神秘
あの命がけの初日からも変わることなく、森のサバイバルは依然として続行された。
そもそも一度死闘を乗り越えたからといって極端に強くなるなんてことはない。そんな理屈が通るなら、日本にいた頃でも超人染みた力を発揮できそうだ。
決意したからって肉体は頑丈にはならない。覚悟したからって毒には勝てない。
何処まで行っても人間の俺には、漫画のヒーローのような感情一つで覚醒なんてするわけないのだ。
──まあつまりだ。何が言いたいかっていうと。
「──どえりゃぁ!!」
獣一匹狩るだけでも全身全霊なのは変わりないということだけなのだ。
……いやまあ、随分と情けないのはわかってるけどさぁ。適当に雑な思考してないとやっていけないのだ。
「──ふう」
剣に付いている黒ずんだ赤色の液体を軽く振ることで払う。獣を殺すことにも随分と慣れた、気がする。
罪悪感はあれど、既に躊躇いはなかった。どうせ、こうして殺すのは襲いかかってくる獣だけなのだ。殺されるわけにもいかないとようやく思えるようになったのだから、もう反撃するしかないわけだ。
無論、その場に留まり続けるという選択肢はない。先日倒した鼠の死体が、次の日起きたら綺麗さっぱり消失していたからだ。
水だけで生きていけるわけもなく、生存したければ行動しなくてはならないのだ。
絶命した獣を片手に持ちながら、いつもの拠点である湖に足を進めていく。
幸いにして初日の鼠より強いと思える獣がいなかったのは運が良かった。とはいっても所詮は凡人。噛まれたり突き飛ばされたり、当然ながら負傷はした。
人間は素手の状態では大型の犬にすら勝てないと、どこかで聞いたことがある気がする。
全くもってその通りで、どの獣にだって一つ間違えれば簡単に息の根を止めてくるとわかる圧があった。
善も悪もない純粋な生存競争。かつてならまず出来ないであろう野生溢れる体験にも、少しずつ適応しているはずだ。
それに、強くなっていないわけではない。
ただ走るだけなら何キロでもいけそうなくらいには疲れを感じなくなった。木の実を取るため木に登るのも全然苦にならなく実行できた。割と重いはずの剣をぶんぶん振ってもどうということもなくなった。多分今日本に戻れば、無駄に動けるんだぜアピールしていたあのうざったるい運動部連中にも無双できるくらいには動けている自信がある。
クリアさんの地獄の訓練は間違ってなかった。というかひょろごみであった俺はあれくらいこなせる力が無ければ、この森では一日も持たないのだとと今なら十二分に理解できた。
あの人がどこにいるのかは知らない。もしかしたらすぐそばで俺を見ているのかもしれないし、どこか別の場所にいるのかもしれない。
はっきりしているのは、この森生活で一度たりとも助けるのたの文字すら感じられなかったことだけ。わかってはいたが、助け船なんか出しちゃくれないらしい。
今、俺の耳に聞こえるのは若干乱れている己の息遣いのみ。風一つ吹かず、森の木々が揺れる音すら聞こえやしない。
森に生き物が少ないわけではない。むしろ、オアシスなんて名が付いている程度には住み着いている獣も多く存在している。
……オアシス、か。所々で元の世界の単語と似たような言葉が混じるのはなんでだろう。たまたま一緒ということにしてもいいのだが、どうにも小骨がつっかかえたかのように気になってしょうがない。
この世界について知っていくごとに、俺は何かを知っている様な気がしてならない。特別世界史に詳しいわけでも、他の星の知識があったわけでもない。地球の日本という小さな島国のことすらほとんど知らないこの俺がだ。
そんな俺が何を知っているというのだ。僅かに同世代と比べてましだと言えるのは、学校を抜けて見ていた映画の知識のみ──。
「ん?」
映画、か。そういえば、俺が日本生活の最後は映画館にいたんだっけ。
そういや、あのとき見ていた映画もファンタジー物だったよな。案外あの映画の世界に来ていたりするのかもな。
自分でも馬鹿らしいと、ちょっとだけ口元が緩むのがわかる。実に緊張感のないことだが、こんな適当な考察が出来るくらいには余裕があるのだと良い方に考えとくことにする。
馴染みのある湖に戻ってこれたのは夕日もほとんど消えかけ、夜と言えるだろう時間帯であった。
ここに帰ってくるときはいつも暗くなってしまうのが、まるで残業帰りの社畜のようだと少し虚しくなりながら獲った獣を地面に置く。
適当に葉や枝を集め、ライターを取り出し火を付ける。
