30 永遠の別れ

 全力でまっすぐ走っていくと、遠くにユベールの背中が見えた。

 手を振りながら大きな声で私はユベールに呼びかける。ユベールは驚いた顔をしていた。すでに彼の足は消えてなくなっていた。


 私に黙って消えようとするなんて、ひどすぎる。魔物を倒せたら未来に帰るという嘘は許せても、もう二度と会えなくなってしまうのに、またすぐ会えるかのような顔で用事があると言って別れたユベールの嘘は、許すことができなかった。


 ユベールの嘘に付き合おうと思っていたが、やめることにした。


 私は涙をこらえながら、ユベールに怒る。気丈に振る舞いたかったが、声の震えを隠すことはできなかった。


「なんで黙って消えるのよ」

「僕が消えること、知ってるの?」


 何を言っているんだ、僕は未来に帰るんだよ、とこの期に及んでとぼける気はないようだ。


「過去が大きく変わるのに、無事にユベールは未来に帰ることができるのか不思議に思って、お兄様に聞いたら教えてくれたの」

「まいったな、君の兄さん矛盾だらけだ。僕に言うことと君にしてやることが正反対じゃないか」


 ユベールはため息をつきながら言った。今まさに自分が消えるようとしているのに、ユベールに動揺している様子はない。


「何でも願い事を叶えてくれる花が、もうすぐ咲くらしいの。魔物退治が一段落したら、ユベールと一緒にその花を見つけようとしていたのよ。まだ消えないでよ」


 私はすがるような目でユベールを見る。


「その花って、ひょっとしてローディのこと? もしかして、街で探していたのはローディ? あんなので見つかると思っていたの?」


 ユベールは呆れ顔で言った。


「ユベール、その花のこと知ってるの?」

「知ってるも何も、僕とグラディウスを過去に送ってくれたのはローディだよ。僕のいた百年後の世界では、野花の見た目をしていて、リーヴェスの寝室に咲いていたよ」


 まさかユベールが、願いを叶えてくれる花のことを知っていたなんて。もっと早くに打ち明けていたら、ユベールが消える前にその花を見つけることができたのだろうか、とどきりとした。

 ユベールは私の考えていることなどお見通し、と言うかのように、にやりと笑った。


「ローディと会ったことがあるから分かる。ローディはレティシアの願いを叶えてはくれないし、きっとレティシアは彼女を見つけることさえできないよ。仮に運良く見つけられても、僕を消えないようにしてくれ、とローディにお願いしたところで、彼女はおそらく叶えてくれない」


 ユベールは愉快そうに声を出して、あはははは、と笑った。なんでそんなふうに笑えるのか理解ができなかった。


「なんでそう言い切れるのよ。やってみないと分からないわ」


「こればかりは、やらなくても分かる。ローディは死にそうな美青年の願いしか叶えないんだ。しかも、ローディが叶えたいと思った願い事だけ。代償を覚悟したうえで僕は過去に送ってもらったんだ。やっぱりその代償も負いたくないなんて言ったら、きっと怒鳴られるだろうな。ちなみに、君とリーヴェスを引っつけろって言いだしたのはローディだからね」


 言い終わると、笑っていたユベールの顔が急に真剣な顔つきになった。あ、もうユベールは消えるんだ……、と私は悟る。ユベールはすでに胸から下は消えてなくなっていた。

 私と同じ目線の高さになるようにかがむと、ユベールは優しい声でゆっくり話す。


「魔物はひとまず退治できたし、僕はいま消えることに何の後悔もないんだ。――これ以上この世界にいて、君とリーヴェスが結ばれるのを近くで見るのも嫌だと思っていたしね」


「意味が分からないわ。私とリーヴェスが引っつくことをあんなに望んでいたのに、なんでそれを見たくないのよ。リーヴェスだってまだ、聖剣を次の代に継承するとは言ってないわ。やることはまだまだあるのよ、消えないでよ、ユベール」


 私は駄々をこねる子どものように、ユベールに泣きついた。

 お兄様からユベールが消えると聞いた時は、ユベールの考えを尊重しようなんてかっこいいことを考えていたが、理想通りに振る舞えるほど私は強くなかった。


「さっき小屋の中でレティシアがお礼を言った時の、リーヴェスの顔見た? あれはもう落ちたようなものだよ。これ以降は僕がいなくたって、なるようになる」


 ユベールの胸から上も透き通って見えるようになってきた。何か気の利いた言葉をユベールにかけたかったが、何も思い浮かばない。涙を堪えようと唇を噛むが、私の涙は止まる様子がなかった。


 泣きじゃくる私を見て、ユベールはからかうように笑いながら、肩をぽんぽんと叩いてくれた。透けてはいるが、ユベールが私を触る感触はまだある。


「僕は消えてしまうけど、レティシアは何も気にしないで。未来で一人死ぬことになる前に、この時代に来られて本当によかった。魔物が倒れるところも見えたし、レティシアにも会えたしね。ありがとう」


 ユベールは私を抱き寄せると、口に軽くキスをした。私が顔を真っ赤にして固まると、いたずらっ子のように笑いながら

「未来でまた会おう」

と言って消えていった。


 ユベールは言いたい放題言いながらも、私が危険な時は真っ先に駆けつけて守ってくれた。ただそれだけでも恋愛経験がほとんどない私は好きになってしまいそうだったのに、最後の最後にキスをしてくるなんて、なんて罪作りな男なのだろう。

 ユベールとのキスは私にとって、ファーストキスだった。


 私は胸いっぱい息を吸うと、すべて吐き出した。早朝の森の空気は気持ちよかった。


 ユベールは未来でまた会おうと言い残して去っていった。なぜだか私も、ユベールとはまたどこかで会えるような気がするから不思議だ。


 ふと自分の服を見ると、寝巻き姿だった。今まで無我夢中で気づかなかったが、明け方の森に寝巻き姿でいるのは、さすがに少し寒い。


 私は気がすむまでユベールが消えた場所を眺めたあと、お兄様のいる場所まで戻った。

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