第16話 大切な好敵手のために

「オラァ!」


 私はサンドバッグに向かってパンチを放った。すると一撃でサンドバッグが破損して中の砂が飛び散った。


「これよりもっと丈夫なサンドバッグはないんですの?」


「凄いなモニカちゃん。ますます腕力に磨きがかかっている。しかも拳にスピードとキレがある。パワーとスピードの相乗効果で破壊力が凄まじいものになっているな。もう俺じゃとてもじゃないけど敵いそうにない」


 ケンは無残な姿になったサンドバッグを見つめて、私をそう評した。事実、私はここ数日で強くなった。しかし……


「それでもディアナには勝てませんわ」


 ディアナの名前が出た瞬間に空気が張りつめた。今、この場にいる私、ケン、ヨシツグ。この三人はディアナと戦って、彼女の恐ろしさを嫌という程味わった。恐らくディアナならこのサンドバッグは小指一本で破壊できるだろう。それくらいの実力差はあると見ていい。


 私が強くなっているのと同じようにディアナも修行をして強くなっているはずだ。ディアナは努力を怠らない天才。少しでも私が鍛えるのをやめたら、差は開く一方だ。尤も鍛えている現状でも、差はどんどん付けられているような気がしないでもない。


 でも、私は諦めたくない。漢女には例え勝てないと分かっている相手にも立ち向かわなければならない時がある。


「とりあえず、今日の朝練はここまでにしようか。モニカ君、ケン君。そろそろ授業が始まる」


「ええ。後少しでなにかを掴めそうな気がしましたが、授業があるのでは仕方ありませんわ」


 私たちは器具を片付けて道場を後にした。器具の片付けは大切。これを怠る者は漢でも漢女でもない。いや、むしろそんなだらしない奴は乙女ですらない。


 教室へと向かう途中、またビルに出会った。ビルとは昨日デートしたばかりだ。激辛料理を食べさせられて酷い目にあった。思い出しただけで尻から火が噴き出そうだ。


「モニカさん。おはよう」


「御機嫌ようビル」


 相変わらずの人懐っこいショタっ子スマイルを私に投げかけてくるビル。可愛いを通り越して天使か。


「最近よく会うね」


「ええ。そうですわね」


「モニカさんと会えただけで今日一日元気で過ごせそうだよ」


「もう、そんなこと言って!」


 そんなこと言われたら私の方が逆に元気になっちゃう。そんな風に言ってもらえたのは初めてだ。


 しかし、妙にじれったい。なぜだろう。本来ならじっくりとゆっくりと距離を詰めていけばいいはず。なのに、私は今凄く焦っている。


 私は既にケンとヨシツグの技を手に入れている。けれど、ビル、ロディ、ダリオの技は手に入れられてないままだ。未だ折り返し地点にすら立っていない。


 言い方は悪いけれど早く技をよこせとビルに言いたかった。どうすれば手っ取り早くビルの好感度を稼げるんだろう。早くビルの好感度を上げてビルの技をモノにしなければ。後がつっかえているんだ。


 ディアナは強い。攻略対象五人の技を合わせたところで勝てるかどうかわからない。けれど、技がなければもっと苦しい戦いになるのだ。ビルの技を得られないという事態は避けたい。


 ケンもヨシツグも戦ったことで好感度を上げた。ケンはちょっと男性機能を虐めてしまったので、好感度は下がってしまったけれど。それでも、その後はデート一回で好感度が回復するほど大きなアドバンテージを得られた。


 なら、ビルとも戦うべきなのだろう。ビルと戦えばきっと好感度が大幅に上がるはずだ。もう既にデートイベントを済ませている状態なら、きっと技を覚えられるほどの好感度が溜まるに違いない。


「ビル。わたくしと試合をしませんこと?」


「え?」


 ビルはハッとした顔を見せる。そして、私の発言を理解したのか、表情が曇る。え? 私なにかまずいこと言ったのだろうか。


「い、嫌だ……」


「ビル?」


 ビルは両手を交差させて左右の腕を掴みガタガタと震え出した。


「やだ……怖い。やめて……モニカさんも僕を虐めるの? 嫌だ。もう許して。僕がなにしたって言うの……助けて。言うこと聞くからもうお仕置きしないで……」


 ビルは濁った目でぶつぶつと言葉を発した。なんだこの異様なまでの怖がりようは……


「ビル……」


「近寄らないで!」


 私がビルの肩に手を置こうとした瞬間、ビルは私の手を払いのけた。パンという乾いた音が廊下に響き渡る。


 私が呆気に取られていると、ビルは正気に戻ったのか目に光が戻った。


「あ、ご、ごめんなさいモニカさん。えっと……僕たち、しばらく会わない方が良さそうだね」


 それだけ言い残すとビルはそそくさとその場を立ち去ってしまった。


「ビル……一体なにがあったんですの?」


 私の知っているビルとは明らかに様子が違った。私がゲームをプレイした時は、ビルは主人公ディアナの申し出を断ったことは一度もなかった。どんなに忙しい時でも無理矢理時間を空けてくれて戦ってくれるようなキャラなのに、なにかがおかしい。


