第15話 激辛の試練

 今日も登校前に道場を借りて、ケンとヨシツグに稽古をつけてもらっていた。登校前なのでわざわざ戦闘用のウェアに着替えるのは面倒なのでみんな制服姿で戦っている。


「てい! やあ!」


 私はケンに向かってハイキックを放つ。ケンはそれを腕でガードしようとした時だった。


「へぶし」


 ケンはガードに失敗してそのままキックの直撃を食らってしまった。わけのわからない声を上げて倒れこんでしまった。


「どうしたんですのケン。今の攻撃貴方なら受けられたはずですわよ」


「い、いや……モニカちゃん。今のキックでスカートの中身が見えた」


「は……」


 私は自分の今の格好がスカートタイプの制服姿だったことを完全に忘れていた。でも……


「だ、大丈夫ですわケン。今日のは勝負下着でしたから、ギリギリ致命傷で済みましたわ」


 自分でも支離滅裂なことを言っていると思う。私は戦いの前には勝負下着を着用する。模擬戦であっても同様だ。伯爵令嬢の潤沢な資金のお陰で勝負下着を何枚も買うお金があったのは幸いしたことだった。


「ケン君。モニカ君の下着の色は何色だった?」


「水色だった」


「おい、そこの二人。表に出やがれですわ」


 私は二人を全力で締め上げた後に、いつものように登校をした。


「あ、モニカさん。おはよう」


 廊下ですれ違ったビルが私に挨拶をした。


 出た。漢女ゲーあるある。今まですれ違いすらしなかったのに、出会いイベントが消化された瞬間、急に出番が増えるやつ!


「おはようございます。ビル」


「モニカさん毎日特訓してて凄いね。僕はあんまり特訓は好きじゃないんだ。痛いのは嫌だし」


 ビルは羨望せんぼうの眼差しを私に向けてきた。


「いえ。わたくしの場合は鍛えなければならない事情があるんですの。だから、必死に特訓をしているのですわ」


 そうだ。破滅フラグさえなかったら、私は今頃モニカ・アルスターとして伯爵令嬢として青春を送れるはずだった。なのに、ディアナのせいで。


「ねえ。モニカさん。一日くらいトレーニングサボってもいいと思わない?」


「えっ」


 ビルから出た言葉に私はすぐに飛びつきたかった。


「ほら、体を休めるのもトレーニングの内って言うし。あんまり筋肉を酷使しすぎてもダメだよ。休む時間もきちんと与えないと」


「筋肉を休める時間……」


 考えたこともなかった。私は記憶を取り戻してからずっとトレーニングの毎日だった。私の筋肉が悲鳴をあげればあげるほど確実に強くなっていく感覚を覚えていた。


「だからね。今日は僕と一緒にデートしない?」


 ビルからデートの提案をされた。どうしよう。これがすごく魅力的に思える。特訓をサボれる口実にもなるし、ビルと親交を深めるチャンスでもある。


 けれど、ケンとヨシツグと特訓の約束をしているし……なんか彼らを裏切るようで心が痛い気もする。


「ビル。貴方の気持ちは嬉しいのです。けれど、わたくしは、ケンとヨシツグと既に特訓の約束をしているのです。彼らとの約束を破るわけには……」


「おい、聞いたか? ケンとヨシツグは今日学校休むらしいぞ」


「なんでも特訓で大怪我を負ってしまったらしいからな。しばらく安静にする必要があるって」


 モブ生徒がそんな会話をしてきた。特訓で大怪我……? はっ! そういえば、ケンとヨシツグを締め上げたばかりだった。もしかして、二人は私のせいで学校を休むハメに?


「ケンとヨシツグは今日休むみたいだって。じゃあ、僕と一緒にデートしてくれるよね?」


 ビルが私に向かって迫ってくる。うぅ……ち、近い。ダメだ。私の乙女の部分が反応してしまう。漢女ではなく、乙女の純情が。やはりイケメンに迫られるとどうしても弱い。


「わ、わかりましたわ。今日だけですわよ。わたくし、そう何度も簡単にデートするほど安い令嬢じゃありませんもの」


「やったー。じゃあ、放課後よろしくね」


 ああ。ビルの笑顔は本当に癒される。こんな無邪気な笑顔を見られるなんて生きて手良かった。荒んだ心が浄化されていくよう。



 私は放課後、制服のままビルと一緒にデートすることになった。ああ、制服デート一回やってみたかったんだ。現実世界でもできなかったし。


 私たちは街に出て、色んなところを回った。噴水がある広場に行くと子供たちが無邪気に駆けまわっていた。子供は無邪気でいいな。


「この泉にお金を投げ入れると願いが叶うんだって」


 そう言うとビルは銅貨一枚を投げ入れた。


「では、わたくしも入れますわ」


 私は金貨一枚を躊躇いなく入れた。そして、願う。どうか私の破滅フラグが折れますよに。私に平穏な日々がやってきますようにと。


「わお、金貨を躊躇ためらいなく入れる人初めてみた。やっぱり伯爵令嬢は違うね」


「ビルの家はお金に余裕がないんですの?」


「うん。僕の父さんも爵位は一応あるんだけど、貧乏貴族でね。貴族の中でも地位は高くないんだ。ちょっとしたお金持ちの平民より稼いでないかもね。だから、僕はスラバドールを卒業して、力をつけるんだ。そして、パイソン家を名門貴族にするのが夢なんだ」


