23 悪役令嬢への一歩?

 朝食を食べ終わり、席に座ったままお父様、お兄様と談笑していると、侍女のコレットが

「レティシア様、お客様です」

と声をかけてきた。噂好きのコレットの目が輝いている。


 私に会うためにわざわざ家まで来てくれる人は、今まではバスチアンくらいしかいなかった。バスチアンであれば、コレットは事務的に私を呼びにくるだけで、こんなにも嬉しそうな顔をするはずがない。


 リーヴェス? でもリーヴェスはもう私に会う気はないらしいと、つい先ほどお兄様が言っていたばかりだ。


「どなたなの?」


と私が聞くと、コレットは私を押し倒さんばかりの勢いで近づいてきて、


「イレーヌ・ヴィンデンブリューテ様です」


と言った。


 イレーヌ? 聞いたことがある気がするけど、誰だったっけ? と、考えていると、なんでそんなことも知らないの? と非難するような口調でコレットが囁いてきた。


「リーヴェス様の婚約者ですよ。二人とも、社交界では知らない人がいないくらい有名な方たちです」


 イレーヌが私のところに訪ねてくるなんて、リーヴェスに何かあったのかしら。そういえばイレーヌは、昨日もうちに来ていた。

 私がグラディウスを浄化できたのも、すべてイレーヌのおかげだ。彼女がリーヴェスの隙を作ってくれなければ、私が自力でグラディウスを浄化することは難しかっただろう。


「お父様、お兄様、お先に失礼するわね」

と言うと、私は食堂を後にした。




 私が客間に入ると、イレーヌはソファに座りもせず、客間の出入口のすぐ近くに立っていた。

 よく眠れていないのか、顔は青白く、目はやや赤い。しかしこんなに朝早くにも関わらず、髪は綺麗に結われ、ファンデーション、チーク、アイラインに口紅と、化粧も抜かりなくされていた。

 一昨日はリーヴェスとデートだったから頑張って綺麗に着飾っていたわけではなく、イレーヌはいつもおしゃれな格好をしているようだ。毎日おしゃれにどれだけの時間を費やしているのだろう。私からしたら信じられない。


 イレーヌは私が部屋に入るとすぐ、背筋を伸ばしたまま膝を曲げてあいさつしてきた。


「朝早くに、いきなり押しかけてしまってごめんなさい。私の名は、イレーヌ・ヴィンデンブリューテ。リーヴェス・オルヒデーの婚約者です」

「はじめまして、レティシア・キルシュバオムです。どうぞ、ソファにお掛けになって」


 私も慌ててあいさつするが、イレーヌほど綺麗な姿勢ではできなかった。私がソファに座るよう勧めても、イレーヌは首を横に振って座ろうとしない。


「今日はお願いがあって参りましたの」


 イレーヌの華奢な体が震えている。気高い女性のめったに見せないであろう弱った姿に、彼女の肩を抱いて励ましてやりたい気持ちになった。きっと私が男性であったら、この場で恋に落ちていただろう。


「何? 私にできることなら、何でも力になるわ」


 私はイレーヌを支えようと手を伸ばしたのだが、イレーヌは私の手を避けるかのように後ずさった。


「ぶしつけなお願いだということは分かっているのだけれど……」


 イレーヌは腰の前で組んだ自分の手をじっと見つめたまま、低い声で言う。


「私からリーヴェスを取らないでほしいの」

「え?」


 イレーヌは私のことを、敵でも見るかのような鋭い目で見ている。彼女の目は潤んでいて、今にも涙がこぼれ落ちそうだ。


 イレーヌは何を言っているのだろう? 私がリーヴェスのことを好きだとでも思っているのだろうか。仮に好きだったとしても、リーヴェスがイレーヌでなく私を選ぶと考える人は、街行く人百人に聞いても誰一人いないだろう。美人の考えることはよく分からない。


「九年よ。リーヴェスと初めて会った時から、ずっと側にいて彼を支えてきたの。彼の一番近くにいるのは、いつもこの私。いつかは私を頼ってくれるものと信じてきたのに……」


