第七話◇剣道をオリンピックに?


(* ̄∇ ̄)「剣道はオリンピック競技にはならないの?」


 それは無理だろう。


 例えばオリンピック競技の柔道と比べてみると、柔道の場合。ルールを抜粋してみると。


『投技の場合、相手を制しながら、背を大きく畳につくように、相当な強さと速さをもって投げた場合に一本とする』


 これが剣道だと。


『有効打突とは

 充実した気勢、適正な姿勢をもって、竹刀の打突部で打突部位を刃筋正しく打突し、残心あるもの』


 と、なっている。剣道は審判の判断に委ねる部分が多すぎる。そのために解りにくい。

 世界公式ルールにするには、判断しやすく解りやすい基準に変えないといけなくなる。

 これが相撲のように、土俵から出たら負け、足の裏以外が地についたら負け、と素人目にも解りやすい競技であれば問題無さそうなんだが。


 充実した気勢とは? 適正な姿勢とは? 残心とは? この部分をどう判定するのか。

 このため、剣道の世界大会では審判をできる人が少ない、審判の水準が低いという問題もある。


(* ̄∇ ̄)「フェンシングみたいに、電触で判定すればいいじゃん」


 センサー式電気審判器を導入して、竹刀が当たったかどうかだけ判定すると解りやすい。

 しかし剣道では、当たっても声が出てないと一本にならないとか、残心が無いと一本にならないとか、また、当たっていなくとも気勢と残心から一本となるケースもある、というルールだ。


(* ̄∇ ̄)「ルールを変えたらいいんじゃないの?」


 剣道関係者はルールを変える気は無いらしい。そこを変えると剣道の伝統、剣道の精神が変わるのが嫌なようだ。

 ルールを大きく変えないといけないなら、競技として世界に広まって欲しくない、ということらしい。中にはルールを変えなければならないのなら、オリンピック競技になるのは反対という人も多い。


(* ̄∇ ̄)「なんで? 世界に広めたく無いの?」


 剣道愛好者にとっては、剣道が海外で広まるのは、競技では無く日本の伝統文化として、というのが良いらしい。


 剣道の理念として、


『剣道は剣の理法の修錬による人間形成の道である

(財)全日本剣道連盟 昭和50年3月20日制定』


 剣道指導の心構えからの抜粋として、


『竹刀の本意


 剣道の正しい伝承と発展のために、剣の理法に基づく竹刀の扱い方の指導に努める。

 剣道は、竹刀による「心気力一致」を目指し、自己を創造していく道である。「竹刀という剣」は、相手に向ける剣であると同時に自分に向けられた剣でもある。この修錬を通じて竹刀と心身の一体化を図ることを指導の要点とする。


 礼法


 相手の人格を尊重し、心豊かな人間の育成のために礼法を重んずる指導に努める。

 剣道は、勝負の場においても「礼節を尊ぶ」ことを重視する。お互いを敬う心と形(かたち)の礼法指導によって、節度ある生活態度を身につけ、「交剣知愛」の輪を広げていくことを指導の要点とする』


 と、いうのが剣道というものだという。


(* ̄∇ ̄)「これだと、試合が要らないんじゃない?」


 剣道は高尚で、教育と人格形成に役立ち、もう見世物にもショービジネスにも戻したく無い、というのが剣道関係者の本音、ではないだろうか。


 試合の無い武道としては合気道がある。技と伝統と礼式を受け継ぎ、次代に伝えるものとして、合気道に勝敗を競う試合は無い。

 伝統を受け継ぐ、という点を重要視すれば、試合を無くしてしまうのが良い。


 試合のある武道としては、柔道、空手など。これらは解りやすく判断しやすいルール作りに、見世物としてもアリなものとして、ルール変更も適宜行われている。


 柔道で2017年から変更されたルール


・有効の廃止、

・一本、技あり、のみとなる。

・合わせ技一本の廃止。

・指導4回反則負けが指導3回で反則負け

・抑え込み10秒で技あり。一本は従来とおり20秒、有効は無い。

・試合時間が男女とも4分間(今までは男子5分)

・「技あり」が同数の場合は延長戦(今までは指導の数が少ない方が勝ち)


 

 柔道の勝敗とは一本勝ちに拘る、というのが柔道らしさ、ということらしい。また、観客から見ても豪快な一本勝ちが増える試合は見所があるだろう。

 試合とは見映えもまた重要な要素。

 観客から見て勝敗に納得しやすく、また、試合を見てやってみたい、と思う少年少女が増えれば活気づく。


(* ̄∇ ̄)「伝統とショービジネスとの軋轢? 葛藤?」


 剣道はその点、どっちつかず。試合も重要で伝統も重要と、両方取ろうとしてどちらも中途半端というもの。

 気勢、姿勢、残心を無くしてしまい、当たり判定をするセンサー式電気審判器にすると、競技として観客にも見やすくなるだろう。

 しかし、そうすると剣道では無くなるようで剣道関係者は嫌なようだ。剣道未経験者から見て、どこで一本取ったか、何故あれが一本では無いのか、と、解りにくい方が通好みで剣道として良いものらしい。


 このあたり相撲は見せ方を作りつつ、伝統としても受け継いでいるわけだが。


(* ̄∇ ̄)「あ、相撲で外国人力士が日本人力士より強くなったりとか。モンゴル相撲やってた人の方が強いとか。昔に外国人力士が横綱になれないとかで揉めたりしたりとか。もしかして剣道もそういうの警戒してるの?」


 そういう邪推もしてしまいそうになる。先程のセンサー式電気審判器にルール変更した場合、フェンシングの選手が参加すると剣道の選手よりも強くなりそうだし。


 礼節を尊ぶことを大事とするなら、勝ち負けを競う試合はやめてしまってはどうだろうか。

 試合で勝ち負けを競うスポーツにしたかったら、ルール変更をして解りやすい競技に変化してはどうだろうか。


 一度決めてしまった剣道のルールが、なかなか変更することができない。または、剣道関係者にルールの変更をする気が無い。する必要が無いと考える人が多いために、今もそのまま続いている。

 剣道関係者の考え方が変わらない限り、剣道がオリンピック競技になることは無いだろう。


 全日本剣道連盟と国際剣道連盟は、剣道がオリンピック種目として採用される事に反対している。

 全日本剣道連盟、国際剣道連盟によると、


『剣道は純粋なスポーツとは一線を画する存在であり、精神性の高い武道として扱われるべきである』


 この主張により剣道はオリンピック種目として認定されないまま、現在に至っている。


( ̄▽ ̄;)「なんか、偉そう。俺達は違うんだぜ、的な……」


 彼らは剣道はスポーツとして扱われたくは無いと言う。だからと言って、竹刀剣道のもとになった、古流の剣術の技を復活させよう、というものも無い。


 伝統を大切に、と言うなら刃引きをした刀で寸止めでの練習を、通常の稽古に取り入れてみてはどうだろうか。

 竹刀はもともと刀の代用品なのだから。

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