第十七話◇殺陣、チャンバラ
今回は殺陣の話。チャンバラともいう。
(* ̄∇ ̄)「スポーツチャンバラ?」
競技としてのスポーツチャンバラでは無く、見世物としてのチャンバラだ。剣劇とも言う。時代劇では必須。
(* ̄∇ ̄)「ジェダイの騎士!」
それの語源が時代劇だとも言われる。剣劇映画が世界にサムライ、ニンジャを広めた訳だ。
だが時代劇の人気は低下。撮影するロケ地の不足。カツラに衣装と現代ドラマと比べれば費用がかかる。スポンサーもつかない。今では大河ドラマ以外の時代劇は少なくなった。
(* ̄∇ ̄)「テレビではよく再放送してるみたいだけど」
チャンバラごっこで遊ぶ子供も少なくなったものだし。
ここは私が通った太刀廻り稽古会、和太刀、の話をしよう。
和太刀主催の清水さんと出会い、古流の剣術に興味があった私は和太刀に通うことに。
殺陣師の清水大輔 先生は七歳の頃から子役として活躍。仮面ライダーでショッカーに連れ去られる子供などやっていた。
助けてV3! と叫んでいた。
(* ̄∇ ̄)「古いなー、それがなんで殺陣師?」
日本大学芸術学部、殺陣同志会で殺陣を学び、1998年に殺陣集団『和太刀』を結成。
『侍本来の動きや日本古来の伝統文化に込められた失われた動きの復活』
清水さんは殺陣を日本の文化のひとつとして後世に残そうと活動している。
清水さんは、偽物を演じるには本物を知らなければならない、と古流の剣術を研究している。
私が和太刀に通ったのは古流の剣術の型が、やってみておもしろかったこと。清水さんの術理の説明が丁寧で解りやすかったこと。
刀だけで無く、薙刀、槍、小太刀、十手、柔術、居合といろいろと教えてもらった。
取り分け柔術の型から抜き出した体術の稽古が多かった。
(* ̄∇ ̄)「型稽古って、おもしろいの?」
私はもともと人と話すのが苦手なたちだ。今で言うコミュニケーション障害に近いだろうか。
型は居合以外では二人一組で行う。
始めは教えられた手順をなぞってするものだが、段階が進めば動きの質を高めるものになる。
隙のあるところに打ち込む、となれば相手に打たせるには隙を見せて、打ち込みたくなる動き方をしなければならない。型を行う二人の間の取り合い、動きの読み合いになる。
柔術の型では皮膚感覚が重要にもなる。相手に触れる手から相手の重心の位置に、神経を尖らせて鋭敏にならないといけない。
これは言葉を使わない、身体と身体のコミュニケーションだ。
(* ̄∇ ̄)「あー、言葉のコミュニケーションが苦手なボッチが、言語外コミュニケーションでのやり取りなら、相手と会話できると。それにハマったと」
実際、効果はあると思う。相手の動きに神経を配り、何をしようとしているか読むとか、こちらの動作で相手の反応を、動きを引き出すとか。
あとは剣劇の見世物として。例えば一対一の対決を見世物にするには、目の前の相手とのやり取りも重要だが、客からどう見えているのか、というのも考えないといけない。
そして言葉で説明しなくとも、表現するのが、何事かを伝えるのが見世物。
殺陣をやってみた経験として、人と人の関係性、コミュニケーションというものを違う視点から見ることができたのは、自分にとって良い経験だった。
(* ̄∇ ̄)「まさか殺陣でコミュニケーション障害が治ったの?」
うーむ。私は剣術の型、組太刀が好きなだけなんだが。殺陣がおもしろいと続けているうちに、清水さんが殺陣師をする舞台で、斬られ役が足りないのでやってみる? という話になった。
役者になるつもりも無く、楽しいからと続けていたら、何故か舞台に出ることになった。混乱しながらもやってしまった。
人前で大声を出すのも恥ずかしくて無理、と言っていた私が、大勢の人が見ているところで、斬られて死んで、うぎゃー、と叫ぶのが、できるようになってしまった。
いつの間にか会話への抵抗感が少し無くなった。
(* ̄∇ ̄)「オッチャンみたいな経験する人って、あんまりいないんじゃ?」
そうかもしれない。えーと。
剣術、柔術の型でもそうだが、身ひとつで目の前の相手と対峙する。それには一手一足を慎重に使わなければならない。これに比べると話をする方が怖くない。
また、大勢の人が見ている前で斬り合い殺し合いの見世物をする。それもお金を払った客が見に来るところで。恥ずかしいとか言ってられない。本番はライブで一発勝負。失敗して金返せー、とはなりたくない。
今、思い出してみると初舞台は必死になって、心臓が破れるかと思った。
そんな経験をすると、人と会話をするのがちょっと楽になった。
言葉でコミュニケーションとるのが苦手なら、言葉を使わないコミュニケーションを試してみるのもいいと思う。
(* ̄∇ ̄)「まぁ、対人戦もコミュニケーション? だったら空手とか柔道とかテニスとか卓球とかもそうか」
武道にスポーツはそういう側面もあるのでは無いだろうか。
私にとって殺陣が良かったのは、勝敗を決める試合が無いこと。勝ち負けを競わないこと。
あえて言うなら見てる人が楽しめれば勝ち。
清水さんいわく、芝居は人と人の関係性をドラマとして見せるので、柔術の型が芝居の演出に役立つ、とのこと。
(* ̄∇ ̄)「柔術の型で演技力アップ? 聞いたこと無い」
型そのものが役立つのでは無くて、型から学んだものが応用できる、ということらしい。
それと柔術の型から取り出した体術の稽古で上手い人、感覚を掴むのが早い人は、芝居で間の取り方が上手い人とか、漫才でツッコミのタイミングの取り方がいい人、だったりする。
( ̄▽ ̄;)「武術の型で漫才のツッコミが上手くなる? なにそれ?」
どちらも人の体感する時間の感覚とか、肌の感覚が鋭い、ということ。視界に入る相手の間を計るのが優れている、ということ。
逆を考えると解りやすいだろうか?
他人の事がどうでもいい。視界に入る人が何を言おうと、何をしようと気にならない。テンポも考えない、空気も読まない。
こういう人のする漫才はおもしろいだろうか?
(* ̄∇ ̄)「違う意味でおもしろくなるかも。なるほど、人と人のやり取りが上手いか下手かってこと?」
戦闘も会話も行き着くところはそこ、じゃないかな。私はそこまで極めてないので、未だに解らないことも多いが。
殺陣集団『和太刀』はユーチューブで見ることができるので、殺陣に興味がある人は見てみて欲しい。
ちなみに殺陣師、清水大輔 先生の殺陣指導、アクション指導した舞台。
『ロック・ミュージカル ブリーチ』
『マジすか学園~京都・血風修学旅行』
『
ミュージカル『刀剣乱舞』
舞台『カードファイトヴァンガード』
マクロス ザ・ミュージカルチャー
( ̄▽ ̄;)「え? チャンバラ? 殺陣? ええ?」
まさかカードファイトヴァンガードの舞台で、古流の武術の型が役に立ってるとは思うまい。
( ̄▽ ̄;)「おう、デカルチャー……」
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