聖域

『つまりさ。僕達は浮いているのさ。──それこそ、ここが住むべきでないと言わざるを得ないくらいにね』


 焦がされそうなほど照りつける晴天の中、頬を腫らしたあの親友バカはそんなことを口にした。


 あの時はその逃避に近い現状への不満を、厨二病にもほどがあると呆れながら否定した。

 当然だ。つい先程までチンピラ共に絡まれて、必死こいて逃げ出してきた後にそんなことをのたまうのだから、ただの嘆きを吐き出しているだけにしか感じなかった。

 けれど今考えれば、あれは彼女にとっては心から思っていたことであり、見えている光景そのものだったのだ。


『親友はそこらへんどう思う? こんな世界に、生きる価値があると断言できるかい?』 


 その質問に、俺は一言だって──肯定や否定すら返すことは出来なかった。 

 だってそうだ。漠然と人生を歩んでいた俺が、生きる価値なんて大層なことを考えたことなかったのだ。


 ──ああ、今でも後悔している。しているとも。

 例え何も思ってなかったとしても何か言っておくべきだったと、どうしようもないほどに悔やみ続けているのだ。


 結果としてあいつはいなくなった。もう二度と、その姿を見ることは出来ないだろう。


 あの質問の答えを俺は今でも探し続けている。例え思いついたとしても、もう聞かれることはないその難題にけりを付けるために。──もしも奇跡のような次があったとしたら、その時にずばっと言ってやるために。





 眠りから目覚めたのは、少しだけ強く揺れたのを感じたときだった。

 ぼんやりとしている脳が、二度寝という人類すべてに共通するだろう圧倒的な快楽に誘おうとしてくる。


「ふわあぁ」


 流石にここでその悪魔の手を取るわけにはいかないと、無理矢理に体勢を正して、眠気を払おうとした。


「……起きたか」


 起きたのに気づいたのか、クリアさんは持っていた本を閉じてこっちにちらりと視線を向けてきた。……邪魔しちゃったかな。


「顔に出しすぎだ。……気にしなくて良い。どうせ、もうすぐ着く」


 俺の心を読んだかのようにそう言ってくるクリアさん。……そんなにわかりやすいのか。


 ちょっとだけ照れくさくなり、窓をに目を背ける。

 見えるのは寝る前と時に変わりない草原。そのはずなのに、どうにも何かが違うと己の直感が囁いていた。


 直接ここの空気を吸ったわけでもない。それなのに、何かに反応するかのようにばくばくと内側から何かが訴えかけてくる。

 こんなことは初めてだ。自身で制御出来はしない本能が、何かを強く求めてくるなんて。


「着いたぞ」


 こんなにも落ち着かないからか、止まるタイミングに驚きはしなかった。

 二回ほど大きく深呼吸をして頬をぱちっと叩く。それでようやく、ある程度の冷静さを取り戻せた気がする。 

 はやる気持ちを抑えながらゆっくりと、石橋を叩くようにして外に出て、ようやく己を引きつけていたものの正体を知る──。


 目の前に広がっていたのは巨大な石の建築物。どこぞの世界遺産のように大きく古い、それでいて小汚さをこれっぽちも感じさせない建物だった。


 自然の中に存在するものとしてはあまりに不自然。毎日掃除と点検を欠かしていないような、白色の石で建てられている。遊園地にそのまま置かれていても違和感が無い物──それがこれだ。

 それなのに、人のいる気配がこれっぽちも感じ取れない。森で培った感性が正しいとするならば、ここには獣一匹たりともいないはずだ。


「いくぞ」


 いつもと全く変わりはしない芯のある声。それが緊張に呑み込まれかけた今の俺には非常にありがたかった。

 そうだ。クリアさんがここに連れてきたのには何か意味があるはずなんだ。少なくとも、観光ではない何かが。


 中は白い石のはずなのに、どうしてか霧が掛かったみたいに先が見えなかった。

 隔離された世界。そんなふわふわした印象を抱きながら、はぐれないようにしっかりと付いて行く。


「この地の名は聖域エーデ。アーフガンドに三つ存在する勇者を祀る祭壇の一つだ」

「……勇者?」

「そうだ。最初の聖剣使いにして世界の救世主。その人の栄光が真実であると証明する場がここだ」


 最初の聖剣使いかぁ。それはまた随分とすごい人物がいたんだなぁ。

 正直、聖剣のせの文字すら未だに感じ取れない俺にはまったくもって関係なさそうでどうでも良いんだけど。そもそも俺に聖剣が宿っているなんて話も疑わしいし。


 ──そうだ。関係などないはずなのだ。

 それなのに、胸にある心臓は全力疾走した後みたいにばくばくと激しく動き、張り裂けそうなほどに何かを訴えかけてくる。


 どれくらい歩いただろうか。何時間か何分か、今どこら辺なのか。

 一回も曲がった記憶が無いはずなのに、まっすぐな一本道であったと言い切れないこの曖昧さ。完全に五感を惑わされている。


 クリアさんはどうして大丈夫なのだろうか。実はもう迷子になっているのではないか。

 ……いや、今必死に追い掛けているこの人影も、実は俺が勝手に浮かんでいるだけの幻影でしかないのか──。


「ついたぞ。ここだ」


 そんな不安をクリアさんは一刀両断してくれた。

 目の前にあったのは他と同じで白い扉。あの街の門ほどではないが大きい扉が道を道を塞いでいた。


 ……行き止まりだけど。開けごまと合い言葉の一つでも言ったらこれが開いたりするのか?


