第7話 柔術家ヨシツグ

 私が廊下を歩いていると、少し華奢だけれど黒髪の少年にすれ違った。身長は私より少し高い程度だ。その儚げな印象はどことなく女性的である。


 物腰が柔らかそうな印象を受ける。見た目は草食系だけど、この子の中身は……うん。間違いなく肉食系だ。そのギャップにやられてしまったお姉さま方も決して少なくないだろう。


「おはよう。モニカ君」


 あどけない笑みで私に挨拶をしてくるこの少年の名前はヨシツグ・ミナモト。この漢女ゲームの攻略対象の一人である。


「おはようございます。ヨシツグ」


 天才的な柔術家のヨシツグ。力で押すタイプというよりかは、技で圧倒するタイプだ。


「ところでディアナ君を見なかった。彼女と話がしたいのに見当たらないんだ」


 ヨシツグは主人公のディアナラブ勢だ。攻略対象のキャラの中で最もディアナのことを好いていると言ってもいいだろう。


 私もゲームプレイ中は、ディアナに感情移入していたのでヨシツグのシナリオを楽しんでいたのだけれど……悪役令嬢の立場となった今ではこの要素には何のありがたみもない。


 このヨシツグというキャラクターを語る上で欠かせないのは、彼のド直球すぎる程の愛の表現の仕方だろう。隙あらば主人公を夜の寝技に持ちかけようとするのだ。並みの肉食系キャラですら裸足で逃げ出すレベルで、えちえちなことしか考えてない。それがヨシツグというキャラだ。


「あ、ヨシツグ。こんなところにいたんだ」


 ディアナが猫なで声でヨシツグに話しかけてきた。ディアナのこんな声聞いたことない。


「やあディアナ君。今日の放課後またお手合わせお願いしてもいいかな?」


「はい」


 ヨシツグの申し出に二つ返事をするディアナ。なるほど……ディアナはヨシツグを攻略対象に定めているのか。


「それと……武芸の稽古が終わった後は、恋人同士がするような稽古もしようか?」


「え、ええ……!?」


 ディアナがわざとらしく動揺している。あんた絶対そのセリフ待ってたでしょうが!


「そ、そんな……は、恥ずかしいよ」


「ふふ。冗談だよ。じゃあ、今日の放課後楽しみにしているね」


 なんか目の前でイチャつかれて腹が立ってきた。このままヨシツグルートに進まれても結局何の因果か知らないけれど、私の破滅フラグは立ってしまう。つまり、私にはディアナの恋路を応援する気など全くないのだ。


 このままディアナとヨシツグがくっついても面白くないなあ……なら、二人の恋路の邪魔をしてあげよう。ふふふ。何てったって私は悪役令嬢。その役目を忠実に遂行するまでよ。


 題して、ディアナからヨシツグを寝取ってディアナの脳を破壊しよう作戦。面白くなってきた!


 ただ、問題なのはディアナは既にヨシツグルートに入っているということだ。ヨシツグは超が何個も付くほどのディアナ好きと言ってもいい。実際、悪役令嬢のモンカがヨシツグにちょっかいを出すシーンはあるのだが、どれもことごとく躱されてしまっている。


 なんとかならないものなのか……ん? 待てよ。この私の思考。明らかにヨシツグにちょっかいを出す流れになってない!? 完全にそうだよ。


 何かわからない大いなる流れが私に破滅フラグを立てさせようとしている。そんな気がする。そうだよ。私が破滅するのも、ヨシツグに色目を使ったから。つまり、それさえ行わなければ私は破滅フラグを回避できる……?


 そうと決まれば、ディアナに協力しよう。そうすれば、私の破滅フラグは折れてくれるかもしれない。


 私が色々と思案を巡らせているとヨシツグと別れたディアナがこちらに歩み寄ってくる。


「ねえ、ちょっと。モニカ。あんたさっきヨシツグと話してたよね?」


「え? う、うん。それがどうかしましたの?」


 するとディアナはこちらを睨み殺す勢いで殺気を放ってきた。


「なんで、あんたが私のヨシツグと気安く話してるの! 色目使ってるんじゃないよ!」


 ひ、ひい! いつの間にか恋する乙女を怒らせてしまった。


「ご、誤解ですわディアナ。わたくし別にそんなつもりでは……む、むしろ逆ですわ」


「逆? どういうこと?」


「わたくしは貴女に協力したいのですわ。ディアナとヨシツグ。丁度いいベストカップルだと思いません? わたくしはこの二人にくっついて欲しいのです」


 なんとかディアナに取り繕う。ここで恩を売っておけば破滅フラグは避けられるであろう。


「なーんだ。それならそうと早く言ってよ。私てっきり、あんたが私とヨシツグの仲を裂こうとする泥棒猫かと思ったんだよ」


 この言われよう。まあいい。私としては自分より圧倒的に強い存在であるディアナと敵対するつもりはない。どれだけ雑な扱いを受けても、笑顔でやり過ごさなければならない。


 全く、これではどちらが悪役か分かったものじゃない。明らかに何もしてない私が何故怯えなければならないのか。


「それじゃあ……あの一つお願いしてもいい?」


 ディアナがもじもじとしている。何を今更恥じらうことがあるのか。クマを素手で倒せる癖に。


「ヨシツグにどんな女の子がタイプか訊いてきて欲しいの……私、ヨシツグの理想に少しでも近づきたいの」


「そういうことならお任せ下さい」


 なんだ。ディアナも乙女なところがあるじゃないか。てっきり、クマを素手で倒す漢女かと思ってたのに。


「でも、どうして自分で訊きにいかないんですの?」


「え、そ、それは……だ、だって恥ずかしいじゃない! まるで私がヨシツグのこと好きみたいな雰囲気になっちゃうでしょ」


「実際好きなんだから別にいいと思いますわ」


「そ、そうだけどさ! まだこの気持ちは秘めていたいっていうか……もう! モニカ! 怒るよ!」


 何故か理不尽に怒られてしまった。どうせ主人公特権で攻略対象のキャラと付き合るのだ。好きだという感情はバレて当然。なら、さっさとアプローチをかけてしまえばいいと思うのは私だけだろうか。


 戦闘では無敵の漢女も、恋愛になると受け身の乙女になってしまうものなのか。なんだか面白い。


「あ、あのさ……モニカ。あんたって思ったよりいい人だったね。私、あんたのことを誤解していたよ」


 ディアナが右手を差し出して来た。こ、これは握手というやつなのでは?


「な、なんですの改まって。わ、わたくしはいい人ですわ」


 唐突なディアナのデレに対して、私はしどろもどろになってしまう。こういう展開は全く予想外だった。私はディアナに嫌われ続ける運命にあると思っていた。


 あれ? これ、破滅フラグ回避ルート入ったんじゃないの? ディアナと友好な関係を築ければ、お互いの全てをかけた戦いをしなくて済むもの。


「そ、その……ディアナ。わたくし達いいお友達になりましょうね」


 私はディアナと握手をした。破滅フラグが折られると共に、別の何かキマシている塔が立った気がするけど気のせいかな? 私にはそういう趣味はないと思う……多分。


「うん。モニカ。これからもよろしくね」


 なんだろう……私は何か見落としている。そんな気がする。なんだ、この嵐の前の静けさのような感覚は……


 一見、平和に見えるこの状況だけれど、何か得体のしれない不気味な何かが潜んでいる感覚がする。


 それが私の背後から牙を剥きそうな……考えすぎかな? とにかく、私がここでヘマをしなければ破滅フラグは折れる。そして、私の平穏な学院生活が約束されるのだ。


 ディアナもヨシツグもお互いのことを好いている。私はそれをただ後押しするだけ。それだけのことだ。上手く行きすぎているから必要以上に不安になっているだけだよ。きっと。

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