06 ユベールの作り笑いの威力
お兄様が部屋から出て行くと、今度は部屋の窓がコツコツと鳴った。
窓の方を見ると、森で出会った美しい青年の姿が見えた。私の部屋は二階にある。ユベールは木の上に登って、「窓を開けてくれ」と私に合図を送っていた。
私は急いで窓に駆け寄り、窓を開ける。
「女性の部屋のすぐ近くに木を植えるなんて、不用心だと思うよ。防犯面を考えるなら、すぐにでも切り倒した方がいい」
と言いながら、ユベールはすぐに部屋に入ってきた。
「よう、さっきぶりだな。体、大丈夫か?」
グラディウスの声も聞こえてきた。
百年後の未来から来た子孫。喋る聖剣。にわかには信じ難い現実が、今実際に私の目の前にある。
「倒れた私をうちまで運んでくれたみたいで、ありがとう」
「気にしなくていいよ。それより、話の続きをしよう」
ユベールは近くにあった椅子に腰を下ろした。私もベッドに座る。
「魔物退治を手伝ってくれるって言ってたけど、今でも気持ちは変わらない?」
ユベールの目は、中途半端な気持ちで協力すると言われても困ると、私に訴えているかのようだった。
「もちろんよ。私にできることなら、喜んで力を貸すわ」
私は自分の誠意が伝わったらいいなと願いながら、ユベールから目をそらさずに答えた。そして
「でも……」
と気まずそうに言葉を続ける。
「リーヴェスって人を惚れさせるっていうのは、勘弁してくれないかしら? 私にはきっと無理だろうし、それに……」
言いかけて、私は口をつぐんだ。誰にも話したことのない私の秘めた思いを、会ったばかりの子孫に話すべきかどうか悩ましかった。すると、なぜかユベールが代弁してくれた。
「ひょっとして、自分には好きな人がいるって言いたいの? 君の兄さんの友達だろ? バスチアンって名前だっけ?」
「なんで分かるの? そしてなんで名前まで知っているのよ?」
誰にも話したことがない話を、なぜユベールが知っているのか意味が分からなかった。
いくら未来から来たとは言え、先祖が片思いしている人の名前をなぜ言い当てることができるのだろう。もしかして、人の心の中まで読める……?
私が目を白黒させていると、ユベールは愉快そうに笑った。
「君の思いが赤裸々に書かれた日記、百年後まで残っているんだ。日記にすべて書いてあったよ」
日記!? ほとんどバスチアンについてしか書いていないあの日記が、あろうことか百年後まで残っている!?
「ちょ、ちょっと待ってよ、ただの日記が百年も残っているなんて、おかしいわよ。なんで誰も捨ててくれなかったのよ……」
顔から火が出るのではないかと思えるくらい、顔が熱い。
ユベールもグラディウスも他人事だと思って、楽しそうに笑っている。会ったばかりの人を、こんなにも憎いと思ったのは生まれて初めてだ。
「お前の日記からは聖の気が
「せ、聖の気……?」
私が聞き返すと、グラディウスが親切に教えてくれた。
「人や物が発する目には見えない雰囲気が、オレやリーヴェスには見えるんだ。心が綺麗なヤツからは心地のいい聖気が、逆に陰りのあるヤツからは邪気が見える。聖気や邪気は、人が大事にしている物にも宿るんだぜ」
確かに日記は大事にしている。書きたい時に書いて、書いていない時は鍵付きの引き出しの中にしまっている。たまに読み返して、バスチアンとの思い出に浸っていることもある。
しかしその日記が後世まで残ってしまうなんて考えものだ。日記だけは死ぬ前に何としてでも処分しなくてはと、私は心に決めた。
「それより話を戻すけど、片思いの件なら大丈夫だよ。レティシア、もうすぐ失恋するから」
「え?」
私は耳を疑った。ユベールは女神のような美しい顔で、残酷なことを遠慮なく言ってくる。しかもなぜか少し楽しそうだ。
「全然大丈夫じゃないわよ、どういうことよ?」
私はユベールを睨む。
バスチアンと初めて会ったのは六歳の時だ。一目惚れだった。それ以降、十年間片思いをしてきた。
バスチアンの動作一つに一喜一憂して、もしかしてバスチアンも私のことが好きなんじゃ? と妄想を楽しんできた。
私のしていた妄想はすべて日記に書いてある。それもすべてユベールに読まれているのかと思うと、今すぐこの場から消えてなくなりたいほど恥ずかしい。
「君が知らないだけで、お兄さんの友達はすでに結婚が決まって……」
