現実味のない大自然
とりあえずと気持ちを切り替えられるわけもなく、とぼとぼとクリアさんの後ろを歩く。
来るときに通った魅力的な屋台や店も、この絶賛下降気味のメンタルでは興味の触手すら伸ばそうと思えなかった。
歩く最中、無意識に腰に付けた一本の剣の持ち手に触れることが多かった。
さっきも盗難事件は、じぶんが思っているより強く響いていたのだろう。常にそこにあるかを確認しなければ、落ち着いて歩くことすら叶いやしない。
──こんなんじゃ駄目だ。これじゃ何も変わらない。
視線が四方へ飛ぶ。最初のような好奇心ではなく猜疑心に満ちあふれた、不審者のようなきょどり方。これじゃまるで、おもちゃを取られないように必死に抱きかかえ放さない幼児のよう。
かつてと同じ、視界に入り話しかけてくる人間のほとんどが敵でしかなかったあの頃のようだ――。
「よーう鎧の人。もう出るのかい?」
恐らくクリアさんに掛けられたであろうその軽い一言で、ようやく周りを見る余裕が生まれた。
大型のトラックなら軽く通れてしまいそうな大きな木製の門が、いつの間にか目の前にはあった。
「少しな。一週ほどでまた戻るつもりさ」
「そうかい。まああんたなら心配はいらないだろうがって……後ろの小僧は連れか?」
扉の横についている受付らしき場所から聞こえる大きな声。俺はいきなりでびっくりしたが、クリアさんは特に驚くことなく言葉を返していた。
「おいおい、来た時は、んな若ぇの連れてなかっただろう? ……まさか街中で捕まえたのか?」
「横から入っていたのを見かけてな。当てもなさそうなので拾ったんだ」
「……ああ、そういうことか。坊主、運が良かったな!」
何がおかしいのかわからないが、こちらを見て豪快に笑う受付の男。
……また俺が馬鹿にされる要素でもあったのか。今ならどんなさわやかな笑いも嘲りに捉えられる自信があるので、こちらを見るのは勘弁してほしい。
「……ほい、手続き完了っと。ちなみに何処行くんだ?」
「
「なーるほど。おい坊主! 死なねーように頑張りな。この人多分
軽口と共にがちゃと何かをを動かした音と共に、この大きな扉の左下――自分達のいるすぐそば辺りが少しずつ開いていく。
十秒ほどでそのじゃらじゃらという鎖を引きずっていたような音が止み、二メートルほどの人が通れる隙間がそこにはあった。……これ、全部が開くわけじゃないんだ。
「──おおっ」
通り抜けた先は鮮やかな緑の草原が広大に広がる世界。
泊まっていた場所も似たような所ではあったが空気が違う。人の営みから大自然への、明確な空気の変化が肌をざわつかせてくる。
もし
この晴天には似合わないほど自虐的な思考をしながらクリアさんに目を向けると、何やら箱のような物を地面に置いていた。
「少し離れろ」
箱からおおよそ十歩ほど離れながら、こっちに注意してくるので、何が始めるのだろうと置かれた箱を見てみようと目を凝らしてみる。
ちょっとした装飾の入った黒い箱。この少し遠い位置では、変な模様みたいなのが書いてあるのしかわからないが、ここからどうなるんだろうか――。
そう考えていると、突然ぼんという音と共に箱が開き、中から煙が出てくる。
こちら側に吹いてくる微風に乗った煙に、とっさに口を押さえ煙を吸わないようにする。
すぐに白煙が晴れると、その場に存在したのはその小さな黒い箱ではなかった。
先程の箱は、人がそれなりに入れそうなくらいの大きさで四輪に支えられている、馬の付いていない馬車のような形に変わっていた。
「そら、乗れ」
「は、はい」
目の前の変貌に唖然としながら、言葉のままにその箱の中に足を踏みいれる。
中は自身が思っていたより広く感じすスペースで、座り心地の良さそうな椅子や外の見える窓が設置されていた。
「そら、とっとと座るが良い。よろけるぞ」
「えっ──?」
どういうことだと思ったその時、外からがたっとした音と共に衝撃が俺の体が揺らされる。
急ブレーキした電車の中にいるようにふらついたみたいに、後ろにあった椅子に尻餅をつく形で腰を落とした。
「ってぇ」
「早く席に着かんからだ」
クリアさんの呆れにも近い声色も辛いが、それ以上に気になるのが窓から見える景色だ。
まるで速い速度を出しながら動く車から見るように、鮮やかな緑色の草原が走り去るように流れていく。
確かにタイヤは付いていた。けど馬はいなかったはずだ。
エンジンでも付いていたのか、それとも俺の知らない未知の技術でも使われているのだろうか。
「……どうやって動いてるんだこれ」
「気になるか。なら、窓から顔を出してみると良い」
クリアさんがすぐそばにある窓を軽く叩くと、透明なガラスが確かにあったはずなのに、反射して写っていた俺が消え、少し強いと感じるくらいの風が侵入してくる。
風が吹いてくるとはいえ自分の視覚が信用できず、本当に叩かれたガラスが消えたかなんてわからないのでゆっくりと顔を近づける。
そんな風に警戒している俺が滑稽であるかのように、視覚に嘘をつかれているわけもなく境はなかった。
顔を窓から先程よりもゆっくり慎重に出してみると、先程の微風よりも強い風に一瞬びっくりしながらも、これが動いている原因についてはっきりと理解できた。
──馬だ。紫色の輪郭をした半透明の二頭の馬がこのタイヤ付きの箱の引きながら、この大地を駆けていた。
一体どういうことだ。そもそもさっきまで馬なんて、どこにもいなかったじゃないか。
この馬もこの大きな部屋のように、先程の黒い箱から飛び出てきたのだろうか。
「
顔を部屋の中に戻すと、再び窓のそばをこんと叩きながら、あの馬について教えてくれるクリアさん。
だが、少し自慢気に話すこの人には大変申し訳ないのだが重要そうな単語についてが知識がないので、驚きようがない。
「……そうだな、そろそろこの辺で聞きたいこともあるだろう」
そんな俺の実情がわかっていたのだろう、どこか納得したように呟くクリアさん。
「喜べ小僧。次の目的地に到着するまでの間、質問時間というやつだ」
もし目の前の──この鎧の人間の表情が見えていれば、大層楽しそうな表情をしているのだろう。そんな調子でその言葉は投げかけられた。
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