第八話◇剣道が受け継ぐもの


(* ̄∇ ̄)「オッチャンが剣道嫌い、というのはわかったけど」


 あのな、小僧。ただ嫌いなだけならこうしてエッセイにして、世に出したりとかしない。

 かつての日本の剣を残すのに現代では剣道一派しか無く、だからこそ伝統と精神を受け継ぐならもっとちゃんとしたらどうかと、一石投じたくなったわけだ。


(* ̄∇ ̄)「じゃ、オッチャンはどうしたいの? オッチャンがくらったような。体罰とイジメを剣道から無くすようにすればいいの?」


 それもあるが、そのような精神性があるのは何故か。指導者や先輩が教え子、後輩に体罰、暴力を行うのは何故か?

 礼法、礼式が大事と言いながらその指導ができてないところが多いからだ。


 剣道の稽古が試合に勝つための反復練習ばかりになっている。

 これがスポーツであるならそれでもいいが、


『剣道は純粋なスポーツとは一線を画する存在であり、精神性の高い武道として扱われるべきである』


 という主張をするなら、その精神性の分野の指導をおろそかにしてはいけない。


 これは私の知り合いで、総合格闘技をしていた人の話だが、その人のジムに子供が一人参加した。

 その子の親が、武道でこの子に礼儀を身に付けて欲しい、ということで子供に習わせようとしたわけだ。

 これで私の知り合いは困ってしまった。


(* ̄∇ ̄)「なんで?」


 彼、いわく、


「ジムは格闘技のテクニックとか鍛え方とか教えるところで、それは、先輩に挨拶するとか教えたりはするけれど。歳上を敬うとか、ちゃんと挨拶するとか、姿勢よく礼儀正しくするとか、そういうのは家庭で親が子供に躾て欲しい。礼儀作法を学ぶなら、茶道とか、華道とか、日舞とかの方がいいのではないか?」


 と。


( ̄▽ ̄;)「あー、なるほど」


 野球教室に子供を連れて行って、「うちの子をサッカー選手にして下さい」とお願いするようなものだろうか。


 試合のある競技では、そこでの練習とは基本的に試合に勝つための練習になる。

 剣道も例外では無い。


 剣道の理念というのも、また、剣術の名残を残す剣道形も、昇段試験の前に引っ張り出してきてちょこっとやるだけだ。筆記試験と剣道形演武の為に。どちらも通常の剣道の練習で、研究したり学んだりとかはしない。

 剣道形は剣道において体得が必須とされているが、現在、剣道形は昇段審査や公開演武のためだけに付け焼刃で稽古されることが多く、竹刀稽古に比べて軽視されている。


 これがまるで、剣道の精神とか伝統というものを神棚に上げっぱなしにして、使わずに飾って拝んでいるようにも見えてしまう。


(* ̄∇ ̄)「伝統とか格式って、そういうものなんじゃない?」


 名ばかりで実が無い。看板と中身に偽りあり、だ。

 剣道の精神、伝統を大切にしたいなら通常の稽古から、理念と精神性と歴史を学ぶ座学や、剣道形の練習を増やしてはどうだろうか。

 剣道の歴史に成り立ち、精神論に技術論、かつての名人の技の研究など。剣道形から見る剣術の身体動作の研究など。

 これをおざなりにして、試合に勝つための反復練習ばかりをしている。それでスポーツとは一線を画する、とか言っていても口先だけに聞こえる。

 日頃の練習内容の何処に理念やら精神やらがあるのか。竹刀での試合に勝つための練習しかしていないのに。


 中山博道 先生の言葉を紹介させてもらう。

 昭和の剣聖と呼ばれ、現代剣道の成立に影響を与えた、剣道師範いわく、


「選士連の竹刀捌きは、私から見て器用につきてはいるが、所詮あれは竹刀捌きで、忌憚なく申し述べれば、及第点をつけられる者は只の一人といない。よって竹刀選手権と改称されたがいいとさえ存じている。あんな攻防は日本刀ではとても思いもよらぬことであって、非常識も甚だしい。(中略)剣道が竹刀踊りの遊戯化したものに落ちないことを願う」


「竹刀競技で少しも差し支えない、難しいことはいうな、と一部の人々は言うが、元来この二つ(注:竹刀稽古と形稽古)は昔時においては一本であって、この一本が武道といわれた。二つに分けたことがそもそもの誤りで、武道に新古はない。この区別は大変な誤りで、竹刀即ち剣道も古武道即ち各流の形も皆一体となるのが当然である。恐らく今日の若い修業者は、竹刀で稽古を修めていることと、形や居合等の他の各流の教えとは別個なものであると考えられるに相違ない。これは私等の重大な責任と深く御詫び申しあげて置く次第である」


( ̄▽ ̄;)「剣道を作った人? が、謝ってる?」


 中山博道 先生は、1912年、剣道形制定委員の一人に選ばれ、大日本帝国剣道形制定に尽力した人物。

 戦後は形式的に剣道団体の名誉職に名を留める。1957年、全日本剣道連盟から初の「剣道十段」授与を打診されたが、十段制度に反対し、受け取らなかった。


 剣道の精神性というものは、剣道を残そうとした先達の精神を受け継ぎ伝え、遺すものであるべきでは無いだろうか。

 それならば剣道の通常稽古で、剣道の歴史を学ぶ時間をとった方がいい。同様に礼法、礼式についても日頃の練習に取り入れるといい。

 居合に形といった、竹刀のもととなった刀の扱いを研究するのも良い。


 それがめんどくさい、竹刀での試合の勝ち負けを競うのが楽しい、というなら、ルールを変更し、競技として分かりやすくし、竹刀選手権と名称を改めた方が良い。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る