「――それ以上話さないで!」
遠慮なく私の未来を話そうとするユベールを、私は慌てて止める。ユベールは不満そうに
「最初に聞いてきたのは君の方だろ」
と文句を言った。
「――決めた」
私は手を強く握りしめる。
「私、明日バスチアンに告白する」
容赦なく未来を教えてくるユベールは、正直なところ憎たらしい。しかし今は前向きに考えて、失恋する前に教えてくれた彼に感謝することにしよう。
今までバスチアンから好きだと言われることを夢見るだけで、自分から積極的に動こうとはしてこなかった。でも、何も行動を起こすことなく、失恋なんてしてたまるものか。
決意に燃える私とは対照的に、ユベールは非常に冷めた目で私を見ている。
「そんな時間なんてないよ。明日、街に魔物が出るんだ」
「え、明日? ちょっと待って、私明日は予定が……」
私は、壁に掛けてあるカレンダーを見る。明日の日付には赤いペンで大きく丸が書かれている。その赤い丸を私は毎日のように見つめ、明日という日をまだかまだかと楽しみに待っていたのだ。
「魔物退治より大切な予定ってある?」
ユベールが鋭い目つきで私を見てくる。彼は私が「ないです」と答えるのを待っているが、私はその言葉を言いたくなかった。
私は目に涙をにじませながら訴える。
「明日、久しぶりにバスチアンがうちに来るのよ。一ヶ月前から明日を楽しみにしてたの。いいじゃない、少しくらい」
世界平和か自分の恋か。
冷静に考えれば世界平和を選ぶべきなのだろうが、盲目になってこそ恋愛だ。この恋、諦めたくない。
ユベールは黙ったままだが、鋭い目つきは変わらない。私の気持ちにちっとも共感できないようだ。
気まずい沈黙が続いたが、ユベールも私もお互いを見つめたまま、何も喋らなかった。二人とも譲る気はなく、時間だけが過ぎていく。
沈黙を破ってくれたのは、グラディウスだった。
「ま、いいじゃねぇか、少しくらい。魔物が出るのは昼間だし。レティシア、元気よくぶつかって砕けてこいよ」
「ありがとう、グラディウス……」
なぜか振られる前提になっているが、グラディウスの優しさに胸が熱くなった。
ユベールも、グラディウスには逆らえないようだった。しかし、私が自分の恋愛を優先する姿勢はグラディウスが何と言おうと許せないようで、ユベールは気に入らないと言いたげに私から目をそらした。
「街に魔物が出るって言ってたけど、私たちで退治するの?」
私が疑問を口にすると、ユベールは再び私の方を見た。ユベールはどうやら気持ちを入れ替えたようで、不機嫌な表情は彼の顔から消えている。
「いや、魔物はリーヴェスでないと倒せないんだ。正確に言うと、聖剣グラディウスの持ち主でないと、魔物に攻撃が通じない」
自分が過去へ来ることになった経緯を、ユベールは簡単に説明してくれた。
ユベールは魔物に満ちた世界を救うため、魔物に唯一対抗できるという聖剣を探していた。
運良く聖剣グラディウスを見つけることができたが、自分を使うことができるのはオルヒデー家の主だけだと、グラディウスに言われてしまう。しかも、最後の主であるリーヴェス・オルヒデーは百年前にすでに死んでいた。
未来では魔物に対抗する術がなく、悲惨な未来を変えるために過去へ来たのだという。
「このままだと、リーヴェスはいつ死ぬの?」
「明後日だな」
私が聞くと、グラディウスが答えてくれた。ユベールは驚いた顔でグラディウスを見る。どうやらリーヴェスがいつ死ぬかまでは、詳しく聞かされていなかったようだ。
「リーヴェスが死ぬまで、そんなに時間がないのか?」
「あぁ。明日街に出る魔物をリーヴェスが退治するんだけどよ、リーヴェスには邪気を浄化することができねぇから、邪気にあてられた人間も全員殺すはめになるんだ。それを機にリーヴェスにまとわりつく邪気もいっきに増えて、次の日にはリーヴェスも邪気に飲まれちまうんだ」
ふいに私はユベールと目が合ってしまった。
彼の目は「この話を聞いても、まだ告白するとか言うのか?」と不気味な笑顔で私に訴えているような気がした。私は気づかないふりをして微笑み返す。ユベールの目元は笑っているのに、視線が冷たい。
「魔物はリーヴェスにしか倒せないってことは、明日私たちがその場に行ったとして、何ができるの?」
