仲介所

『自分が不快になりたくないからかばったって? だとしたら、君は本当にバカだねぇ』


 ──これは少しだけ遠い過去の記憶。今でも夢に出てくる彼女しんゆうとの、出会いの一幕の再現。

 とはいっても、別に大したことはしていない。からかいという名のいじめから手を引いた──それだけの話。


 なぜか開いていた屋上に逃げ込み、一息ついていた時にされた質問にただ返しただけ。それを聞いて、きょとんとしたと思ったら笑ってきたあの女。


『君はそういう人間なんだねぇ。……おもしろいなぁ』


 ちゃんと放したのは初めてだというのに、俺という一人の弱者を見透かしたかのように頷き、おもちゃに興味を抱いた子供のような瞳でこちらを見つめてきたあいつへの第一印象は中々に酷かったのは良い思い出だ。


『ねぇ! せっかくだし友達にならないかい? この誰もが笑顔で生きていける青空の下、世界にすら嫌われているであろう君と僕でさ?』


 実にうさんくさい笑みを浮かべながら手を伸ばしてくる彼女。

 断られると微塵も思っていないのだろうというまっすぐな腕をひっこめようとはしない。


 何わかったような顔してやがる。俺はただ気に入らなかったから、あのくずどものストレス解消の道具を奪い去ってやってやりたかっただけだ。それなのに好意的な目を向けるなんて、こいつはよっぽど人を見る目はないらしいと心の底から嘲笑ってやりたくなる。


 正直、今同じ事を言われたら撥ね除けると断言できる。俺が言うのも何だが、あいつの性格的にも友達にしたときのリスクを考えても地雷満載のくそ女。もし友達になんてなってしまえば余計なトラブルを増やすだけだ。


 ──だというのに、その時の俺は手を握った。その悪魔にも等しい誘惑に抗うだけの強さなど、あの頃の俺にはなかったのだ。

 すがるしかなかった。誰からも伸ばされたことがなかった手。例え、別クラスのいじめられっ子であろうとどれだけ嬉しかったことか。誰にもわかりはしないだろう。


 それが俺達の始まり。世界にとっては喜劇で、俺達にとっては悲劇で終わるくだらない関係の始発点。そして── 彼女しんゆうが初めて笑うのを見た瞬間でもあった。





 雲もわずかしかない穏やかな天気。明るく暖かい太陽の光を浴びながら歩く。

 泊まっている隔離小屋を包む寂しさ全開の静寂さとは違う。常にあちこちでマイクを使って演説でもしているかのような賑わいが耳に刺激する。


 久方ぶりに感じる人の活気。それがこの街に入って一番に感じるものであった。


 耳の長い金髪の男が赤い果実を片手に持ち客引きを行っている。鱗のようなを持つ女が、声を張りながら何かを売っている。

 最初に来た時よりも、更に視線がいろんな所に注目してしまう。

 疑問を挙げていくと切りが無い。いちいち驚いていては時間が足りない。まさに初めてテーマパークに来た児童のように、その活気に飲まれるのみであった。


「初めて街に来たみたいにはしゃぐな。貴様のいた世界には人がいなかったのか?」


 顔を確認できなくても呆れているとわかる声色だが、こっちだって、このそわそわを抑えられたら苦労はしていない。

 ただでさえこんな都会の駅前くらいには人がいっぱいいる空間への耐性など持っていないというのに、それが想像の産物でしかなかったファンタジータウンなんて見せつけられちゃ、おのぼりさんになるというものだ。


 ちなみに初日と違って服装で浮くことはない。今着ているのは、二週間で俺と同レベルにはぼろっぼろになった服ではなくこの世界の服だ。少し大きいと感じるが着心地に違和感を感じないこの服は、状況的にクリアさんが用意してくれたのだろう。多分。