「触れろ」

「え?」


 俺に向かって出された指示は、そのたった一言だけだった。

 ……もしやこれを押して開けるのか。このいかにも頑丈に守ってますと言わんばかりに硬く重そうな石の塊を押せと、この人はそう言うのか。


 腕を組みながら早くしろと、目で急かしてくるクリアさん。どうやら手伝ってはくれそうにないな。

 ………………しょうがない。やるしか、ないか。


 これがこの人の課す最後の試練なのだろうと、意を決して扉の前に立つ。

 体を軽くほぐし、その白壁に手を押しつけて力を込める──!


『聖痕確認。意志の扉──開放。』


 何処からか機械染みたアナウンスが扉に触れた瞬間に鳴り響く。

 一体何だと驚きで扉から手を放して、確認しようとした時だった。


 目の前に聳えていた白色の壁がゆっくりと動き始めたのだ。

 ぼろぼろと削られた石の粉を零しながら、自動ドアのようにゆっくりと横に移動する扉。そして一分ほど経った後、最初からなかったかのように完全に開ききった。


 ……あれ? もしかして俺、すっごい恥ずかしい勘違いをしていたっぽい?


 どこからともなく湧いてくる羞恥心で後ろのクリアさんの方を向きたくなかった。多分、今の俺の顔はりんごのように真っ赤であろう。

 だがまあこの人は一切俺を気にすることなく開いた先に進み始めた。また閉まられても叶わないので、急いで俺も先へ足を進めた。


 そこにあったのはとてつもないほどに広大な空間。明らかに外から見たときよりも広い真っ白な世界──何にも犯されることのなさそうな純白が存在した。


 何だここ。明らかにおかしい。どうなってんだかこれっぽちも理解できない。

 ここにある色は白だけなのに、どうして地形がくっきりと見えているんだ。


 普通、全く同じなら判別なんて出来ないはずだ。白色の紙に白色のペンで落書きをしても、人には輪郭すら掴めないはずだ。

 それなのに何もかもがはっきりとしている。壁のある位置、無数に並んでいる本棚、真ん中に置かれている大きい石でさえも。


 面白さよりも恐怖が先に襲ってくる。人間という限度ある感覚の生き物を嘲笑っているかのような、己を蝕んでくる毒まみれの空間。

 一色だけで視界を埋め尽くされるとこんなにも気持ち悪いとは。正直、一刻も早くここから立ち去りたい。


 ──そんな時だ。横から、この白紙のキャンパスに別の色が紛れ込んだのは。


「そら、これで少しはましになったか」


 例え視線が外れようとも感じ取れる、空間に生じた違和感の方向を見る。

 そこにあったのはまさしく異物。暗闇に満ちた洞窟の中に灯る明かりのように、明るく輝いている黄色い光の球が、クリアさんの周辺にぷかぷかと浮遊していた。


「そら、行くぞ。見るべきものは近くにある」


 指を軽く振るいこちらに光の球を三つほど寄せてくれた後、すぐに歩くのを再開するクリアさん。

 まるで早く行こうと急かす子供のように光の玉もその背を追っていくので、見失わないように付いて行く。


 見えているのに信用できない。踏み込んだ先がいつ抜け落ちているかにびくびく震え、一歩ずつ神経を磨り減らしながら、ぼろぼろの縄の橋を渡るみたいに常に下を見て、時々光の球を確認して歩みを進める。


 こんななんでもない、ただ歩いているだけなのに明らかに疲労がたまっていく苦行。それでも──。

 ついに到着した。長い旅の果ての感動のゴールを、今掴み取ったのだ。


「ようやく来たか」


 心なしか優しく聞こえるクリアさんの声に、ようやく一人じゃないことを思い出せた。

 今までで一番辛かった。森でたった一人でいたことよりも、ずっといじめられ続けたことよりも、吐き気がするほど耐えがたい時間だった。


 少しでもましになるまで、何回も深呼吸をしたり光の球を凝視して心を落ち着かせる。

 すーー、はあーー。すーーー、はああああーーーーーー。……よしっ。


「すいません。もう大丈夫です」

「……そうか。なら、これを見ろ」


 そうして指差されたのは、中央にぽつんと置かれていた白い石。

 まるで墓石のように置かれている真っ白でつやつやとした大理石のような石。


 一見綺麗なだけの石だったが、よく見ると何かが彫られていた。どうせ読めないだろうけど、何が書いてあるのか気になったので少し膝を曲げて見てみる──。


「……っへ?」


 そこに書かれていたのは、自分でも声が出てしまうほど意外なものであった。

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