第九話◇武術と武道
(* ̄∇ ̄)「剣道が剣術から産まれて、竹刀競技として特化したのはわかった。んで、武道と武術の違いって何? 剣道と剣術みたいな違い?」
武道と武術の違い、か。
武道は、広義には古武道を含み、狭義には明治維新以降に古武術から発展したもの。
人を殺傷、制圧する技『術』に、その技を磨く稽古を通じて人格の完成をめざす、といった『道』の理念が加わったもの。
術というのが、術理、技術、つまりは技やテクニックというもの。
道、という字が入ると、その術理や理念などを通して、生き方や人の在り方を学び追求する、という意味合いとなる。
(* ̄∇ ̄)「『道』が入ると、哲学っぽくなる?」
そうとも言える。華道、茶道、書道、柔道、空手道、合気道、戦車道と、『道』の字が入るものは、生き方、考え方、精神修養の面などが強調される。
( ̄▽ ̄;)「最後のひとつは、何?」
げふんげふん。
道という字は事物や世界、人生等の本質に迫ろうとする、生き方、考え方を意味するものだ。
(* ̄∇ ̄)ノ「迷わず行けよ、行けばわかるさ」
その、道、も一人のプロレスラーの生き様、在り方に繋がったから名言として残るわけだ。
道、という漢字がつけばそういう感じになる。武道、武士道もまた同じ。
反対に道の字がつかないものは、武道になる前の古武術などは、技術論、テクニックの追求の為のもの。
(* ̄∇ ̄)「武道が精神論で、武術が技術論?」
その二つを完全に分離してないものもあったり、また、武術とは何ぞや、武道とは何ぞやというのはその解釈が、それぞれの個人や団体で違う為に、なんとも言えないところがある。
大まかには、
道のつくものは哲学、
術のつくものはテクニック、
と、区別するといいだろう。
例えばテニスでも、上手くなるために技術を学ぶうちはテニス術で、テニスを通して人と関わること、社会と関わることを深く考えるようになったりとか、テニスに打ち込むことで、ものの見方や考え方が変わった、というのであれば、テニス道、と言えるんじゃないか?
宮本武蔵の五輪の書は、兵法書として合理的、論理的と言われ、五輪の書に学ぶビジネス書などもあったりする。
これは宮本武蔵が、関ヶ原の戦い、大阪の陣、島原の乱と数々の実戦を経験した武芸者であるから、ではないだろうか。
武術、というのものは戦う為の技術であり、戦場にて生き残ることが目的のもの。死んでしまえばそれまでで、生き残り手柄を立てたとしても、その為に手や足を失うような大怪我をすれば、次の戦に出られなくなる。
乱戦の中を生き残り、可能な限り傷を負わぬように、なんとか死なぬようにする為の技術。戦場を生き抜く為の護身術というのが武術であった。
徳川が天下を治め、戦国の世が終わると武士は困ることになる。
(* ̄∇ ̄)「なんで? もう戦乱は無くて、二百年以上続く平和な時代の支配者階級でしょ、江戸時代の武士って。何を困るの?」
いざとなれば敵と戦い民を守る。故に特権があるのが武士。しかし戦が無くなれば、戦う相手がいなくなる。武術を修めても振るう機会が無くなっていく。
腕っぷしだけだとダメだ、となり文武両道と言い出すのも平和な時代だから。
平和な時代、戦争の無い時代に、戦う技術を身につけて、民を治める武士とは? と悩んでいき武士の生き方、在り方を問い、武士道となっていくのも、乱世が終わったから。
(* ̄∇ ̄)「平和になって存在意義が揺らいで、悩むことになったから武士道が産まれたと」
戦が無くなった時代の武士は、禅や仏教、神道、儒教などを取り込み、平和な時代の武士の在り方を模索していく。
武術が技術論だけでは無く、精神的なものが取り込まれるのもこの頃。戦場を無くした武士が精神論を武術に取り入れていく。
(* ̄∇ ̄)「精神論って? なんだか怪しい自己啓発セミナーとか、カルトみたいな?」
実際に身につける技よりも、心構え、気構えのほうが大事と、極端になる流派などもあったりする。
ここから、気、というのを一段重要視する流派などが現れる。
鎌倉時代には、身心一如、と身が心よりも前に来ていた。これが江戸中期頃から、心身一如、と心が身の前に来るようになった。
戦国の時代には身を心よりも重視していたのが、平和な時代には、心を身よりも重視する考え方へと変化していった。
切腹、というのも精神が肉体を制御しようとするもの。肉体の苦痛と死を精神で支配しコントロールしよう、という心優先の思想の産物と言える。
( ̄▽ ̄;)「ハラキリもブシドーか……」
ちなみに、鎌倉時代には『腹が減っては戦はできぬ』と言っていたのが、江戸時代には『武士は食わねど高楊枝』と、痩せ我慢を美学とするようになっていく。
(* ̄∇ ̄)「あ、都合で使い分けてるのかと思ってた。時代が違うのか」
戦があるのは江戸時代より前になるだろ。現代ならば、個人の美学により使い分けると良いのではないだろうか。
腕っぷしだけではやっていけない時代。侍がその存在意義を自ら問い、侍としての技、武術と思想を組み合わせ、武士道、武道となっていく。
(* ̄∇ ̄)「なるほど、まんが道も人生哲学な訳だ」
この『道』の部分を大切に伝えよう、というのが伝統。そして、どの分野でも講師として人気のある人は、『術』を教えながら『道』の部分を伝えられる人だったりする。
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