第二十一話◇日本の文化


 さて、剣道がかつての剣術から産まれ、竹刀稽古のみが剣道へと発展した訳だが。

 これは剣術から見るとかなり極端なものだ。


(* ̄∇ ̄)「刀じゃ無くて竹刀専用になったから?」


 剣術の中には居合、柔術、小太刀、十手、薙刀などいろいろあって剣術となる。竹刀での試合にのみ特化した剣道は、刀を使う技術、身体を使う技術から見ると歪となる。

 これが学校で学ぶということであれば、国語だけ勉強して理科も算数も社会もほったらかしというものだ。


(* ̄∇ ̄)「でも、スポーツってそういうものじやない? バスケとか、サッカーとか、どれもひとつの競技の為に特化するものでしょ?」


 剣道がスポーツだというならそれでいいのだが。スポーツでは無く武道だと言う。

 竹刀での試合の勝負よりも、交剣知愛、剣道を通じてお互いに理解し合い、人間的な向上を計ることが目的だという。その為にオリンピック競技となることは団体が反対している。


 武道なのかスポーツなのか、伝統なのか競技なのか、そこをハッキリさせろ、と言うと、そこがハッキリしていないところが、剣道の良いところというわけだ。

 これはある意味で日本人らしさの良い面が剣道に出ているとも言える。


(* ̄∇ ̄)「剣道に見る、日本人らしさ?」


 和をもって尊しとする日本人の特徴として、白黒をハッキリさせない曖昧さ、というのがある。

 おもてなし、恥の文化、全体の調和を第一とすることで、行儀が良く治安が良い。暴動も無ければデモも少ない。

 世界から見える日本の良いところに繋がる。

 大人しく個性の無い全体主義。

 一方で個人の責任は問わない、責任が全体に分散し集団の中で責任者がいない、というのも日本人の特徴だ。


 ジャーナリストにして政治学者、カレル・ヴァン・ウォルフレンの著書『日本の権力構造の謎』にはこの日本独自の責任者不在の権力構造が、外国からの観察からユニークに紹介される。

 王の独裁制でも誰が悪いか、誰が責任者かは明白。そんな歴史を重ねた外国から見て、日本では外から見て誰が権力者か分からない、というのは奇妙に見えるようだ。


 幕末において、外国人が日本人に何か話を持っていこうとしても、何処に責任者がいて誰に持っていけばいいのかよく分からない。

 これは今でも国外から言われることで、日本型の組織とはその権力構造がよく分からないところが特徴になる。

 将軍と天皇、どちらがキングなのか?


( ̄▽ ̄;)「ショーグンかテンノーかと言われても、キングってどういうの?」


 ある点では平等にすることでできる相互監視社会。責任と権力が共同体の中で巧妙に分散する。こうしてできる和を持って尊ぶという、共同体社会。


 英語でのtycoonタイクーンは、実力者や大物を意味する単語だが、その語源は日本語の『大君』だ。これは英語に同じ意味の権力者が存在しないことで、日本語をもとにして産まれた英単語だ。


 同様に相互監視社会から産まれた恥の文化。他人に相対することを怖れる対人恐怖症は、日本に顕著な文化依存症候群とされる。

 そのためDSM(アメリカ精神医学界による精神障害の診断と統計マニュアル)の分類でも対人恐怖症は英語でTKS、Taijin Kyofusho Symptomsと書かれている。


( ̄□ ̄;)「対人恐怖症は英語でもTaijin Kyofushoなの? 日本人だけなの?」


 日本人に多く見られるのは間違い無い。同様に引きこもりも日本の文化から産まれたので、英語でも、Hikikomori、という外来語になっている。2010年の夏にイギリスの辞書に、hikikomoriという単語が掲載されたことが一部で話題になった。