乙女の恋路を邪魔しようとしてくるユベールには聞かず、私はグラディウスを見た。
「レティシア、お前には邪気を浄化する力がある。今リーヴェスは自分にまとわりつく邪気に悩んでる。お前の力でリーヴェスの邪気を浄化してやってほしい」
「邪気を浄化する力? 私にそんな力があるの? どうやったらリーヴェスを浄化できるの?」
自分にそんな特別な力があるなんて、今まで聞いたことがなかった。そして実感もない。
「あぁ、間違いねぇ。この屋敷を見れば分かる。気持ちのいい気で包まれてる。浄化するのは簡単だ、リーヴェスを触るだけでいい」
「触るだけでいいの? 案外簡単なのね」
私は目を輝かせて自分の手を見る。
今日初めて魔物に遭遇した時は自分の身すら守ることができなかったが、次は私も役に立つことができる。私がいくら剣の腕を磨いても誰かを守ることには繋がってこなかったが、今度は救うことができる。そう思うと、嬉しくなった。
「だけど気をつけろよ。魔物は邪気の塊だが、そもそも実体がねぇからお前が触りに行っても意味がねぇし、邪気にあてられて正気を失った人間も、浄化するにはまずは気を失わせる必要がある。むやみに突っ込んで行くんじゃねぇぞ」
グラディウスが慌てて補足してきた。まさに、次魔物に会ったらとりあえず突っ込んで行ってみようと考えていたところだったので、グラディウスに自分の考えが伝わっていてぎくりとした。
私は笑ってごまかす。
「それより、リーヴェス・オルヒデーって人、どれくらい強いの?」
惚れ落とそうという気はさらさらないが、唯一聖剣を使用できる人物と言われると、興味が湧いてくる。
「オレが選んだ男だからな、この大陸にいる人間の中で一番強いぞ。近衛騎士団の団長もしてる」
グラディウスは誇らしげに話す。
「近衛騎士団って、国王直属の騎士団で、剣の腕が立つ、選りすぐりの騎士数人で構成されているっていう噂の?」
近衛騎士団があるということだけは知っているが、国王を守護する騎士団は私たちの生活とは直接的な関わりがないため、誰が近衛騎士団員なのか、また何人いるのかなど、詳しくは知らされていなかった。
「近衛騎士団の騎士団長は、この国最強の騎士だ。この国ができた当初から、近衛騎士団の騎士団長はオルヒデー家の主が務めてる。別に騎士団長はオルヒデー家って決まってるわけじゃねぇんだけどよ、オレ、最強の騎士じゃねぇと継承者に選ばねぇから」
近衛騎士団についての話なんて、めったに聞ける機会がない。
私が身を乗り出して聞いていると、ユベールが
「リーヴェスに心惹かれてきた?」
とうわべだけの笑顔で私を見てきた。
「近衛騎士団に興味があるだけよ」
と私も作り笑顔で返す。
すると急に、ユベールが立ち上がった。物音を立てずに窓へ近づくと
「とにかく、明日の朝また来るから」
と小声で言い残して、窓から出て行く。
意味が分からず、私は開いたままになっている窓を見つめていると、部屋の戸が叩かれる音がした。
「レティシア様、夕食の時間です」
侍女のコレットだった。
「今行くわ」
と答えて戸を開けると、戸の外にはまだコレットがいた。
「レティシア様を家まで連れて来てくださった男性、お知り合いですか? とっても美しくて、笑顔も素敵で……侍女たちは大騒ぎだったんですよ」
コレットは私と年齢が近く、噂話が大好きだ。職務中の私語の多さから、私の教育係でもある侍女長のポリーヌからよく注意を受けている。
ユベールの話を聞きたいがあまり、コレットは私を戸の外で待っていたようだ。
「知り合いと言えば知り合いだけど……」
コレットの話に付き合うと、私までポリーヌに怒られるはめになる。だから私はあまりコレットと話したくないのだが、コレットはそんな私の気持ちを感じとってくれない。
「どうやって知り合ったんですか? 羨ましい!」
話が長くなりそうだったので、私はコレットから逃げるように食堂へ向かう。さすがのコレットも、私を追ってくることはなかった。
それにしても、私が薄っぺらいと感じているユベールの外面だけの笑顔が、コレット達からしたら素敵な笑顔に見えるというのには驚いた。
ほんのわずかな時間で侍女たちを虜にしていくなんて、ユベールの作り笑顔の威力は恐ろしい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます