魔族

 その女は、まるで空にいるのが当たり前かのように滞空していた。

 群青色に近い青色の肌、人間には絶対に無いであろう握られて二対の翼。紛れもなく人型なのに、人を外れているヒトガタ。


 ──悪魔。もし地球で言うなら、その言葉が一番似合うであろうモノが空中の遥か彼方に浮かんでいた。


「勇者にしては随分と弱々しい魔力だけど……もしかして、目覚めかけなのかな?」


 ゆっくりと少しずつこちらに近づきながら、投げかけられる疑問が耳を通り抜けていく。

 内容などしっかりと理解できない。その穏やかな声からは本来感じることのないであろう恐怖はさながら、死へのカウントダウンが聞こえて来るかのよう。


 全身に鳥肌が立ち、震えが止まらない。全貌の掴めない恐ろしさだけを、本能は伝えてくる。


「貴様ら魔族デモーアに、わざわざ言ってやる義理があると思うか?」

「無いわね。正直、貴女に聞く理由も薄いし」


 毅然とした態度を保ちながらも、すでに刃物でも放ったかのような鋭さの言葉。それをあっさりと流していく女。

 ……種族名を持ち出したところを考えるに、個人の嫌悪では無いのか?


「ねえ坊や。君、良ければ聖剣を見せてはくれないかしら?」

「──へっ?」

「聖剣よ、せ・い・け・ん。もし君が勇者なら、持ってないはずはないでしょ?」


 いや、持ってないんだけど。

 そもそも俺が勇者なのか、自分でもよく知らないんだけど。


『おい小僧。聞こえるか』

「──ひっ」


 不意に脳を揺らす音に、驚きから声が漏れそうになるのを懸命に堪える。……一体、なんだ?


伝達テレパーシだ。今から指示だけするから、声を出さずに聞け』


 多分魔法か何かなのだろうと、強引に納得しながらクリアさんの声に耳を傾ける。


『合図をしたらこの道をまっすぐ走れ。そして馬車まで戻ったら、すぐに乗り込むんだ』


 それは一体、どういうことで──。


「ま、軽く追い込めば見せてくれるでしょう」

「──走れ!!」


 クリアさんの言葉を聞いた瞬間、ピストルを鳴らされた陸上選手のように足が動き出した。


 合図があったからではなく、命の危機から一刻も早く離れたかった故の走り出しの早さに情けなくなりそうなくらい、今の自分は無様に逃げていた。


「逃すと思う?」


 背後から聞こえる、身も凍りそうなほどに冷たく平坦な口調。

 敵を相手取るのではなく、自分よりも下だと理解しその上で狙う──捕食者。


 向けた背から聞こえてくるバチバチとした音が、恐怖を更に増長させてくる。

 今どうされても躱す術なぞ俺にはない。最初の攻撃が見えなかった時点で、それは明らか。


 ──とにかく逃げる。それだけが、生き残る唯一の道に他ならなかった。


 

 言われるがまま、恥も外聞も投げ捨てて走り去ろうとする優馬。それをみすみすと見逃すほど、彼を狙う青肌の人間──魔族デモーアは甘くはなかった。

 人差し指に集まる青い光と音。バチバチと雷を落とす直前の雷雲の中のような音を鳴らしながら、少しでも遠くに逃げようとする優馬の足に狙いをつけようと、その指先を向ける──。


「余所見とは、随分余裕じゃないか」


 閃光が放たれる前に、魔族デモーアは軽く何かを避けるかのように少しだけ位置をずらす。

 直後に感じたのは何かが通り抜けていく風の鋭さ。何もないはずなのに、まるで鋭利な刃物でも投げてきたかのような感覚を感じさせてくる。


「風の刃ねぇ。少しは手練れってことかしら?」


 狙いは変わった。あの冒険者は少なくとも、今ここで放置して良い存在ではないと理解した。

 溜めた光はそのまま彼女に向け、その命を奪うべく放出されるが──クリアには届かない。


 ──剣を振った。少なくとも魔族デモーアの目に見えたのはそれだけの動き。

 けれど、一度見れば十分。己の青光を防いだのかはすぐに理解できた。そして──。


「これならどう?」


 魔族デモーアは余裕を崩さず、今度は無数に周辺の無数の青い光を作り出し、そのすべてがクリアに向けて放たれる。

 雨のように数えるのも億劫になるくらいの数だが、クリアの顔色は全く変わることはない。先程より少しだけ強く振る──それだけで、すべてが吹き飛ばされる。


「あらすごい。でも、これで終わり」


 これっぽちも思っていないとわかるくらいの言葉を吐く魔族デモーアの手には、先程と同じように青い光があった。

 ただし、今度は規模が違う。先程のが豆電球サイズだとすれば、今度は槍。優馬ならば触れただけで死にそうなくらいにバチバチと轟く一本の光の槍を、魔族デモーアはクリアに向け放る。


 音すら置き去りに──雷の如く迫り来る光槍。触れれば即死、常人なら諦めるよりも早く貫かれる速度が、クリアの命を刈り取ろうとする。

 

 だがクリアが動じることはない。この程度の危機ならば、飽きるほどに乗り越えてきた彼女が焦ることなどあり得なかった。

 銀色の刃に渦巻く風。まるで小さな台風を彷彿とさせる暴風を剣に纏わせながら、光槍に向かって振り抜く。

 

 風と雷。人が扱うには異常すぎる力の衝突。一瞬の拮抗の後に、刃と光の槍の両方共が散るが、それでも風は止まらない。刃の形となって空を突き進み、そして──。


「ぐうぅっ──!?」


 魔族デモーアの片翼を切り落とした。空を自在に飛ぶための象徴を奪ったのだ。

 痛みからか、地面に降り立つ魔族デモーアの余裕は既に消えていた。邪魔する石ころを見るかのような侮りは消え、目の前のクリアを見据えていた。


「どうした優魔アーク。こんな小手調べで終わりであるまい。これで終わりなら、劣魔レッサーよりも情けないぞ?」

「言うじゃない。小娘如きがっ──!!」

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