過去からの言葉

『聖剣を担う者達へ。アーフガンドのこれからが永久の幸福と共にあることを願って、ここに聖痕を刻みつける   最初の勇者より』


 ただ簡潔に、石のサイズに合わないくらいに短い一文だけが刻み込まれた石碑。それを見て最初に浮かんだのは得体の知らない気味の悪さだった。


 別に書いてあることに問題があったのではない。心に棘でも刺さったかのようなその違和感の正体は一つ。

 ──読めた。この異世界の言語であるはずの言葉がすべて読めてしまったのだ。

 だってそうだ。以前、クリアさんのから聞いた一説では、聖剣の力でこの世界の言葉を読み解くことは不可能であるとされていたはずなのだ。


 わたわたとした動作で身につけていたポーチにに手を突っ込み、冒険者の証を取り出して見てみる。

 そこに書いてある文字らしきものは依然変わることのない意味不明な形状をした暗号。これっぽちも理解は出来ない異なる言語。


 目がおかしくなったわけではない。脳が壊れたわけでもない。

 それでも読めてしまうのはどうしてだ。怖い、とても怖い。理解できることが理解できないという矛盾に近い恐怖が思考を埋め尽くさんとしていた。


「……クリアさん。何で俺、読めるんですか?」

「──ほう。やはり読めるか。……まあ、当然か」


 納得するように頷くクリアさんに、思わず掴みかかってしまいそうになるくらいには、今の俺に余裕がなかった。

 ただでさえこの訳のわからない部屋で気持ちが不安定なんだ。俺の心を僅かにでも落ち着かせられそうなら、早く答えてほしい。


「勇者だけが読めるとされる文字──創古文字でこれは書かれている。故、私には読めずとも貴様が読めたとして、それは異常ではない」


 その言葉で少しだけ、どっと安心感が湧き上がってきた。

 良かった。どうやら、知らないところで脳を弄くられたわけではなかったらしい。


 ……ということはだ。つまりこれは、俺しか知らない貴重な情報になるのではないか。


「まあ何代も前の勇者によって明かされているので、この短い文を知らぬ者は少ないがな」


 ……なんだ。そんなら隠さなきゃいけないとかではないっぽいな。

 それにしても、いきなりでびっくりした。まさか、この世界の昔の文字を俺が読めるなんて思わなかった。


 何か大切そうなので、何となく全部を暗記してやろうと考え改めて文字を指でなぞりながら目を通していく。

 先程と特に変わりは無く、再びその一文を読み切るに時間は掛からない──。


「……あれ?」


 聖痕という知らない言葉のある最後の部分を指で触った辺りで、その変化に気づいた。 

 先程はそこで終わっていたはずの文章。それなのに、そこで途切れてはいなかったのだ。


 さっきは見逃していたのか。……いや、そんなはずはない。いくらこんな目に優しくない空間にあるとっても不親切な石碑であっても、さすがに見落としはしないはずだ。


「……どうした。何か気になるものでも書いてあったか?」


 申し訳ないがクリアさんの声よりも、今はこちらに意識が向いてしまう。

 今までの文字と違いがあるとすれば、石碑に刻まれてはいないということか。例えるならなんだろう。起動したタブレットの画面みたいな感じで、映像として浮かび上がってきたかのような感じだろうか。


『終わりの勇者。最後の聖剣を担う者よ。三つの証を剣に刻み最果てへ足を進めるべし。アーフガンドの真実を知ることこそ唯一の希望であり、この世界にあるべき役目。──どうか終焉までに間に合うことを祈って。   ラビリア』


