憂う者達

 少年の返事を聞き、自室の戻って来たクリア。

 既に鎧を脱いでいる彼女の手にあるグラスには、珍しく琥珀色の液体が入っていた。


 彼女は酒が好きではなかった。流れている血の性質故ということもあるのだが、それ以上に酔いが好きではなかった。


 それでも極たまにだが、こうして窓から景色を眺めながら酒を呷ることがある。


「…………」


 別に出てくる言葉などない。窓から見える景色が未開の絶景であったなら、まだ浮かぶものもあるのだろうか。

 だが生憎、今いるのはアールスデント。七つある国の中、その中で最も民に優しいとされる明るい国。

 その中心であるこのクラリアに訪れるのは何度目か。少なくとも、数えきれるような数ではないことだけは確かだ。


 国のあり方も変わらない。変わるとすれば、早く死ぬ種族──人族

ヒューム

の顔ぶれだけ。


 少しだけ、寂しさを感じる。感傷など、酔っているのか。

 グラスの淵を口元に近づけ、ふと湧いて出た寂寥が、どうしようもなく己を嗤わせてくる。


 ――こんなにも自分が情けなくなるのは、あの人の子を見てからか。


 異世界人。ちょっと珍しいだけの凡庸な人間。

 ここで生きる人族

ヒューム

とそう変わりはしない、強いんだか弱いんだかよくわからない──そんな連中。


 あの少年はそのうちの一人。あんな別世界の素人すら喚ばれる可能性があるのだから、やはり召還というのはある種の博打に近い。

 とても世界の均衡とやらを預けるのには不安定な機構だ。しかし、それを無くすことなど出来はしない。


 七つの聖剣と担い手たる勇者を絶やしてはならぬ。もし失うことがあればアーフガンドの、世界のすべては崩壊を迎えるだろう。


 ──それがかつてその伝承を無視した、一人の傲慢な王が、国を失うことで身をもって知らしめた言い伝え。


 この世界に生きるすべての民。老若男女、善人であろうと悪人であろうとそれだけは知っている伝承。どれだけ無知であろうと、どれほど愚かであろうとも。生きるのなら、耳の一つに入れたことがあるだろう。


 故に勇者とは持て囃され、祭り上げられるものであった。少なくとも、昔はそうであった。


 いつからだろうか。その莫大な力を──世界を救うはずの力を、国の争いなんぞに利用し始めたのは。

 どれくらい経つのだろうか。七人の勇者が、世界を維持するための希望が、浅ましき欲のために殺し合わなくてはいけなくなったのは。


 この国だって当然、例外ではない。

 このまま行けば少年の辿る結末はおおよそ二つ。戦争の兵力となるか、それとも次の召喚準備が整うまで、誰の目にも届かない場所で生かされるかのどちらかだ。


 あのまま逃げればまだ可能性はあった。少なくとも、聖剣を一度でも使わなければ、人並み程度には生きられる可能性もなくはなかったのだ。

 今にも恐怖にまいってしまいそうな黒色に近い瞳。例え色が違っていたとしても、あいつを思い出すような──。


 ──もう遅い。あの少年は聖剣を出した。

 今はまだまともに顕現させることは出来ないだろうが、それでもどこぞで見ていた王の手駒の一人が、既に報告に行っているだろう。


 つまりあやつは祈る時間はもう終わり、自らの手で運命盤

セレクター

を回し始めてしまったということだ。……あいつとは、違って。


「……まずいな」


 口の中に広がる苦みが特徴的な、昔から変わらない安物の酒。呑む度についている気がする悪態をはきながら、ぐいっと残りを一気に飲み干す。


 ……まあ、なるようにはなるか。


 それが彼にとってどれだけ辛くとも、どれほどの地獄であろうとも。

 結局、あの少年がどこまで自力を伸ばせるか、それだけなのだから──。




 王城ナザリカ。アールスデント公国、中央都セルンに聳え立つ城の一室にその人物はいた。


 王の間にある煌びやかな玉座とは違い、シンプルな木で組まれた椅子に座りながら一冊の本を読み耽っているその人物こそグラム・アールヴ。この国の王である。


 既に夜も遅い。城の人間もすっかり寝静まり、ページを捲る音のみがこの空間にはあった。


 本も中盤にさしかかってきたところで、眠気を告げるあくびが吐き出された。

 いつもならもう睡眠を取っているはずのグラム。一国の王たるグラム。次の日も多忙であり、本来休息を取らなければならない。


 ──しかし、この日は眠るわけにはいかなかった。他の何を差し置いても聞いておかねばならぬ重要事があった。


「……報告を」

「はっ」


 誰もいない空間に投げかけた言葉。それに応えるかのように一瞬にしてその部屋に現れる。


「聖剣を確認。勇者の素質あり」

「……ご苦労。下がるが良い」


 告げることを告げ、瞬きをするよりも早く姿を消す。

 再び自分以外がいなくなったのを確認し、悩ましげにため息を吐く。


 聖剣を確認。つまりそれは、あの若造が可能性の一端を開花させたということに他ならない。


 異世界の候補者。確かユーマとかいったか。どうでも良いが。

 王位を継承してから多くの者を召喚したが、初印象が最も脆弱であると感じたあの少年。


 正直彼には期待はしていなかった。そもそもの話、聖剣を呼び出すことすら出来ないと勝手に考えていたからだ。

 しかし現実は、予想を裏切る結果であった。どこにでもいそうな小僧が、世界の柱になり得る才覚を発揮した。


 異世界人である彼に魔術マクリヤの才があるのか、それは今の時点では測りかねるが、そこはクリアの──“紅竜殺し”である彼が最低限は育て上げるだろう。


 兵力として、国を救う勇者として調整するのはその後で良い。時間が限られているのは確かだが、そう難しいことではない。

 既に帝国は力を付けつつある。二年前より頭角を表わした“黒剣”を筆頭にした軍事力。新しく玉座に着いた王の野心。すべてが整ったとき、あの王はこの世界を納めようと動くだろう。


 その時こそ、世界は大きく変わる。そんな漫然とした予感がある。

 金や私情で勝手気ままに動く“英雄級”なぞに頼るわけにはいかない。この国の力だけで、最低でも民の暮らしを守れる程度には、準備を進めなくてはならない。


 ──勇者を使うのは必須。もしあの小僧がダメならば、予備の魔力で早々に次を召喚しなければならない。


 とりあえずは一月の結果次第だとまとめながら本を閉じ、空中にふわりと浮かんでいた白い光の球を握り潰した。

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