帰還後の彼女

 ──其処は闇。恐怖の根源たる黒の空が、空に浮かぶ星々すらも阻む暗黒の世界。

 雷鳴が轟き、嵐が荒ぶり、流れゆく赤色の川──マグマが何もかもを溶かさんとする魔境。


 その地獄の世界に一人。羽を広げ空を舞う者がいた。

 知性という名の欲を持つ者であれば即座に虜にされるだろう美貌。まさしく魔性の類であろう青肌の女性。


 彼女の進む先に見えるは城。彼女が忠誠を誓う主が待つ王の住処。


 ──彼女の名はメリア。そう名乗り生きる者。彼女はは今、一つの目的地に向かって突き進んでいた。




 青色の焔が照らす廊下をコツコツと音を響かせながら歩くメリア。

 相変わらず無駄に広い通路であると辟易しながら、それでも急ぐことはない。


 それは彼女の忠誠心であれば珍しいこと。本当は一刻も早くあのお方の元へ帰り咲き、与えられた命を果たしたことを、ドグスのように尾を振りながら報告してしまいたい。


 それをしない理由は主に二つ。片方は自身でも納得のいくことであり、もう一方はどうでも良いであろうくだらないもの。


 つい先日の戦いは、自分でも意外なくらい深傷を負うくらいには激闘であった。

 あの場から休むことなく飛び続け戻ってきたのだから、当然疲労はピーク。叶うことならとっとと自宅に戻り、ベッドの中に飛び込んでしまいたいのだ。


 それをしないのは王への報告を最優先に考えている故。自由奔放、唯我独尊を主にする魔族デモーアには珍しい生真面目な彼女だからである。


 ……まあ最も、彼女の敬愛する御方の度量が小さいわけではない。どっちかと言うと、メリアが主に会いたいというだけの煩悩の表れである。


「……げっ」


 ようやくたどり着いた扉の前にいた、見慣れた男の姿を確認できてつい吐かれたのはため息。相手に聞こえるくらいの大きな大きなため息。


 嫌な予感は的中した。誰かはいるとは思っていたのでそこまで落ち込むことはなかったが、それでもその男は会いたくなかったランキングの中でも真ん中くらいに位置する程度には鬱陶しいやつ。


「随分ぼろぼろじゃねぇかメリア。高々勇者一匹でその様たぁ、そろそろ隠居も考えなぇといけねぇなぁ!」

「……ぶち殺すわよガーデス。筋肉達磨如きが私の名を軽々しく呼ばないでくれるかしら?」


 負傷しているメリアを見て、嘲笑しながら煽りの言葉を入れてくる男──ガーデス。

 マリアと同じ青色の肌、全身が鎧であるかのような筋肉を持つ体格であるこの男。相変わらず野蛮が生き物になったかのようなその男に対し、恐ろしく低くドスの聞いた声を返すメリア。


「それで? 貴方は王に何を命じられたのよ? 下らないことなら報告は後にしてもらいたいのだけど」

「そいつは残念。取り急ぐことでもないが、そこまで適当にしてもいいことでもねぇ。二人っきりになるのは今度にしてくれや」

「……ちっ」


 最早舌打ちを隠そうともしないメリア。それもいつも通りだと適当に流そうとして──やっぱり辞めた。


 今ここで争うことに何ら意味はない。それはわかってはいる。いかに筋骨隆々、鋼のような肉体を持つ彼であっても脳みそまで凝り固まっているわけではない。


 だが、それでも抑えきれないのがこの男の──魔族デモーアの性というもの。


 言葉とは裏腹に、可視化出来そうな程に燃え盛る闘気が狭い廊下に充満していく。

 あからさまな挑発なのはメリアも理解している。相も変わらず馬鹿な男だと心の底で罵りながらも魔力を練り、雷槍を手の中に作り出す。


 一死即発。今にも始まりそうな戦闘を止めるものなどこの場にはいない。後はパンパンに膨らんだ風船のように、いつ割れるかも分からない緊迫が場を支配し──。


『何をやっている。そんなくだらぬことで城を汚すんじゃない』


 何処からか、声がした。

 しわがれた低い声。降り積もる灰を思わせる響きの悪い音が淡々と告げられる。


 人影など何処にもない。けれど二人は同じ方向──正面の扉に目線を向ける。

 無機物であるはずの扉。何処にも掴めるところのない、禍々しい赤色の扉がその音の正体。


「うるせえぞぉ! 魔道具マギル如きが指図してんじゃねえぞぉ!!」

『そうは言ってもだ。貴様が今ここで暴れるのなら、我が構造たいないから追い出すしかないのだがどうかね? 第五位殿?』

「……っち」


 ほんの一瞬だけ怒りを露わにし、そしてすぐさま闘気を納めるガーデス。 

 彼にとってもここを閉め出されるのはよろしくない。メリアではなく、たかだか扉如きの意見に従うのは業腹だがそれでも、ここは納めるのが得策だと明らかであると理解していた。