 私なんか、十年だ。バスチアンとは婚約することもなく、自分の思いを伝えることもできず、一昨日失恋した。考えないようにしていた傷口が、意図せずえぐられた気分だ。


「リーヴェスは他人に興味を示すことなんてほとんどなかったのに、あなたのことは気になるみたい」


 それはたまたま私に、邪気を浄化する力があるからにすぎない。リーヴェスは私に興味があるのではなくて、私の邪気を浄化する力に興味があるのだ。

 しかしリーヴェスが聖剣については他言するなと言っていたので、彼の婚約者と言えど、本当のことを伝えるわけにはいかなかった。


「ちょっと待って、思い詰めすぎよ。リーヴェスが私に好意を抱くわけがないわ」


 私はなんとかイレーヌを落ち着かせたかったのだが、私の言葉は彼女に届かない。


「彼をずっと見てきたから私には分かるの。あなたに会ってから、リーヴェスの顔色は今までにないくらい良くなったわ」


 それは、私がリーヴェスの邪気を浄化したからだ。決して、リーヴェスが私に好意を寄せているからではない。すべてを話せば誤解は解けるのに、言えないことがもどかしい。

 私は朝、お兄様から聞いたことを思い出した。


「そういえば、リーヴェスはもう私と会う気はないって言っているらしいわ」


 イレーヌの表情が急に和らいだ。


「そうなの? もう二度とリーヴェスとは会わないのね?」


 いや、今から会いに行こうとしている。

 思ったことが、すぐに顔に出てしまったらしい。私が不意に作ってしまった少しの間が、イレーヌの怒りに油を注ぐ。


「これからも会うつもりでいるのね」


 美人の怒った顔は迫力があった。黙りっぱなしでいるのは何としてでも避けたい一心で、私はしどろもどろになりながらも話す。


「大丈夫よ、イレーヌとリーヴェス、とってもお似合いだもの。私、二人がうまくいけばいいなって思っているのよ」


 話し終わってから、下手に話すよりやっぱり黙っていた方がよかったと後悔した。しかし、口から出てしまった言葉はもう取り消すことができない。

 イレーヌの顔がさらに険しくなった。


「お似合いだなんて……あなたにそんなこと言われても、ちっとも嬉しくないわ。周りの人にどれだけお似合いだと言われても、リーヴェス本人が私のことを好きだと言ってくれないかぎり、意味はないのよ」


 イレーヌの目からは、ついに大粒の涙がこぼれ始めた。イレーヌは私には泣く姿を見られたくなかったようで、そんなにじろじろ見ないで、と目で訴えながら悔しそうに泣いている。


 今まで頑張ってこらえていた涙がいっきにあふれ出したせいで、イレーヌはもう自分の感情を止めることができないようだった。

 イレーヌは肩を震わせて泣いている。泣く声を必死に抑えているのは、彼女の最後のプライドのようにも見えた。


「あなた、よく眠れていないでしょ? 疲れているから、正常な判断ができなくなっているのよ。私とリーヴェスが今後、あなたが想像するような関係になることはないから、安心してよ。今日はもう家に帰って、休んだ方がいいわ」


と言うと、私はイレーヌを抱き寄せ、部屋を出た。


「今はそう言えても、リーヴェスをもっと知れば、きっとあなたも彼のことが好きになるわ」


 ハンカチで涙を拭いながら、イレーヌは言った。

 しっかり化粧をしてきたことが仇となり、イレーヌのアイメイクは今ではすっかり流れ落ちていた。お化けのようになってしまった顔を震える手で隠しながら、イレーヌは歩く。


「私はリーヴェスのことを好きになれるほど、身の程知らずではないわ。それにほら、私を見て。美人とは言えないでしょ。あなたみたいな綺麗な婚約者と今までずっと一緒だったリーヴェスが、私に興味を持つわけないわよ」


 私はイレーヌを慰めたかったが、私が口を開くたびイレーヌの機嫌は悪くなった。


「リーヴェスは、見た目で人を判断したりするような浅はかな人ではないわ。あなたが美人じゃないからって、油断なんかできない」


 玄関を出て、イレーヌの乗ってきた馬車に近づく頃には、彼女は少しずつ落ち着きを取り戻していた。もう涙は止まったようだ。軽く目の下をハンカチで押さえたあと、イレーヌは馬車に乗り込む。


 他人に美人じゃないと面と向かって言われたのは今回が初めてだったが、なぜか嫌な気分にはならなかった。それは「あなたは美人じゃない」と言った時のイレーヌの言い方に、私を蔑むような感情が感じられなかったからだと思う。彼女はただ、事実を言った。そして私が美人でないのは事実なので仕方がない。


