労しないっつーの! 昨日まで友達だと思っていた相手が急に陰口叩きだす世界やぞ!


「歯ぁ食いしばれ!」


 ディアナがそう言った瞬間、私の頬にじんじんした痛みがすると共に私は吹き飛ばされた。なにをされたのかすらわからなかった。ただ、ディアナの手の形と動きからみて、平手打ちをされたと理解できた。


 だが、理解したところでどうしようもない。ディアナの平手打ちは私が知覚できないほどの速さだ。もし、これが平手打ちじゃなくて拳での打撃だったら、私の歯は二、三本吹き飛んでいただろう。それくらい恐ろしい一撃だった。


「今の一撃は効いたかな? 一応気絶しないように手加減してあげたけど、意識あるよね?」


 ディアナは倒れている私に近づいてくる。まずい。逃げなきゃ……でも、体が動か遭い。腰が抜けているし、頬が痛くて身悶えしてしまっている。


 なんとか必死に起き上がろうとする私。しかし、無情にもディアナが私の目前に来ていた。そして、ディアナは私の髪を掴み、顔を持ち上げる。


 ディアナと私の目が合う。私は髪を掴まれているので強制的に顔合わせさせられている状態だ。


「ねえ、今どんな気持ち? 私を裏切って、ヨシツグの心を奪って……抜け駆けして楽しい?」


「ディアナ……違う。誤解ですわ。わたくしは、ヨシツグのことをなんとも思ってませんの」


 パァンと乾いた音が道場内に響き渡る。私はまた平手打ちをされてしまった。痛い。口の中が血の臭いで充満している。今の平手打ちで口内を切ってしまったかもしれない。


「あんたがヨシツグを好きかどうかなんてどうでもいいの。重要なのは、ヨシツグがあんたを好きかどうかなの! あんたが私のヨシツグを誘惑さえしなければ! あんたのせいで!」


 三発目の平手打ち。ディアナは私をいたぶって楽しんでいる。パンチを食らわせれば一撃でノックアウトできるのにあえてそれをしない。私はこのまま、ディアナにいたぶられて死んでしまうのかな。ああ、どうして私ばかりこんな理不尽な目に。


 前方不注意のトラックに轢かれ、悪役令嬢として転生して、なにも悪いことしてないのに、断罪されて。私が一体なにをしたっていうの。


 私はこの理不尽な状況に怒りを覚えてきた。大体にして、ディアナがヨシツグとくっつかないのだって、ディアナに魅力がないからなのに。主人公という絶対的な立場なのに、攻略対象に嫌われるって相当なものだ。どんだけ選択肢や好感度上げをミスったんだって話。


「なにその生意気な目は! あんた! 私が庶民の出だからと言ってバカにしてるんでしょ! たまたまいい所の令嬢に生まれたからって! ムカつくのよ!」


 四発目のビンタが飛んでくる。私はそう覚悟した。しかし、次の瞬間、ディアナの手が私の髪から離れて、ディアナは宙に舞った。


「おいおい。やりすぎだよ。ディアナ君」


 ディアナが地面に叩きつけられる音がした。ヨシツグが柔術を使ってディアナを投げたのだ。


「これ以上、僕の好きな人を虐めるなら、僕はキミに対して容赦するつもりはない!」

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