「……まあはしゃぐのは勝手だが、せめて隠す努力を見せろ。今から行く場所でそんな風なら、愚かとしか言いようがないぞ」

「そういえば、何処行くんですか?」


 目的地についてクリアさんの口から出てきたので、そのまま聞いてみる。

 そういえば街に行くとは聞いていたけど、街の何処に行くのかはこれっぽちも気にしていなかった。これも初めてパワーというやつか。


「言ってなかったか。これから向かうのは仲介所ギルダ。今はそこまで必要ではないが、今後貴様にとって必要不可欠になるかもしれない場所だ」

「ギルダ?」


 その一言が、俺の脳のどこかをぴりっと違和感を生じさせる。

 どっかで聞いたことがあるのか。それとも教科書にでもそんな名前の偉人でもいたのか。


 ……ダメだ。ここ最近忙しすぎて、すっかり日本での記憶が薄くなっている気がする。

 まあ、重要な単語ならそのうち出てくるだろうといったんは置いておく。とりあえず気になるのは、ギルダとかいう施設についての情報。


 最初に通り過ぎたときと同じように、無数の店に寄ることなく先を進むクリアさんに付いて行く。

 せめて一箇所。何か一つでも異世界らしい店というのを覗いてみたいが、残念ながらがしゃがしゃとした鎧の音は止まってくれそうにない。


 ……あの肉とか美味しそうだなぁ。あの石みたいなやつはなんだろうなぁ。


「ついたぞ。ここだ」


 不意に足を止めるクリアさん。そこに広がっていたのは一つの建物。

 濃い赤紫で塗られた屋根を特徴とした、黒いレンガで組み立てられた少し大きめの建物。


「確認だ。宿で伝えた注意を覚えているか?」


 外見だけでも気圧されそうになっていた俺に確認をしてくるクリアさん。

 注意というのは、朝にしたあれのことか。


「は、はい」

「なら良い」


 その答えに満足したのかは知らないが、聞いた直後に、何度か深呼吸をしたかった自分の心境などまるで意に介さず扉に手を掛けた。


「──おおっ」


 そこには街よりも、ここが異世界ということを感じさせる空間であった。

 様々な装備、様々な種族。よく知らないからかもしれないが、そんな俺でもわかるくらいには誰もが装備を揃え、言葉を交わしている。

 壁にはたくさんの紙が貼り出され、いろんな人がそれを眺めている。


「ほら、早く来い」


 クリアさんに促され、受付らしき人達がいる場所まで歩く。


「ようこそ。本日はどのようなご用件で」

「こいつの登録だ。頼めるか?」

「畏まりました。ではそちらの方、こちらへお越し下さい」


 周囲を観察しながらクリアさんの後ろに立ってると、なにやら受付の女性に呼ばれたのでそちらに近づく。

 この職場の制服であろう服装の赤茶色の髪色の女性。朗らかな笑顔が特徴的で、どちらかというと美しさというより愛らしさで慕われていそうなこの女性だ。


 ……どうしよう。こんな女性と話したこと経験などまったくないのだが、言葉はちゃんと出てくれるだろうか。


「本日担当させていただきますロアイと申します。よろしくお願いします」

「お、お願いします」

「はい。ではこちらにご記入をお願いします」


 椅子に座るよう促され、軽く名乗られた後にこちらに差し出された一本の棒と二枚の書類。

 ……どうしよう。どっかの象形文字くらいにはこれが字なのかも判別できないんだけど、一体何を書けば良いんだこれ。


 そしてこの棒は何だろう。鉛筆のように芯が剥き出しになっているわけでもなく、シャーペンやボールペンのように押したら書けるようになるわけでもないただの白い棒。これで何か書けるのか。 


