第六話◇剣道の姿勢 歩き方の昔と今


(* ̄∇ ̄)「オッチャン、剣道に何か恨みでも?」


 いいや? ただ、小学校、中学校と剣道を習い、そこで剣道がどのような物かを知っただけで。


(* ̄∇ ̄)「例えば?」


 先輩が一年下の後輩に試合で負けたのがムカついたのか、その後輩の自転車を壊したり、人の竹刀を折ったりする。人の小手をゴルフのように竹刀で飛ばして遊んだりして、どぶに落としたりして、ボロクソにしてくれたりとかな。


( ̄▽ ̄;)「それは、オッチャンの先輩が人間のクズで、だけど、剣道してる人みんながクズってものじゃ無いだろうに」


 剣道の先生も体罰大好きで、小学生の女の子を蹴り倒して泣かせてたぞ。剣道に長く打ち込んだ人間は精神が歪むらしい。


(* ̄∇ ̄)「そんな人ばかりじゃ無いと思うけど。ええと、それで剣道否定派に?」


 私は剣道否定派では無い。ただ、剣道というものを調べたときに、おかしなことがいくつもある。しかし、剣道をしている人は、それに気がつかないか、気がつかない振りをしようとしているのか、それともおかしいと感じていないのか。

 どうやら奇妙なことに疑問を感じないらしい。もしくは、それがおかしいと言うのは剣道界の権力者を怒らせるから、気を使って黙っていよう、というものなのか。


 例えば、剣道の姿勢。胸を張って、腰を反らせて竹刀を中段に構える。


(* ̄∇ ̄)「うん、いい姿勢」


 あのいい姿勢、ドイツ式。


(* ̄∇ ̄)「え?」


 明治以降、日本に入ってきた西欧式のいい姿勢とスポーツ的な腰の反り方。

 だいたい剣術で刀を振り下ろす為の姿勢は、胸を大きく張ったりしない。胸を下ろして腕を長く使うようにする。胸を張って腰を反らせた姿勢では、腕がつかえて刀を下まで振り下ろせない。


 鍬を地面に振り下ろす体勢を想像してもらえると、解るだろうか?


 剣道にはルール上、腰から下への打撃が無いから、竹刀は振り下ろす必要が無い。

 また、一文字腰や橦木の足といった剣術の構えでも、腰が反ったりはしない。

 短距離走のように胸を張り腰を反らせるいい姿勢は、昔からある剣術の姿勢では無く、ドイツ式の気をつけと行進の姿勢からできた構え方だ。

 今の剣道の姿勢は、昔ながらの日本の侍の構え方では無く、明治以降、日本に入ってきた西欧化の影響でできている。


(* ̄∇ ̄)「そうなの?」


 まぁ、明治以前と明治以降で、日本人の身体の動かし方にも変化があったし。昔の日本人の身体動作を現代に再現するのも難しい。

 昔の日本人は手を振らずに歩いていた。


(* ̄∇ ̄)「ナンバ歩きって奴でしょ?」


 そう、胴体を捻らない歩き方。これができないと着物を着て動くときに着崩れする。ウエストで捻る動きをすると、ボタンも無く帯で止めてるだけの着物は、簡単に着崩れする。


 今では着物を着る習慣も無くなり、着崩れを気にしない動き方が当たり前になり、日本剣道形に残る剣術の形の動きも、その意味も、理解して実感できなくなった。

 理解してもそれは実際の剣道の試合とは無縁の物となった。


 その中で、軽い竹刀で速さを競う剣道には、古流の剣術の姿勢よりも、ドイツ式の良い姿勢の方が相性が良かったらしい。


(* ̄∇ ̄)「日本の伝統文化の剣道が、ドイツ式の姿勢だったとは……」


 伝統はその団体の中で通じる共同幻想でもある。


 明治維新直後は、武術は文明開花にそぐわない野蛮な物として排斥された。国技である相撲でさえも、文明開花の世の中に、裸踊りとはけしからん、と相撲禁止論が主張された。

 武家社会が無くなる中で武術の在り方が変わる。


 やがて武術は軍事的な役割が再認識され、富国強兵から軍国主義になる流れの中へと取り込まれていく。

 武術が軍の強化に都合良く、内容が改変されることになる。

 西欧から取り入れた力学で纏め、複雑精妙な術理は喪われる。

 柔術から講堂館柔道が発展したのもこの流れだ。


 そして戦後はアメリカ軍によって武道が禁止される。これは徐々に解禁されていくが、この中で武道のスポーツ化が加速する。

 しかし完全にはスポーツとはならず、伝統、精神修養、という部分を強調する物になる。

 武術としての術理を喪いながら、軍隊式の反復訓練を取り入れ、やたらと根性論を唱える。武術から武道へと。ここからいわゆる体育会系へと発展する。


(* ̄∇ ̄)「体育会系って、戦後産まれなんだ」


 伝統とか精神とか、目に見えない物を掲げて根性論で押し通す。技術論や技の研究よりも、根性での反復練習を良しとする。軍国主義の負の遺産が体育会系とも言える。


 こうした中で剣道は、江戸時代の剣術から見て、身体の使い方、動きの質も大きく変わり、スポーツ化したものへと変化した。

 幕末五百流とも呼ばれた多くの剣術の流派、それが今は現代剣道一流派になった。

 

( ̄▽ ̄;)「五百から一とは、極端な……」

 

 伝統を大事に、とか言いつつも一度傾くと一斉に皆が変化してしまうのも日本人の特徴。

 日本の伝統と言いながらもそこに残る和の部分は何処にあるのか、これを追求する剣道家は少ない。

 それならそれで剣道もまた柔道のように、公式競技として、またはスポーツとして変化してもいいと考えるのだが。

 剣道関係者にとっては剣道という伝統を大事にしたいらしく、競技としては謎なルールが残り変化はしない。


(* ̄∇ ̄)「剣道の試合の謎ルール?」


 例を上げれば、掛け声にしても気勢を判断するのは審判の感性頼りで、音量として何デシベル以上か、といった誰もが分かりやすい規準に変えたりはしていない。


 変えたくない剣道の伝統というものが、本当に日本の伝統なのか。もとを辿れば見世物、ショービジネスから始まった掛け声を、大事に伝統として残すのは何故か。西洋から輸入した姿勢にフットワークの、何処が日本の伝統なのか。


 この部分に反論のある剣道が好きな方には、違うというのをエッセイで書いてもらいたいと思う。

 剣道人口が減少することを憂うなら、剣道のいいところ、剣道の魅力などを分かりやすくアピールしてみてはどうだろうか?


 おまけで、一応、言っておくと、姿勢で反り腰は腰痛の原因になるのと、送り足を踏ん張って頑張り過ぎると、左足アキレス健断裂になりかねないので、気をつけて欲しい。

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