 それは個人に向けて発しているかのような言葉。終わりの勇者なる人物に向かって告げられた文。

 今俺が読めてしまうのがおかしいだけで、本当はいずれここに来るのであろうその人へのメッセージではないのだろうか。


 駄目だ。俺にすべてを一気に考えられるほど頭脳などない。一個ずつ紐解いていかなくては。


 まず、どうして俺にこの文が読めたか。

 考えられる理由は二つ。俺が終わりの勇者である可能性と、これが俺に読める言語であったからの二つ。


 前者よりは後者の方が確率は高い。俺が終わりの勇者なる大層な人物であるとは考えられない。それならば、まだこれが勇者に読めるからと考える方が間違いは少ないはず。


 ただ、これだとおかしい点がある。とっても単純のことだが、この文を他の勇者には読まれなかったのかということだ。

 この文字は最初は出ていなかった。後から出てきたもので間違いが無いなら、ただ聖剣を持っている者が見れるというわけではない。


 クリアさんの様子からして、恐らくこの部分は知られてはいないのか──或いは隠したのか。

 ……ああくそっ、考えれば考えるだけ頭がこんがらがって仕方が無い。思考はすっかり迷宮入りだ。


 そう思っていたときだ。突如として目の前の石が光りに包まれたのは。

 クリアさんの出した黄色の光とは別の橙色の光が石碑から離れ、ゆっくりと俺の体の中に入ってきた。


 痛みはなかった。心地良い暖かさが、ゆっくりと体に溶けて染み渡っていくような感覚が俺を包んだ。


「────何だ……今のは」


 クリアさんの鋭かった目が大きく見開き、驚愕を喉が鳴らしていた。……この現象については、クリアさんは知らなかったのか?


「おい小僧、どこか異常は無いか?」


 そう言われて、光が入ってくる前と比較してみる。

 体の調子は変わらない。メンタルも、そこまで大差ない。強いて言えば、ちょっとだけ落ち着いたくらい。


 力を込めても特に何か置きはしない。別に、特別な力が手に入ったとかではないらしい。

 ……どうしよう。これっぽちも変化なんてないんだけど、これは仕様なのだろうか。


「……特に変化はないです。」

「……そうか。なら良い」


 もしかして、心配してくれたのかな。

 それなら嬉しい。全く知らない他人からならどうでも良かったが、この人からだと不思議と嫌ではなかった。


「……それで、一体何に突っかかっていたのだ?」

「……クリアさんは、終わりの勇者って言葉に心当たりはありますか?」


 少しだけ悩んだ後、思い切って話してみることにした。

 今読めた言葉をそのまま伝える。それで、何か知っていれば良いのだが──。


「……生憎と、終わりの勇者なる人物も最後の聖剣についても私は知らん」

「……そう、ですか」

「ただ、三つの資格と最果てについては心当たりはある」


 その言葉で、先の見えない暗闇の考察に僅かに光が差し込んできた。


「教えて下さい」

「三つの資格とは恐らく聖痕のこと。そして最果ては、アーフガンド最北部の一つの島のことを指すものであろう」


 ……つまりどういうことなんだろう。さっぱりわからない。


「文脈を考えるなら、すべての聖痕を手に入れた後に最果てに向かえば何かが起きる……といったところか」

「……なるほど」


 わかりやすくまとめてくれたクリアさんに感謝しつつ、再度思考をまとめようと脳を動かす。


 最果て。そこに行けば、何かわかるのか。どうして俺がこの世界に来てしまったのか、それがわかるかもしれないのか。

 ……なら、それを目標にすればいい。目的はないよりもあった方が動く理由にはなる。


「……それにしてもラビリア、か。まさか創世の女神の名がここで出てこようとは思わなんだ」

「──えっ?」

「創世の女神とはこの世界の礎。十二元神オリュテギアよりも前に存在したとされる神の名だ。勇者とは無縁の伝説として知られていたのだが──」


 クリアさんの言葉を聞いた瞬間。脳裏を貫くような感覚が、何かを訴えてくるかのように刺激してきた。 


 何かが、強く引っかかった。どの言葉かもわからない何かが。確かに俺の記憶に反応した。

 異世界の話など知るわけがないのに、テスト用紙に知っている単語が出てきた時のように、俺の中にある知識が呼びかけてきたのだ。


 創世の女神。オリュテギア。勇者。ラビリス。……ラビリス。

 その名前を反芻してすぐ、蓋が外れたかのように閃きが溢れてきた。


 そうだ、どうして気づかなかった。鳥頭にも程があるだろう!!

 ラビリス、アーフガンド。その二つに共通するものを、俺は知っているだろうがっ!!


 ──映画、映画だ。あの日──召還にあった日に見ていたあの映画。そこに出てきていたではないか!

 ああ、なんで気づかなかった。どうして思い出せなかった。馬鹿なのか俺は。


 どんなに気に入ってたとしても、所詮はフィクションだと考えから外してしまっていた。こんなフィクションみたいな世界でも、創作物と断言できる娯楽物に結びつけられなかった。


 少しだけ、この世界についてわかった気がする。

 それはただ異世界に来るよりも現実味にない答え。知ったからといって、それがどうしたと言えてしまうほどどうでも良い可能性。


 ──アーフガンド。つまりこの異世界は、あの映画にあった世界なのだと──そう考えるしかなかった。

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