 そう語るビルの横顔は先ほどまでのあどけない少年の姿とはうってかわった。大人の男性のような真剣な表情をしていた。貴族だからってお金持ちとは限らない。名門スラバドールに通う生徒たちだって色々な事情を抱えているんだね。


「さて、そろそろお腹空いたし、ご飯でも食べようか。僕のいきつけのお店があるんだけど来る?」


「ええ。いきますわ」


 私はビルのオススメのお店に行くことにした。だが、この時自分の選択を後悔することになった。そう、ビルのキャラ設定をきちんと覚えてさえいれば、こんな危険なことには首を突っ込まなかったのに。


 ビルは大衆食堂へと顔を出した。私は貴族の出だからこういった大衆食堂に顔を出すのは初めてだ。なんとも庶民的で懐かしい感じがする。モニカならこの大衆食堂を下賤げせんなものとして扱うだろうが、私には前世の記憶がある。むしろ、こういう雰囲気のお店の方が落ち着くかな。


「いらっしゃい。お、ビルちゃん。彼女つれかい?」


 食堂の店主らしき人物がビルに親し気に話しかけてきた。ビルも名門ではないとはいえ、貴族の出。そのビルをちゃん付けするとは、この店主は恐れ知らずのようだ。


「いや、彼女というより友達かな。今のところはね」


 ビルは無駄に含みを持たせるようなことを言った。今の所? 私もしかして狙われてる? そう思うとちょっとドキドキする。こんな可愛らしいナリでもビルは一応男の子だ。それを意識するとなんか妙な気持ちになる。


「ビルちゃん。いつものやつでいいかい?」


「うん。お願い」


「そちらのお嬢ちゃんはどうする?」


「えっと……ビルのと同じのでいいですわ」


 初めて来る店。メニューがなにがあるのかわからない。なら常連のビルのと同じのにしておけば少なくてもハズレは引かないだろう。そう思っていた。


 数分後、私はその選択を後悔することになった。


「はい。キャロライナ・リーパーのリゾットね」


 はい? キャロライナ・リーパー? それってとてつもなく辛い唐辛子ですわよね。え? このリゾット真っ赤なんですけど? 食べられるのこれ本当に?


「うめ……うめ……」


 ビルは何事もないように食べている。え? 大丈夫なの? そう思って私はリゾットに顔を近づける。すると湯気が鼻の中に入る。それだけで強烈な刺激が脳を破壊し、私は咳きこんでしまった。


「な、なんなんですのこれは……」


「ん? モニカさん。食べないの?」


 その前にこれ食べられるの? 人間が食べても大丈夫なやつ? 死なないかな?


「あ、ごめん。もしかして辛いのダメだった?」


 ビルが捨てられた子犬のような目で私を見てきた。その潤んだ瞳を見ているととてもギブアップする気にはなれなかった。


 ええい! 私も漢女だ! いたいけな少年を悲しませるようなことはできない。覚悟を決めるしかない。


「いえ。辛いのはむしろ大好物ですわ。いただきます!」


 私はスプーンでリゾットを掬い、それを思いきり口の中に入れた――


 辛い!! 辛い辛い辛い辛い! やっぱ辛れぇわ!


 なんなのこれは! 食べ物なの? 本当に? なんでビルはこんなものを平然と食べられるの? おかしい。口の中が焼けるように痛い。これ最早拷問でしょ。危うく、また転生しかけたじゃない!


「どう? おいしい?」


 ビルが笑顔でそう尋ねてきた。うう、この天使のような笑顔を裏切るわけにはいかない。


「え、ええ。とっても美味しいですわ」


「良かった。口に合わなかったらどうしようかと思ったよ」


「ソンナワケ ナイジャナイ デスカ。 ワタシ ゲキカラ マニア デスワ。アハハ」


 私は気合でリゾットを完食した。私は漢女だから我慢できたけど、とっても辛かった。乙女じゃ我慢できなかった。


 なんとかこの境地を乗り切った。そう、今思い出したけど、ビルはとても激辛マニアだったのだ。原作の漢女ゲームでも、主人公のディアナが激辛に翻弄されるシーンがあったっけ。その時はゲームだから当然私には辛さは伝わなかった。けど、実際に体験するとこうも地獄とは……


 ビル、恐るべし。


 ちなみに私はその日の夜、本当の地獄を味わうことになった。腹の中のキャロライナリーパーが私に反旗を翻して死ぬかと思った。激辛は二度刺す! そのことは二度と忘れないだろう。

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