救済の緑
あれからどれくらい経ったか。時計がないのではっきりとはわからなかったが、窓から見える景色の変化で随分と時間が経過しているのが推測できる。
外はもうすっかり茜色に染まり、あれほど何もなかった草原に少しずつ木が増えてきた気がする。
「──つまり、魔力は誰にでもあると?」
「そうだ。まあ
今の質問について回答を終えた丁度その時、少しだけ感じていたこの眠りを誘ってくる揺れが止まったのがわかった。
何かあったのか。まだまだ聞かなきゃいけないことが溢れているのだが。
「……質問はまた後日だ。到着した」
話を打ち切りながら立ち上がり、そのまま扉を開けて出て行ってしまうクリアさん。
……窓から見えるのは沈み掛けた夕日とその光を受ける木々。見るからに何もない場所だが、まさかここが目的地……?
「小僧! 早く降りてこい!」
「は、はい!」
あんまり機嫌を損ねるのも良くないと、急いで部屋から出る。
心地良い外の風に当たられながら改めて周囲を見てみると――。
「──すっげ」
この異世界に来てから何度驚いたことだろうか。少なくともこれが呆れるほど長い夢ではないのなら、これからも驚愕し続けるのだろう。
──そこにあったのは森。数えきることなど不可能なほどの木で、そこに入ることが無謀であると誰もがわかるだろう広大な森がそこにはあった。
こんな所には入りたくもないが、本当にここが目的の場所なのだろうか。
「……相変わらずの場所だな。この森も」
……残念ながら合っているようだ。本当に残念ながら。
「行くぞ。歩きながら説明する」
この自然の空間に余りに似合わない、銀色の鎧姿の人間が特に戸惑いを見せることなく森に向かって歩き始める。
本当は付いて行きたくなんてないのだが、いつの間にか乗ってきた箱も消えてしまった今、ここに置いて行かれると詰むのは明白。なら、おとなしく付いていくしかないのだ。
自分が取れる選択肢の少なさに嫌気が差しながら、ほとんど光のない森の中でクリアさんのそばにある、いつからか浮いていた小さな光の球を見失わないように歩く。
頭上に生い茂る無数の葉が夕日を遮っているこの現状。懐中電灯なんて持っていないので、頼れるのは荒れを除けばクリアさんだけなのはとってもまずいと思う。
「
アーフガンドってのは確かさっき聞いた。この世界の名前、元の世界で住んでいた場所を地球と名付けたみたいな感じだと思う。
初めに聞いた気はしなかったが何処で聞いたか忘れた言葉。受けるつもりのないテストの範囲に、そんな英語でもあったのだろうか。
そういや全く気にしたことはなかったけど、星の名前とかって一体誰が付けたんだろうか。……どうでも良いか、そんなこと。
それにしても、世界で最も多くときたか。
ならこの広さも納得できる。……できはするのだが、一体それが何だというのか。
「今日からは知識を蓄えてもらう。ここなら知っておいた方が良い植物を見つけやすい」
「……はあ」
この人は俺に山籠もりでもさせたいのだろうか。
二週に渡った肉体いじめやらトラブらせるために
……いや、多分そんなことはないのだろう。
恐らく悪気があろうとも、悪意だけでやっているのではないはずだ。でなければ、とっくに見捨ててるはず。
「──っ!!」
どこかの葉が揺れる音に、全身がびくっと反応してしまう。
……これ、もしかしなくても生き物も住んでる感じだよなぁ。今のが風で動いただけって考えるのは、流石に都合が良すぎるよなぁ。
早速後ろにアクセル全開な考え方になってきた俺などお構いなしに、何かを見つけたらしくしゃがむクリアさん。
それに合わせて光の球が彼女の手元を照らし出すので覗き込むと、三本ほど草を採っていた。
「これは
その草に付いていた花のつぼみの中が鮮やかな緑色の光を発し始めた。
「一時間ほど光を発する。夜目が効かない者たちが、魔力を用いずとも明かりを補える手段の一つだ」
それは便利な草だ。いや花か?
