09 騎士団長目撃

 私の家は王都の中では田舎の方にある。王都は王宮を中心に栄えているので、王宮に近づけば近づくほど、店も増え、賑やかになる。

 劇場は、王宮のすぐ近くにあった。昼間に劇をしていることもあるが、基本的には夜の公演がほとんどだ。


 歌劇に少し興味はあるものの、私は実際に劇を見たことは一度もない。劇場にはドレスコードがあり、私が好んで着るような服では中に入れてもらえないからだ。劇を見るためだけに、堅苦しい服を着る気にはなれなかった。


 私は劇場に着いてすぐ、劇場の前に腰を下ろす。劇場に向かって走り出したことを後悔することになるとは、走り出した時は思いもしなかった。


「ちょっとやめてよ、レティシア。女性が道端に座るなんて、はしたない」


 ユベールは私を非難するように言うと、私の腕をつかんだ。

 私は肩で息をしながら、ユベールを睨む。一方ユベールは、苦しそうに息をしている私を見て、楽しそうにしていた。


 すべての元凶はユベールだ。道中、私が走るスピードを落とそうとすると、後ろを走っているユベールが「もう疲れたの?」と茶化してくるので、結局最初から最後まで全速力で走るはめになった。


 私は劇場に着く頃にはすっかり疲れ果て、今では立っているのもやっとだった。

 同じ距離を同じ速度で走ってきたにも関わらず、ユベールは涼しげな顔をしている。

 こんなにも体力に差があるなんて、なんだか悔しい。文句を言ってやりたいが、私はまだちゃんと話せるほど体力が回復していなかった。


 ユベールはちょっとしたことですぐ私をからかってくる。からかわれるたびに私は悔しい思いをするのだが、不思議なことに嫌ではなかった。


 人と話せる程度には私の体力が回復してきた時のことだった。


「ほら、やってきた」

とグラディウスが声を上げた。


 ユベールも私も周りを見渡すが、人が多くてグラディウスが誰のことを言っているのかよく分からない。


「あの馬車だ。もうすぐ劇場の前で止まるぞ、待ってろ」


 「あの馬車」と言われても、馬車は何台も道を走っているため、どの馬車なのかよく分からなかった。劇場の前で馬車が止まるのを待つ。

 すぐに一台の馬車が劇場の前に止まった。


「この馬車だ。リーヴェスが降りてくるぞ」

とグラディウスが言った。


 馬車の扉が開き、美しい男性が降りてくる。劇場の周りにいた女性たちが「リーヴェス様だわ」と口々に喜びの声を上げた。どうやらリーヴェスは有名人らしい。


 リーヴェスには人を寄せつけない雰囲気があり、女性たちはリーヴェスを見て喜んではいるものの、近づいたり話しかけたりする人はいなかった。


 じろじろ見るのは失礼かとも思ったが、私はリーヴェスから目が離せなかった。


 貴族の男性の衣装には大抵、ジャケットにもシャツにも派手な刺繍がされているのだが、リーヴェスが身につけているものは刺繍のないシンプルなものだった。刺繍はないものの、上質な生地で作られた衣装であることは離れていてもすぐ分かる。


 リーヴェスの外見や立ち居振る舞いからは、色気があふれ出ていた。あの瞳に見つめられるだけで、息をするのも忘れてしまいそうだ。私はここまで色気のある男性を、今まで見たことがない。


 隣のユベールを見ると、ユベールも私と同じようにリーヴェスに釘付けだった。

 リーヴェスをもう一度見ようと、私は視線を戻す。その時、リーヴェスと目が合ったような気がした。

 ずっとリーヴェスのことを見つめていたことを気まずく思い、私はすぐに目をそらした。


 すると、私の近くにいた女性が「リーヴェス様と目が合った!」と隣の女性に楽しそうに話す声が聞こえてきた。みんな思うことは同じだったようで、私は自分の勘違いが少し恥ずかしくなった。


 リーヴェスが馬車から降りると、今度は美しい女性が馬車から出てきた。


 女性は広い額に、真珠やダイヤモンドで作られたサークレットをしていて、太陽の光が宝石に当たって輝いている。艶のある亜麻色の髪は複雑に編み込まれ、ところどころに宝石が飾られていた。

 女性の衣装にも派手な刺繍はされておらず、清楚で柔らかい印象を与えるネイビーのドレスを身につけていた。

 真っ白な肌に、大きな瞳。胸は程よく大きく、ウエストはほっそりしている。美しいだけでなく、女性には知的な雰囲気があった。


「イレーヌ様、相変わらずの美しさね。本当にお似合いなお二人」


 近くにいる、リーヴェスのファンと思われる女性がため息をついた。

 誰の目から見てもお似合いな二人だった。二人を見たのは今日が初めてだが、二人にはこのまま末永く仲良くしていてほしいと思った。


 多くの人がリーヴェスとその婚約者を注目していたが、二人は注目されることには慣れているようで、人目を気にすることなく、劇場近くのおしゃれなレストランに入っていった。


「ねぇ、私があの綺麗な婚約者に勝るところって何かある?」


 私はユベールに尋ねた。


「とりあえず見た目だろ。それから……」


 私はユベールに聞いたのだが、グラディウスがすぐに喋り始めた。


「グラディウス、ありがとう。でも今はユベールに聞いてるから」


 グラディウスは私のことをいっぱい褒めてくれそうだったが、どうやらグラディウスと私たちは価値観が違うようなので、今回は黙っていてもらうことにした。


 ユベールは私の方を見向きもせず、

「活発なところとか……?」

と苦しげにつぶやいた。


 私がどんな顔をしているのか見せてやりたいのに、つぶやいた後も、ユベールは私の顔を見ようとはしない。


 女性が活発であることを喜ぶ男性は、私が知っている範囲だとお父様とお兄様しかいない。そしてその二人でさえ、最近では私が馬に乗ったり、剣の練習をしたりしていることを快く思っていないようだ。

 残念ながら、女性が活発であることはこの時代では短所なのだ。


「この私がリーヴェスを惚れさせることができると思う?」


 出会った時にしたのと同じ質問を、もう一度ユベールに聞いてみる。


「……やってみないと分からない」


 ユベールもまた同じ答えを口にしたが、ユベールの表情は「かなり難しいと思う」と言っていた。


「レティシア、大丈夫だ。お前ならリーヴェスもすぐ気に入るさ」


 グラディウスは相変わらず、明るい声で話す。


 私は今まで、グラディウスは私に優しい言葉をかけてくれる、思いやりのある剣だと思っていたが、実はグラディウスが一番残酷なのかもしれない。

 冗談で言っているのならいいのだが、本気でリーヴェスが私のことを好きになると思っているようだから、たちが悪い。


 リーヴェスを一目見て、私は自分とリーヴェスは住む世界が違うのだと理解した。次元が違うので、ファンになることはあっても、恋愛対象として好きになることはない。

 仮に手違いで好きになってしまったとしても、失恋を失恋で上塗りすることになるだろう悲しい未来が見える。


 ユベールもグラディウスの言葉が信じられないようで、疑いの目をグラディウスに向けていた。

 ユベールは私の視線に気づいたのか、咳払いをする。


「僕たちから見たら理想的な二人でも、実際どうなのかは本人たちにしか分からない。とりあえず、リーヴェスに接触してみよう」


 ユベールはそう言うと、リーヴェスたちが入っていったレストランに向かって歩き出した。私も後に続く。

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