怪物vs怪物

 戦いから尻尾を巻いて逃亡した少年──秋瀬優馬の心の中は、既にマイナスの感情が大半であった。

 突如として現れたバケモノに命を狙われた恐怖、クリアさんに言われるがまま逃げ出した自分への情けなさ──つまりは弱い己への呵責。ぐちゃぐちゃに混ざり合い、泥のように侵してくる負の心に対して、目を背け誤魔化すように足を動かすことしか出来なかった。


 結局、どれだけ意気込もうとも体を鍛えようとも、腐った性根が変わることなどなかったのだ。


 少しでも離れたいと、戦場に背を向けながら必死に走って走って、そしてゆっくりと速度が落ちて──止まる。


 疲れたからでは決してなかった。理由なんて、自分でもよく分からなかった。


 振り向いて、先ほどまでいた方向がどうなっているかを確認してみた。

 自分でも随分と離れたと思ったが、それでもなお縮まることなく、より激しくなる光と衝撃が、心をすり減らしていく。


 あんなの俺が──人が踏み入っていいような戦いではない。

 次元が違う。そこに誇張などなく、純然たる事実として突き付けられていた。


 大人しく立ち去るのが正しい選択で、生き残るための最良。そんなことは誰にでも分かることで──罪悪感など抱かなくても良いはずなのだ。


 でも、それなら俺は、どうして足を止めたのだろうか。自分でも、理解できない。

 下らないプライド故か、それともあの人が心配なだけなのか。どちらにせよ、逃げ出した自分が持つにはあまりに分不相応な感情であると、理解しているはずなのに──。


『こんな世界で君は──一体どうしたいんだい?』


 脳の底にこびりつき、不意に蘇る友の声が、更に思考を迷わせる。


 やりたいこと、か。どうすれば良いんだろうな。

 ──ああ、けど。どうしたいのかは分からなくても。


『どんなふうに笑っていたいんだい?』


 その言葉になら、今なら返せる気がする。

 結局、自分がどうしたいかなんて一番知っているのは俺で、一番理解しているのもやっぱり俺なのだ。


 ……自分で考えろ、か。なら、そうしよう。──自分が決めて、歩き出そう。


 気づけば震えは止まり、再び足が動き出す。

 ただし先程とは向かう方向は逆──先程逃げてきた戦いの場。


 無謀なのは重々承知。何も出来ないかもしれないし、居ても足手纏いにしかならない可能性の方が高い愚行。


 ──それでもその少年の表情は、この異世界に来て一番の吹っ切れ具合を見せていた。

 それは紛れもない人間の歩み。流され逃げるだけの負け犬ではなく──傲慢にも矜恃を持ち、己の意志で情けなく歩く、凡人の決めた一歩であった。





 降り注ぐ雷の槍。可視出来るほどに大きく鋭利な凶器。豪雨のように降り注ぐそれを風で払い、焼き尽くしながら大地を駆け抜けるクリア。

 近づこうにも相手は空。少なくとも、一度のジャンプで届くほど低い位置ではない空中から絶え間なく魔法マギリスを展開している。


 クリアは体を止めることなく、この状況を打破するための思考を続けていた。

 このまま相手の魔力が途切れるまで続けるのも手ではある。如何に桁違いの魔力を保有しているといえども、これだけの規模の魔法マギリスを打ち続け、少なくとも余裕というわけではあるまい。


 だがしかし、余裕がないのはこちらも同じだ。風の刃は依然届くことなく、一つでも弾き損ねれば、この雷はいともたやすく私の命を奪うだろう。

 こちらも手段を選んでいる場合ではない。──ならば、やるべきか。やるべきだろう。


「──はあっ!!」


 五体のすべてに魔力を流し、爆炎が己を包みこむ。

 見ているだけで目を焦がし、皮膚を爛れさせそうな程の紅蓮。──だが問題は無い。私に流れる忌々しい血の半分が、醜悪極まりない血脈が、煉獄如きで消滅できるわけがない。


蛇炎風メルティンドっ!!」


 放たれる灼熱の嵐。大蛇のようにうねり渦巻く赤い竜巻が雷槍群を貫き、空高くに浮かぶ魔族デモーアを飲み込もうと突き進んでいく。


「──ちぃ!?」


 抜かれる。そう思ったときには既に、魔族デモーアの手は炎風の蛇に対応するべく、魔力を集中させていた。雷と同じ青色の障壁が何重にも展開し、迫りくる天災を防ぎきるべく魔力を込めていく──。


 魔力の壁と赫色の竜巻がぶつかる。今日一番の力の衝突。当然、けたたましいほどの轟音と衝撃が巻き起こる。

 天の怒り。十二環神オリュテギアの顕現。もしこの戦いを観る者がいたとすれば、奇跡か悪夢だと震え上がり、間違いなく人の手ではないだろうと断言するはずの天変地異。それが今、この瞬間に引き起こされていた。