 リーヴェスと私の仲が気になったからと、イレーヌは変に裏で手を回したりせず、わざわざ私に会いにやってきた。

 貴族の令嬢は、こういった類の問題が発生した時、自分の手を汚さないために他人を使いたがることが多い。

 自分の口で直接私に忠告しにきたイレーヌは、裏表のないまっすぐな人なのだろう。


 ――本来であれば、私ではなくリーヴェスに、レティシアとはもう関わらないでほしいと言ってほしかったが、まぁ許そう。恋する人に嫌われたくない気持ちは痛いほど分かる。


「所用でしばらくはリーヴェスに会うけど、用さえすめばもう会わないから。だから、安心してちょうだい」


 今にも走り出そうとしている馬車に向かって、私は言った。

 イレーヌは私と目を合わせようとはせず、馬車の進行方向を見たまま


「朝の忙しい時にお邪魔したわね。失礼するわ」


とだけ言って帰って行った。

 イレーヌの馬車が見えなくなると、急に背後から拍手が聞こえてきた。


「レティシア、すごいね。あともう一押しで、リーヴェスたちの婚約を破談にできそうだ」


 振り向くと、いつの間にかユベールが近くに立っていた。

 昨日までとは違い、すっかり顔色の良くなった彼は満足そうに笑っている。初めてユベールに褒めてもらえたが、ちっとも嬉しくない。


「私は二人を破談にしたいわけじゃないのよ。リーヴェスは聖剣を繋ぐ気はないって言ってたけど、私としては二人にこのまま結婚してもらって、リーヴェスが子どもに聖剣を繋ぐのが一番いいと思っているわ」


「へぇ、昨日は聖剣以外の方法を探そうって言ってたのに、結局はリーヴェスの考え方を変えようとするんだ」


 ユベールが意地悪な顔で言った。


「私はあくまで、聖剣以外の方法を探すつもりよ。でもね、自然と人の考え方が変わることってあるじゃない。たとえば――愛の力とか」


 自分の頬が赤くなるのが分かり、思わず頬に手を当てる。ユベールには理解してもらえないとは思っていたが、案の定ユベールは


「愛の力?」


と呆れ顔で私のことを見ている。


 愛には人を変える力がある。イレーヌの思いがリーヴェスに伝われば、リーヴェスの考えだって変わる可能性がある。――とユベールに熱く語ろうとしていたのだが、ユベールは


「まぁ、いいや。聖剣を繋ぐかどうかについては、もうレティシアに任せるよ。君の好きなようにすればいい。――まぁ僕は、レティシアとリーヴェスがくっつくのが一番だと思うけどね」


と言い、私が語る機会をくれなかった。


「どうしちゃったのよ、急に」


 昨日までのユベールだったら、なんとしてでもリーヴェスと私をくっつけようとしてきたはずだ。


「僕が動くより、レティシアに任せておいた方が上手くいきそうだって昨日思ったんだ。僕のできることはやったし、あとはもう見届けるだけさ」


 ユベールは晴れやかな顔で言った。自分一人で何とかしなくてはいけない、といった変な気負いが彼の顔からなくなっていた。ユベールに頼ってもらえるのは、正直嬉しい。


「任せてちょうだい。とりあえず今日は、今からリーヴェスの家に行くわよ」

「いいね、イレーヌが一人で悩んでいる間に、さっさとリーヴェスを奪ってしまおう」


 ユベールが茶化すように言ってくる。だから違うって言ってるでしょ、とユベールの肩を叩こうとしたところ、二階から私たちのことを見ているお父様が私の目の端に映った。私は驚いて、お父様を見る。


 お父様は、満面の笑みで私に手を振ってきた。そして、親指を立てて目配せしてくる。

 単純なお父様の思考回路から察するに、「ユベールくんと上手くいっているようじゃないか、父さんは嬉しい」と言われているような気がする。

 明らかな誤解だが、お父様には喜んでいてほしいので、私も親指を立ててみた。それを見て、お父様はさらに喜ぶ。私の嘘を信じてはしゃぐお父様を見ると、どこか後ろめたい気持ちになった。


「どうしたの?」


 ユベールが私の視線の先を見ようとしていたので、私は慌ててユベールの手を引っ張った。お父様とユベールの目が合ってしまったら、お父様がわざわざ家から出てきて、ユベールにあいさつしたがる危険性がある。


「リーヴェスの家に急ぎましょう」


 私は門の外に向かって走りだしたものの、すぐに止まる。


「どうしたの?」

「リーヴェスの家の場所が分からないのよ」


 これは一回家に戻って、物知りなお兄様か、噂好きなコレットに聞くしかないのか? と迷っていると、


「リーヴェスの家の場所なら僕が知ってるよ、行こう」


と言ってユベールが走りだした。

 私はユベールの隣を走る。


「なんで知ってるの?」

「未来で僕がグラディウスを拾った建物が、たぶんリーヴェスの家だ」


 ユベールが意味ありげに、にやりと笑った。

 なぜユベールが笑ったのか最初は分からなかったのだが、走っているうちに理解できた。結局私は、劇場に向かった時と同様、リーヴェスの家まで速度を落とすことなく走るはめになった。

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