「……ああすまん。こいつはジュダルサーブの辺りから出てきた奴で、字は読めんのだ」

「そうでしたか。それは失礼致しました。それではこちらで記入させていただきます」


 思い出したかのようにロアイさんに話すクリアさん。

 どうやらフォローしてくれたようだ。助かった。


『召喚者であることは誰にも知られるな。そして、人前で聖剣を出すな』


 これが今朝、クリアさんに厳しく言われた注意。


 後者の聖剣については、出したことも見たこともないので気にしなくて良さそうではある。

 しかしもう一つの召喚者であることを隠すことに触れてしまう可能性があった。


 俺はこの世界について何も知らない。

 お金の単位を知らなければ、この世界の土地の名前すら頭にはない。識字率がどうだとか、何種類の言葉があるのかなど、本当に何も分からないのだ。


 ──前提としての知識がない。それはとっても恐ろしくてどうにもならないこと。

 無知は罪でしかないと日本でも嫌というほど味わったつもりだったが、改めて思い知らされる。


 読み上げられた質問に、びくびくしている内心をどうにか漏らさないように答えていく。

 話した内容を聞きながら、先ほどの白い棒で紙に何かを書いている。……あれはやっぱりペンなのだろうか。


「では最後に、こちらに触れていただきます」


 白い棒を机に置き、今まで何かを書いていた紙を再びこちらに差し出してくる。

 先程には日本でおなじみの黒色ではなく、薄いピンクのような色で文字なのかわからない物が書かれている。どうやって書いているんだろう。

 少し気になったがそれはまた後にして、指示された紙の右下の四角い部分に指先を当てる。


 紙が手に触れた瞬間、ペンらしき物で書いたであろうすべての文字が強く発光する。

 ピンクみたい色から鮮やかな赤へ浮き出ながら変わったと思うと光が消え、元々あった黒色の文字と同じように、あたかも最初から書かれていたかのような黒色の文字になっていた。


「ありがとうございます。これにて登録は終了です。では署名書の発行の間に説明に入らせていただきます」

「……外にいる。終わったら言いに来い」


 とりあえず一段落したのも束の間。クリアさんがいったん離れ、すぐさまロアイさんが笑顔を崩さずに説明に入る。

 ……所で、接客の人ってなんで表情崩さずにいられるのだろう。


「まずはじめに、仲介所ギルダとは依頼者との間を取り持ち、両者にとって公平になるようにするための場所です。そこでこちらとしてはまず、冒険者であるあなた方に基準を設けさせていただいています」

「基準?」

「はい。こちらをご覧下さい」


 見せられたのは四枚のプレート。小さな宝石を付けた細長いプレートは、日本で売れば何日かの食費はまかなえそうなくらいな出来だ。


「こちらの証明石ナンブルの数によって分けられており、この宝石の数が多ければ多いほど仲介所ギルダでは実力を保証しています」


 なるほど、石の数でランク分けさせていると。……うん、実にわかりやすい仕組みだ。

 気になるのは宝石の色。四枚のプレートにある証明石ナンブルなる物。赤、青、白、紫とそれぞれが違う色で輝いているが、これにもなにかあるのだろうか。


「このナンプル? の色の違いに意味はあるんですか?」

「はい。こちらは自身の分野を示しております。赤が戦闘、青が補助、白が探索、紫が魔法。それぞれがそれを象徴する神を元に色分けされています。ご自身でパーティーメンバーを組むときの参考にでもしてただければと」


 なるほど、つまりあれか。自己PR的なやつか。

 にしてもパーティーか。ファンタジーっぽくてちょっとわくわくするけど、俺にはそこまで縁がなさそうな言葉だ。コミュ障だし。


「色は二等に上がった際に改めて説明させていただきます。また、これは自己申告のため手続きを踏めば後から変更できるので、あまり深く悩まなくても大丈夫ですので」


 なら、とりあえず当面は気にしなくても良さそうだ。

 いきなり得意分野を発表とか無理だったので安心した。正直人に誇れるものなんてないしね。


 その後も長く説明は続いた。

 最初は頑張って全部聞こうとしたのだが、意外と長い説明に段々と集中力も欠けてるのが自分でもわかった。

 ……こういうのはちゃんと聞いていた方が良いってわかってるんだけど、なんでかもたないんだよなぁ。


「――以上です。最後に質問の方はありませんか?」

「は、はい」


 何でロアイさんはこの長い説明を噛まないで言えるんだろうとか、変なことを考え始めた頃に飛んでくる確認の声に反射気味に返す。

 ……まあ覚え切れたとは言いがたいが、もし気になったらもう一回聞けば良いだろう。さすがに答えてくれる……はずだし。


「ではこちらを。何か困ったことがあればおっしゃってください」


 手渡されたのは先程見せてもらったプレートを見つめる。

 見本よりも綺麗な細い板。小学一年生の名札のように新人感を異様に強めている気がするそれが、わくわくと同時に少しの恥ずかしさを感じさせる。


 これで俺も冒険者。異世界に来て初めてそれっぽいことをやれた気がする。


 色々思うところはあれど、とりあえず報告が先だと、外にいるらしいクリアさんに終わったと伝えに行こうとする──。


「そこの君。ちょっと良いかい?」


 ……どうしよう。知らない人に話しかけられたんだけど。

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