 悪役令嬢のモニカだから拒否されたというわけでもなさそうだ。ビルはモニカを慕ってくれている。だから、特別嫌われているとは考えられない。


 私は色々と思案を巡らせながら前進した。すると、私の疑問はすぐに解決することになった。


「おはようビル。元気?」


「あ、あ……」


 私の前方にいたのは、先程立ち去ったビルと私の宿敵であるディアナがいた。ビルはディアナを見て酷く怯えている。


「ビル。今日も試合いいかな?」


 ディアナはビルの肩に手を置きそう問いかけた。その言葉から圧が感じられて、ビルに無理矢理肯定させようとする意思が感じられた。


「え!? そ、そんな……」


「まさか、私の誘いを断るんじゃないでしょうね?」


「ち、違う。だ、大丈夫ですから……今日試合できます。だから、その……」


「うんうん。素直ないい子は好きだよ。今日はお仕置きなしだね。軽いトレーニングで済ませてあげる」


「あ、ありがとうございます」


 お仕置き? このビルの異様な怖がりようは明らかに異常だ。まさか、ディアナはビルに対して酷いことをしているの!


「ディアナ!」


 私は思わず叫んでしまった。令嬢にあるまじき叫び声。もう自分のキャラクターなんかどうでもいい。私は好敵手とものためなら品性を捨てられる!


「モニカ? なんか用?」


「モニカさん!?」


 私に対して敵意を剥き出しにしているディアナと私を見て驚いているビル。


「その貧民くせえ薄汚い手をビルから離しやがれですわ」


 自分のキャラを崩さないようにディアナに喧嘩を売る。ハッキリ言ってここでディアナに喧嘩を売るのは自殺行為だ。けれど、私の中に流れる漢女の血がビルを助けろと脈打っている。


「なに? なんか誤解してないモニカ? 私はただいつものように試合をするだけだよ? 私が本気出したらサンドバッグもすぐに壊れちゃうからね。だから、頑丈な人間相手じゃないとトレーニングにならないんだよ。それを快くビルが協力してくれるってわけ。ねえ、ビル?」


「ねえ、ビル?」の言い方は一見優しそうなお姉さんのような声色のように聞こえる。しかし、それは返答次第では優しくしてやるぞという脅迫めいたものだ。


「は、はい。僕は……」


 ビルは言葉に詰まっている。ビルの中でなにか葛藤しているものがあるのだろう。そして、ビルは大きく息を吸い込み覚悟を決めた表情をする。


「僕はこの女に無理矢理試合を組まされてるんだ! 僕が拒否するとお仕置きと評して必要以上に痛めつけられて」


 酷い。酷すぎる。嫌がる人間に無理矢理試合させるなんて。それも自分のトレーニングのため。それだけのために。この女どこまで外道なんだ。こんなやつ主人公の風上にも置かせておけない。


「ビル。アンタ今なんて言った?」


 ディアナが鬼のような形相でビルを睨んだ。ディアナの手がビルに伸びる。その所作を見て、私の体が勝手に動いた。


 私の飛び膝蹴りがディアナの顔面に炸裂する。いきなりのことでディアナは吹き飛んでしまった。ディアナが私に蹴られた箇所を抑えて、私を恨めしそうな目で見た。


「ビル。よくおっしゃってくれましたね。大丈夫ですわ。これからはわたくしが守ってさしあげます。今まで辛かったでしょうね。気づいてあげられなくてごめんなさい」


「モニカさん……ありがとう……ありがとう」


 ビルは私に頭を下げた。ビルはディアナに試合と評して今まで傷つけられたから、試合という単語に拒否反応を起こしてしまったんだ。こんなになるまで人を追い込むなんて許せない。


「モニカァ!!」


 ディアナから物凄い気迫が感じられた。全身を剣山で撫でられているようなそんな感覚を覚える。


「ふん。別に試合の相手は誰でも良かったの。ヨシツグでさえなければね。彼以外だったら、どれだけ痛めつけても心が痛まないし、嫌われても構わないから」


 ビルがディアナの試合相手に選ばれたのはただの不運ということか。


「興が削がれた。今日は学校を休んで山に行くよ……ビルの代わりにクマをボコボコにしにね」


 それだけ言い残すと、ディアナは私たちとすれ違い生徒玄関の方に歩いていった。クマさん逃げて―!

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