徐々に大きくなる火種を眺めながら、自分でもわかるくらいにすっかり慣れた手つきに嬉しいような悲しいようなよくわからない気持ちになる。
「あっ」
かちかちとスイッチをいじるが、もうこのライターからは火花すら出てくる気配がなかった。
どうやら結構長く使っていたライターが限界を迎えたらしい。まあ、たかが百均の発火装置が良くもここまで持ったと褒めるべきだろう。
……確か、これもあいつと買ったんだっけな。……懐かしい。
日本からの貴重な所持品とはいえガラクタを捨てる気にはならないのは、やっぱり捨てたくないからなのだろう。
鼻をつつく目の前にある良い感じに焼けている肉の匂いが、またナーバスになりかけていた俺の意識を注目させてくる。
ひとまず考えるのを辞め、体の中から押し寄せてくる食欲のままに目の前の食材に食らいつく。
味などどうでも良いと、割とデリケートであった舌も生臭い血の味に慣れてしまった。良い風に言えば、自然の味そのものだ。
血抜きとかすればましにはなるのだろうかと考えたこともあるが、残念ながらやり方を知らない。異世界に来て日本の知識を生かせるとかいう連中が創作上にはいるが、生憎と特筆すべき点のなかった中学生には関係のない話だ。
「──ふうっ」
まあ食えればいいのだと強引に納得しながら、最後の一口を放り込み食事を終える。
後は適当に休んで寝るだけ。それをこなしていくのが一番の生存の道──。
「……そうだ」
ぼんやりと、湖に写るまん丸なお月様を見ながらふと湧き出てくる欲望があった。
それは日本人にとっては当たり前の様にあった至高の贅沢。そして、この世界では一回も行っていない気がすること。
これをやれば間違いなく後悔する。少なくとも、利口だとはどんなに自分を甘やかしても愚かでしかないと理解はしていた。
──それでも、一気に溢れ上がってくる本能を抑えきれはしなかった。
身につけているすべての装備を外し、己の身を包む人の理性の象徴を脱ぎ捨てていく。
そうして生まれたままの姿に帰った状態で、意気揚々と湖まで駆けだして近づき──。
──飛んだ。まるで飛び込み台から全力でダイブするように、どこかの泥棒が目を奪われる美女の眠るベッドに飛び込むように全力で羽ばたいた。
ばちゃぁん!! とはじける水の音と共に冷たい水が肌の隅々に染みてくる感覚が襲ってきた。
久しく味わってなかった水に浸る感覚。それがたまらなく気持ちよい。
纏わり付いていたすべての汚れが、浄化されていくかのように一辺に剥がれ落ちていくのがわかる。それが、俺が如何に汚れていたのかをわからせてくる。
あまりの気持ち良さに、つい腕を回しながらバタ足をして泳ぎ始める。
最初の内はゆっくりだったスピード。しかしいつの間にかどんどんと加速していき、いつしか全力ではしゃいでいた。
いつぶりだろうか。久しぶりに、何も考えずに体を動かしている気がする。
思えば地獄という名の訓練の連続や、サバイバルに見せかけた放置プレーしか記憶にないのが辛い。
なんかこう、涙が出てきそうで仕方が無い。もしかしたら、顔を水につけているからわからないだけでもう出ているのかもしれない。
突如として、まさしく頭に冷水を掛けられたかのように冷静になる。
背中を水につけ、ぷかぷかと浮かび月を真上に輝く月を見ながらふと、考えてしまう。
それは将来への不安。遠い未来ではなく、近い未来のこと。
このサバイバルを乗り越えたとして、俺はどうなるんだろう。多少教えてもらったとはいえ、俺はこの世界では字すら書けない子供以下の知識力しか無いのだ。
確か、クリアさんが面倒を見てくれるのは一ヶ月だっけ。それからはあの王様に従って動くのかな。
不安しかない。何も考えないであの王城にもう一度踏み入れたら取り返しの付かないことになりそうだと、思いついただけで考えが止まらない。
もしかしたらこのまま逃げるのもありなのかもしれないなと、思ってもいないことを音に出し、それを自分で笑う。
……いつの間にか、大分浅いところまで流れていたようだ。
そろそろ帰ろうと、ゆっくりと立ち上がって戻るべき場所を探し始める──。
「……ああ、貴様か」
まるで心地良い鈴の音のような声。久しく耳に入ることのなかった人の言葉にそちらを確認する。
──そこには金色の髪をした、神秘がそこにはあった。
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