 対人恐怖症も引きこもりも日本の文化として海外に輸出されたわけだ。


( ̄▽ ̄;)「そんなマイナスイメージを日本の文化とは言いたくないなー。kawaiiとかならありだけどさ」


 引きこもりについては日本以外の先進国でも増加しているようなので、日本は引きこもりについては先進国でもトップクラスとなるか。


 話を戻して、日本の権力構造の中の権力と責任の分散。この曖昧さが日本の文化の特徴となる。責任者不在の共同体を優先するものの考え方が日本人らしさの一面となる。

 先程の剣道で言うと、武道なのかスポーツなのか競技なのか伝統文化なのか、ハッキリしろ、と言えば、


「昔から剣道というのは、こういうものだ」

「誰もおかしいとも問題があるとも思わない」

「これまでのやり方を受け継ぎ、伝えるのが剣道の文化でそれが伝統だ」


 だいたいはこういう応えだろう。

 ここに日本の良さがある。


(* ̄∇ ̄)「いやまあ、やってる人がおかしいと思ってなければ、それでいいんじゃない?」


 こういう日本の曖昧さを居心地が良い、と感じる外国人がいる。

 例えばアメリカでは、常に白黒ハッキリさせないといけない社会で、自分の意見をしっかり言う個人主義が大事とされる。

 毎日が他人との競争であり、中には気を張ることに疲れてしまう人がいる。

 そんなアメリカ文明について行けなかった人が日本に来て、ホッとするらしい。

 物事を曖昧なままにして良いのだと、白黒ハッキリさせずに問題を先送りにしてもいいのだと。

 そんな日本に来てみて、居場所を見つけたように感じたりするらしい。


( ̄▽ ̄;)「今回、どこにケンカ売ってんのさ?」


 日本型社会を未来に残すには、何が日本らしさかを明確にすることも必要じゃないか? 特に今後、観光に力を入れ海外からの観光客を呼ぼうとするなら。

 徳川幕府が二百六十四年も続き、近代に至るまで二百年以上の平和が続いた日本。これは世界の歴史を見ても類するものはなかなか無いだろう。

 そこには責任と権力の所在を曖昧なままに、共同体を優先する社会がその一助であったのではないか。


 まぁまぁ難しいこと言わずに、これまでこうしてやってきたのだから、これからもこんな感じでいいでしょ。ま、この辺で一杯どうぞ。

 と、うやむやに流してしまうのが、日本の良いところなわけだ。衝突を回避して争いを減らす。


 また、この曖昧な共同体の無言の押し付けが、個人の自信を失わせ、対人恐怖症、引きこもり、若者の自殺の多さ、という日本らしさにも繋がるものではないか。


( ̄▽ ̄;)「そこも日本の特徴なのかも知れないけどー、何処に踏み込んでんの? 怒られるよ?」


 できれば嫌われたくは無いが、嫌われることを怖れては意見をすることもできない。


 日本の剣道の特徴としては、西洋文化から来たドイツ式の良い姿勢を日本の武術らしい正しい姿勢と、剣道好きな外国人にも指導するところにある。


(* ̄∇ ̄)「和魂洋才、いいものは取り入れようってのも、日本らしさなんじゃない?」


 宮本武蔵の自画像は、あれは西洋的な良い姿勢か? 胸を張ってもいないし、首から頭がやや前に出ているのだが。

 明治に西洋から入ってきたドイツ式のいい姿勢を日本の伝統文化、と言っているんだが。そこは気にしないらしい。


 日本人の特徴を現す一例としては、イングリッシュガーデンがある。これが日本で流行したことがある。


(* ̄∇ ̄)「日本でも観光名所になってたりするよねー。自然を感じる庭園って」


 イングリッシュガーデンの特徴としては、自然との渾然一体。人が手を入れたような直線や左右対称が無い、ナチュラルな庭園。これがお洒落だと日本でイングリッシュガーデンが流行した。

 ところがこのイングリッシュガーデン。昔のイギリス人が山形県の農村をモデルにして作られたものだという。


(* ̄∇ ̄)「え?」


 イングリッシュガーデンが日本人の感覚に合うのも、もともとは山形県の農村だから。それを海外輸入のイングリッシュガーデンと呼ぶからお洒落な感じがするわけだ。


( ̄▽ ̄;)「そりゃ、山形県式庭園というよりは、イングリッシュガーデンというほうが、ハイカラさん? あー、山形県の皆さんゴメンナサイ」


 皆が、なんだかいい、と言えばその起源がどうでも良いまま、一斉に傾くのも日本人らしい曖昧さ。この無節操な感じも日本の良さと言える。

 最もその中で、ひとつ物事を突き詰める個人の奇人変人も多いのが日本人の特徴。


 日本の剣術の流派の中に雖井蛙せいあ流というのがある。江戸時代の剣客、深尾角馬が起こし、鳥取藩で伝承され、現在は鳥取市指定無形文化財。


 井の中の蛙、大海を知らず、という言葉があるが、この雖井蛙流はその真反対。

 深尾角馬が、


「井の中の蛙といえども大海を知っている」


 と、いう意味で雖井蛙流平法と称した。


( ̄▽ ̄;)「いや、何言ってるかワカンナイ。その深尾さんがカエル好きな変な人というのは解った」


 変な人、というなら近代ではイグ・ノーベル賞。

 人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究に対して賞が与えられるのがこのイグ・ノーベル賞だ。


 1991年にノーベル賞のパロディーとして創設され、アメリカのハーバード大学で毎年授賞式が開催されている。本家ノーベル賞と同じ物理学賞などの分野のほか、栄養学賞、心理学賞など様々なジャンルがあり、これまでに日本人研究者が多数受賞している。