『……第二位殿もよろしいか?』

「どうでも良いから早く通しなさい。消し飛ばすわよ」


 つい先程まで、同じように戦意を見せていたとは思えないくらいに吐き捨てられた言葉。

 空気を裂くように弾けていた雷は既に消失し、争う気などこれっぽっちも残っていなかった。


『……なれば結構。──開門!!』


 ゆっくりと、その堅牢な扉が開いていく。

 誰が触れているわけでもない。それでも重厚な鉄が地面を擦るかのように摩擦音を立てながら、少しずつ。


 メリアとガーデスは横並びに歩き、部屋に入る。

 最早そこには敵意などない。啀み合っていたどちらもが、隣にいる者などに構う気はなかった。


 部屋の最奥──誰もいない玉座の前まで歩き、そして他に膝をつけ頭を垂れる。


 一秒、二秒、三秒。正確には計れぬ程に緊迫した空気。──だが二人は全く動きを見せず、ただ変わらぬ忠誠を示し続ける。


『──よく戻った。メリア、ガーデス』

「「はっ!!」」


 声が降り注いだ。誰もいないはずの玉座から、まるで天から星が落ちたかのような重い声が。


 その音ひとつで重力を生む圧──即ち威光。

 これこそが彼らの王の偉大さを示す──王気に他ならない。


 そして空っぽの玉座には──いつの間にか漆黒の影を纏う人が座っていた。


『さて、早速報告を聞こう。──ガーデス』

「はっ」


 ガーデスはその身からは想像もつかないくらい素直に頷き、王へ報告を始める。


「噂の“黒剣” ──黒い聖剣の勇者の実力は本物でした。少なくとも、我ら七魔セブンスとて油断ならぬ強さを持っていました」

『──ほう』

「しかしあれは道具に等しく。帝国によるものかは不明ですが、心は既に割れており聖剣を振るうだけの兵器でしかありません。したがって、対処は容易でしょう」

『──そうか』


 聞き終えた王が吐いた言葉。それは嘲りと同情──憐憫を孕んだ呆れに他ならない。


 ガーデスの喉が、不安を飲み込むようにごくりと音を鳴らす。

 王は己の報告がお気に召さなかったのだろうか。不十分であっただろうか。言いようのない動揺と、どうしようもないくらいの緊張が体を硬直させる。


『心を壊してでも利潤を取るか。やはり人族ヒュームは変わらぬな。……よく調べた、下がって良いぞ。──では次、メリア』

「はっ!!!」


 部屋中に響く程に大きな返事をするメリア。

 ガーデスと違い、彼女には恐れなどない。あるのは一つ──王に声を掛けられた喜びのみ。


「いと偉大なりし我らが王。至高なる御方よ。アールスデントにおける勇者召喚儀ディスブレイブの予兆。──あれは真実でございました」

『というと?』

「私との邂逅にて覚醒。色は透明。何物をも透過する神秘水晶ミスクリスタルにすら勝る──汚れなき無色でした」


 場に合わなぬ歌うような口調で軽やかに語るメリア。

 するべき報告を終え、溢れんばかりの忠誠を捧げる王のご尊顔を拝もうとして──。


『──そうか。そうか、そうか!! 透明か!!』


 王が笑っていた。歓喜を抑えきれないかのように高らかに声を上げ、二人の耳に響き渡る。

 部屋は揺れ、圧はより増しながらも、それを気にすることなく笑い続ける。


「我が王よ。一体どうなされたので──」

『──ああ済まない。久方ぶりの朗報故、つい抑えきれなくてな』


 すぐさま王はいつも通りの平静を取り戻す。

 だが、報告の際に王が笑うことなど滅多になく、驚愕を消し切れない二人。


(王が声を上げて笑っている。とっても可愛いわ!!)


 ……まあ一人心の中で興奮を抑え切れないみたいだが。


『──メリアよ。こっちへ』

「はっ!」


 王が言葉を聞くや否や、自身の雷を超える速度ですぐさま玉座の側に寄るメリア。

 王は手をメリアに向け、そこから淡い黒色の光がゆらゆらと揺蕩いながらメリアを包み込む。


「──これはっ」


 自身の体に起こった変化に、思わず声を漏らすメリア。

 彼女に残っていた無数の傷。それが黒光に撫でられた瞬間にはもう、あたかも最初からなかったかのように消失していた。

 それだけではない。消費していた枯渇しかけていた魔力──己の生命力そのものが満たされる充実感が、メリアを心地良くさせていく。


「王よ。これは──」

『我が魔力を分けてやった。これで少しは傷も癒えよう』


 メリアはほとんど全快の状態まで戻っていた。それだけではない。メリアにとって最も尊い主──偉大なる王の力が己の糧になったのだ。正直、精神に関しては最高にハイな状態へ一気に昂ぶっていた。


『──二人ともご苦労であった。褒美は後にするとして、まずは休息を取るが良い』

「「はっ!!」」


 王の言葉を聞き、二人は玉座から立ち去り部屋を出る。

 残ったのは王一人。ただ一人玉座の肘掛けにもたれかかりながら、思いに耽る。


『……透明な聖剣、終わりの聖剣──最後の勇者。ようやく、ようやく現れたか』


 ぽつりと呟かれる言葉。それは悲愁を漂わせ、懐かしき過去を思い出そうとする老人が零しそうな郷愁の音。


『最早猶予などない。……果たして間に合うかどうか』


 後ろ向きな言葉とは裏腹に、王はからからと愉しそうに笑みを零す。


『励めよ勇者。すべては最果てへ辿り着いてから始まるのだから』


 その言葉を最後に王は玉座から消した。

 残された玉座は人の痕跡の影すらなく、初めから誰もいなかったようにぽつりと置かれていた。

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