「ぐ、ぐアァァ──!!」


 獣の如き咆哮と共に、魔族デモーアを守る障壁が、より一層強く輝きを放つ。


 拮抗は一瞬。その発光を皮切りに、少しずつだが風の勢いが衰えていく。圧倒的な暴風が霧散していき、嵐が過ぎ去ったかのように、完全に消失する。


「はあっー。これで──」


 なんとか耐え切った。そう確信しようとして──。


 たんっ、たんっ、と下で何かを蹴る音を耳が捉える。

 短い間隔で、だんだんと大きくなるその音の正体は、すぐさま視界に映る。映ってしまう。


 あいつだ。あの冒険者が空を蹴り、こちらへ向かってきていた。

 何もないはずなのに、そこにしっかりとした足場が存在するかのように力を込めて踏みしめ、こちらに向かって真っ正面に翔けている。


 羽のない飛行すら熟せない種族。だが、最早あれは走っているのではなく跳んでいる。瞬き一回の間にでも、己の間合いにまで踏み込まれると確信できるほどの速度で空中を移動していた。


「獲ったっ!!」


 突き出される紅の刀身が、魔族デモーアの生命の根本──魔核目掛けて突き出される。

 最早躱すことは不可能。回避しようにも、この刃は必ずどこかには刺さるだろう必殺の一撃だった。


「──なっ」

「油断、したわねっ!!」


  それでも、クリアの思い描いていたようにはならなかった。

 ──油断や慢心など無かった。そのはずだった。少なくとも、クリアが知るどんな魔族デモーアにも対処の出来ないであろう正面からの奇襲のはずだったはず。

 阻んだのは、ばちばちと音を鳴らしながら形成される青色の棒──先程、散々放られていた雷の槍。


 クリアの誤算。それは実に単純。この魔族デモーアが近接戦闘出来ると考えなかった──それだけのこと。


 剣を払うように槍を回し、その勢いを利用してクリアを下に叩き付ける魔族デモーア

 クリアもすぐに小さな突風の塊を出し破裂させ、吹き飛ばされることで距離を取ろうとした──。


補雷雲サネック


 帯電する黒い雲が、網のようにクリアの体を覆い尽くし呑み込んでいく。

 離れようともがくが、するりとすり抜ける。魔力で出来たとはいえ性質は雲であるそれを掴むことなど不可能。


 黒雲がクリアを捉えたのを確認して魔族デモーアは高く飛び上がる。雲すら届かぬ程の高度──己の最高高度に到達し、勢いを付けながら全力で落下していく。


「終わりよっ!!!」


 放たれる雷槍。天空からの落下、そして魔族デモーアの魔力によるブースト。二つの加速力を味方に付け着く進む凶器が、クリアのいる雲の中心に突き進んでいき──。


 一秒も経たずして、地上に衝突し地上に突き刺さる。

 大地は割れるほどの衝撃が地面を貫き、一部だけをくり抜いたかのように大きく穴が開いていた。


「──嘘っ」


 驚愕し、疲労のため息よりも先に声を漏らす魔族デモーア

 すぐに目に魔力を流し確認する。そんなことすら必要が無いが、それでも己の感覚を疑わずにはいられなかった。


 ──中心地。丁度槍が突き刺さった辺りに、彼女は立っていた。

 至る所から血を流し、剣を持つ右肩に穴を開け満身創痍であることは疑いようのない様。立てているだけで奇跡のような負傷のまま彼女。


 そんな有様の冒険者クリアを前にして、それでも魔族デモーアは油断など出来なかった。 

 未だ魔力は尽きることなく、暴風を幻視させるほどに荒れ狂う魔力。


 ──だが、魔族デモーアが驚いたのはそこではなかった。


「魔力が、増えている──!?」


 それ自体が一種の生命力であるはずの魔力。使えば疲労し、弱れば減るのが常識のはず。

 それなのに、増えている。あり得ない速度で上昇し、膨張しているのだ──!


 ぎろり、と得物を見定めるかのように向けられた視線。

 魔族デモーアには、あれが今まで戦っていたとは全く別の存在。そう見えるほどに、姿以外の何もかもが変化しようとしていた。


 最早慈悲など不要。──あれは今ここで、確実に葬らねばいけないほどに強大な敵だ。


 怪物クリアを中心に、青色の光が一つの魔法陣を描くかのように光り出す。

 それは先程までに落とした魔力。散ることなく地面に残り続けさせ利用し、巨大な術式を創り上げる──この魔族デモーアの奥義。


「昇れっ!! 極雷ネビュラっ!!!」


 ──黒色の雷が空を昇った。本来なら落ちるだけの自然現象が、天に向かって降り注いだ。

 どこまでもどこまでも、落雷を遙かに凌ぐ速度で空に向かって突き刺さり──見えなくなる黒雷。


 貫かれたクリアの手が、紅色の刀身をした剣をするりと零れ落とす。

 からんと鳴り響く金属音。それが、この戦いの勝敗を決める──決着の音だった。

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