……どっちでも良いか。こんな大きな森で火を起こすわけにもいかないし、今の俺には必要な資源であることには変わりはないのだ。
「こっちの
いや、良く効くって言われてもなぁ。まず今の二つの葉っぱの見分けがまったく付かないんだけど。生憎、雑草がほとんど同じに見える系人間俺からするとほとんど違いとかわからないのだが。
手渡された二枚の草の形を気合いで脳に焼き付け、先程付いた
「それからあそこの──」
メモ、メモ、メモ。連続で説明される植物共について必死にメモしながら、記憶に留めようと努力する。
そんな俺のことなど気にすることもなく、どこぞのコンビニで見たブラックバイトも真っ青なくらいに次々と情報を叩き付けてくる。
「──と。大体こんなものか」
「──ふうっ」
「では次に、毒の強い植物について──」
ほっと一息ついたのも束の間、途絶えることなく説明は続いていく。
淡々と、一つ一つ植物について話されるのをメモをする。ひたすら板書するタイプの授業みたいな感じで、いつ終わるかわからないくらい繰り返し行われていくその動作に、段々と頭と指が疲れ始めてきた。
随時解説されながら更に森を歩く。気づけば僅かに見えていた空もすっかり暗闇に変わり、この明かりなしではほとんど見えなくなっていた。
「──はあっ」
疲、れた。もう、歩きたくない。お腹、減った。
あの肉体改造で付けていた枷はもうないはずなのに、走っていたときより疲労が貯まっている気がしてならない。
手に持っていた
「ふむ。今日はあそこで休むか」
前方に少し開けた部分が見え始めた所で、クリアさんの救いの一言が耳に入ってくる。
やっと、休める。ノンストップで歩きすぎて、もう軽く押されるだけで倒れてもおかしくはないへとへとだったから、助かった。
最後の力を振り絞り、ようやく見えていた森の隙間に到着する。
「──すっげえ」
広がっていたのは神秘。十数年の人生で最も綺麗な光景だと、回っていなかった脳みそが瞬時に感じれるくらいには幻想。夜空に浮かぶあの月――確かこの世界ではルナリアと名付けられたはずの夜の太陽。それが綺麗に反射する湖がそこにはあったのだ。
森の中であることは、周りを囲む大きな木々が何よりも証明なはず。しかし、どうにもこの空間だけは切り離されていると感じるほどに浮いていた。
完全に見入ってしまっていた俺。しかしすぐに、近くでぼっという何かの音が聞こえた。
そちらに目をやると、月の白い輝きとは違う赤い光源――火がクリアさんによって付けられていた。
「こっちに来い小僧。食事にするぞ」
もう少し景色を見ていたかったが、その言葉に反応した空っぽな胃が食事というワードを優先するよう脳に訴えかけてくる。
まあとりあえずご飯を食べようと、クリアさんの火を挟んで向かい側にどさっと腰を下ろした。
「そら。食べろ」
「……どうもです」
投げられたのはいつも通り、この異世界に来てから毎日出てくる肉と水の入った筒。そろそろ白米が恋しくなっては来たが、こんな森の奥で望むのはさすがにわがままだろうな。
せっかくだしと目の前の火で軽く炙ってから、肉の塊をゆっくりと味わって食べる。
見た目は小さいおにぎり一個分程度だが足りないなんてことはなく、不思議と満足感すら感じれるこの肉。これで味も良いんだから素晴らしい。
「……貴様は、随分と美味しそうに食べるな」
「美味しいですし。あと好きですからね。食べることが」
暖かみのある橙色の火を挟みながら、目の前にいるクリアさんに言葉を返す。
食べることは好きだ。学校に嫌気が差して親友と一緒に街へ逃げ込んだ時に、ゲームセンターや映画館と同じくらいには適当なお店に駆け込んでいたほどだ。
残念ながら作るのは苦手だ。確か一回、あいつにせがまれて試したことがあるが──。
『……うん。なんていうか、あれだね』
結果は散々。俺が初めて作ったオムライスの一口目の後に、あの女は目をそらしながら必死に言葉を探して誤魔化してきたのは今でも若干根に持っている。まあ、その後あいつもオムライスを食べたときに同じような反応をしたのだが。
……懐かしいな。あいつがこの世界にいたら、少しはましなんだけどな。
いや、そんなこともないか。あいつがいても今頃、愚痴と文句の言い合いが増えていただけだ。……はあっ。
「……そうか。まあ、まずいよりは良い」
あいつを思い出してまた少しへこんでいた俺に何かを察したのか、その言葉を最後にまた会話はなくなった。
しゃべれないほど疲れていると見られたのか、それとも興味が無いだけなのだろうか、どっちでも良いが触れないでいてくれるのは少し嬉しい。
獣の気配もなく、俺の前でぱちぱちと木が焼ける音にぼんやりと耳を傾ける。
目の前でゆらゆらと燃える火の熱と明るさが、ただただ身にしみてくる。
「……そろそろ寝ろ。まともに寝られるのは今日だけだからな」
不意に出たあくびの後、クリアさんに易しめに不吉な言葉を告げられるも、今は反応する気力も失せるほどに眠気が強くなってきた。
特に敷く物を持っているわけでもないので、その辺に落ちていた大きな葉で横になる。葉が思ったより厚く、割とでこぼこしている地面であっても意外と痛みを感じなかった。
「……精々励むが良い。そうすれば、こんな下らぬ世界でも──」
最後に何か言っていた気がしたが、その言葉が耳に入るよりも早く意識を手放していた。
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