 2018年のイグ・ノーベル賞の医学教育賞には、長野県の昭和伊南総合病院に勤務する堀内朗医師が選ばれ、これで日本人の受賞は12年連続となった。


(* ̄∇ ̄)「イグ・ノーベル賞なんて初めて聞いたけど、どんな研究なの? ノーベル賞のパロディ?」


■床に置かれたバナナの皮を人間が踏んだ時の摩擦係数を計測した研究


 馬淵清資、2014物理学賞


■ピカソとモネの絵を見分けるハトの研究


 渡辺茂、1995心理学賞


■心臓移植をしたマウスに、オペラの『椿姫』を聴かせた所、モーツァルトなどの音楽を聴かせたマウスよりも、拒絶反応が抑えられ、生存期間が延びたという研究


 内山雅照、2013医学賞


■35年間に渡り自分の食事を毎回撮影し、食べた物が脳の働きや体調に与える影響を分析した研究


 ドクター中松義郎、2005年栄養学賞


( ̄▽ ̄;)「……うん、変人だ」


 他にも皮肉や風刺が理由で賞が授与される場合もある。例えば、水爆の父として知られるエドワード・テラーは


「我々が知る『平和』の意味を変えることに、生涯にわたって努力した」


 として、1991年にイグ・ノーベル平和賞を受賞した。

 1995年には、フランスのジャック・シラク大統領も、


「ヒロシマの50周年を記念し、太平洋上で核実験を行った」


 これでイグ・ノーベル平和賞を受賞した。

 1999年の科学教育賞は、進化論教育を規制しようとしたカンザス州教育委員会、並びにコロラド州教育委員会に贈られた。


Σ( ̄□ ̄;)「アカンやつ! それ、映画のラズベリー賞みたい!」


 カラオケ、たまごっち、バウリンガルといった商品も受賞したことがあり、日本はこれまでに23組がイグ・ノーベル賞を受賞していて、日本は変人研究者世界一位でもある。

 日本人には変人が多いという証明でもある。


( ̄▽ ̄;)「……今回、ひどいなー、何をディスってんの?」


 ディスるつもりは無いのだが。

 空気を読め、長いものには巻かれろ、という共同体の在り方から、治安が良く暴動も起きない日本。これが表の特徴とすると、その反面。社会に合わせることができずに、対人恐怖症、引きこもり、若者の自殺も多いのが裏の特徴。

 そして共同体から逸脱する個性から、奇人変人も多いのが日本人の特徴でもある。


 今の社会、システムに馴染めず、自殺を考えてしまう人がいたら、いっそ奇人変人になってしまってはどうだろうか。

 これが普通、これがマトモ、なんて押しつけてくる共同体も、その起源や理由のことを詳しく知らない人達ばかりだ。


 真面目に剣道に打ち込んでいる人も、それが明治の西洋文化の影響で変質したとも知らずに、昔からある日本の伝統文化だと、看板を掲げて満足している。

 そして剣道以外でも、日本とはわりとこういう民族性なのだ。

 そんな、なんとなくそれっぽいというだけの空気に潰されて、自殺を考えるほど悩むことも無い。

 それが許されるくらい、日本とは曖昧でいい加減な国なのだから。ハッキリ決めずに問題は先送りに、権力は集団の中で分散し責任をとる個人はいない。

 

 そんな共同体に馴染むことができなければ、外に出てしまえばいい。

 世界で最も奇人変人が多いのも日本の特徴。


 井の中の蛙といえど大海を知っている。

 そんな雖井蛙流が鳥取市指定無形文化財。

 真面目に悩まなければならない程に、ちゃんとしていないのが日本の文化というものだ。


(* ̄∇ ̄)「そして、それが気に入らないとエッセイで毒を吐くオッチャンみたいな変人がいるのも、日本の特徴ってことだね」


 奇人と開き直れば、これはこれで楽しめるものだ。

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