24 リーヴェスの小さな家

 朝、お兄様から幻の花の話を聞いたこともあり、花が咲いていると自然と目が行ってしまった。私がきょろきょろしているせいか、

「何か探し物?」

とユベールが聞いてきた。


「い、一度でいいから、見てみたいな、……って思っている花が、あるのよね」


 幻の花について今はまだユベールに詳しく話す気はないのだが、隠すつもりもなかった。

 荒く息をしながら、私は答える。周りを見回すちょっとした余力はあっても、走りながら話すほどの余裕はなかった。


「どんな花?」


 一緒に探してくれようと思ったのか、ただ興味がわいただけなのか、ユベールが聞いてきた。


「どんな、み、見た目なのか、よく分からないの……」


 少し間があって、


「この辺に生えているような花なの?」


と無表情でユベールが言った。


「それも、よく、分からないのよね」

「まったく情報もないのに、よく見てみたいなんて思えるね。諦めるんだね、見つかりっこないよ」


 ユベールは呆れた顔でわざとらしく大きなため息をついた。私は喋るのもやっとなのに、ユベールは相変わらず余裕がありそうだ。


「魔物退治が、終わったら、……ゆっくり探すから、いいのよ」


 気づくと、隣で走っているはずのユベールの姿がなかった。後ろを振り返ると、ユベールは白い門の前で立ち止まっていた。リーヴェスの屋敷に着いたようだ。


 公爵家であるにも関わらず、リーヴェスの屋敷はうちよりも小さかった。門を抜ければすぐ屋敷があり、庭はほとんどない。門には門番もいない。はたから見たら、この家に公爵が住んでいるとは信じがたかった。

 門の外から声をかけても反応はなく、門には鍵がかかっていた。


「本当にこの家にリーヴェスが住んでるの?」


 私は疑いの目でユベールを見る。


「寝室のような部屋にグラディウスがいたんだ。ここで間違いないと思うんだけど」


 ユベールは門に登ると、内側から鍵を開けてくれた。誰の家かよく分からない屋敷に私たちは勝手に入ってしまったわけだが、ユベールは気にする様子もなく、屋敷に近づくと扉を叩いた。


 中からは何も反応がない。


 すみません、と大きな声で言いながら、扉をまた叩く。すると今度は、小走りで近づいてくる足音が聞こえてきた。

 足音は扉の前で止まると、すぐに扉が開いた。

 扉を開けてくれた男の子を見て、リーヴェスは本当にこの家にいるのかと私はさらに不安になる。


 男の子の肌は褐色で、髪は黒い。外見を見ただけで、外国出身だと分かった。外国の商人が仕事でこの国にやってくることはあるが、外国人――しかも子どもが、使用人として貴族に仕えるなんて聞いたことがない。ここはきっと、外国の商人が一時的に借りている家なのだ。


 男の子を見て固まっていると、ユベールが肘で突いてきた。ここがリーヴェスの家だと言ったのはユベールなのに、私に話せと要求してくる。


「えっと、その……私はレティシア・キルシュバオム。リーヴェス・オルヒデーという人に用があって来たのだけど……家を間違えてしまったかしら?」


 私が気まずそうに言うと、男の子は少し驚いた顔をしたものの、

「合っていますよ。リーヴェス様ですね」

とにこやかに言った。


「……え? 本当にリーヴェスここにいるの?」


 私はユベールが思い違いをしているだけだろうと決めつけ、謝る準備までしていたので、男の子の予想外の言葉を理解するのに時間がかかった。

 ユベールを見ると、僕の言ったとおりだろ? と、得意げな顔をしている。


「使用人はあなた以外にいないの?」


 私はすかさず、気になっていたことを尋ねた。

 家の中は静かで、音が全然聞こえてこない。話し声はもちろんのこと、足音さえ聞こえない。この家には、男の子しかいないのではないかと思えるほどだった。

 朝のこの時間帯のうちだったら、屋敷を掃除する音と共にコレットたちの賑やかな話し声が聞こえてくるはずだ。そして侍女長であるポリーヌが、私語は慎めとコレットたちを説教する声もたまに聞こえてくる。


「僕は居候のようなもので、この家の使用人は一人もいないんです。リーヴェス様は行き場のない僕を、特別に置いてくださっているだけなんですよ」


 男の子の話し方に外国人特有のなまりはほとんどなく、たどたどしさもなかった。男の子が理解できるようにと、私は今までゆっくりと話していたのだが、その必要はなさそうだった。


「君って、他の大陸から来たの? 君の故郷ってどんなところ?」


 ユベールは外国人が珍しいのか、男の子を興味津々な顔で見ている。男の子は、少しも困ったような顔はせず、丁寧に教えてくれた。


「はい、僕はデゼルト帝国から来ました。全然雨の降らないところです。その日の食べ物や飲み物にも困るような生活で、あまりいい思い出はありません。緑豊かで争いのほとんどないこの国に来られて、僕はいま幸せです」


 男の子は優しく笑っている。

 屋敷の中の、どこかの戸が開いて閉じる音がした。重たい足音が、ゆっくりこちらに近づいてくる。

 足音が聞こえてくる方向を見ていると、階段からリーヴェスが降りてきた。リーヴェスは私たちを見るなり、険しい表情をする。


「どうして俺がここにいると分かった? 表向きには俺はオルヒデー家本宅にいることになっているはずだが」

「僕は未来から来たと昨日言っただろ? 未来のこの家でグラディウスを見つけたから、ここにいるだろうと思ったんだ」


 ユベールは誇らしげに笑った。

 オルヒデー家の屋敷の場所を聞いて訪ねたところでリーヴェスには会えなかったことになるので、ユベールの手柄は大きい。


「これ以上オルヒデー家に関わるなと、昨日言ったばかりだろう。帰ってくれ」


 リーヴェスは眉間にしわを寄せて言うと、私たちを無視して家の外へ出て行こうとした。私は慌てて出入口の前に両手を広げて立ち、リーヴェスが通れないようにする。


「ちょっと待って、少しだけ時間をちょうだい。昨日、魔物は退治するって言ってたわよね。残りの魔物、いつ退治しに行ってくれるの? 私たちもついて行きたいんだけど」


「足手まといだ。どうせついてきたところで、お前たちにできることは何もない。魔物は俺が責任を持って退治しておく。これ以上関わらないでくれ」


 私が出入口の前に立っているにも関わらず、リーヴェスは無理やり私を通過して家の外に出ようとした。リーヴェスの迫力に押されて突破されてしまいそうになったが、ユベールがすかさず加勢してくれた。そのおかげで、なんとかリーヴェスの足止めに成功する。


「いつ退治する予定なのかだけでも教えてよ。じゃなきゃ、毎日朝と夜にこの家に押しかけるわよ」


 日にちさえ分かれば、ユベールならリーヴェスの後を追うことも可能だろう。確かに魔物退治に関して私たちは見ていることしかできないが、きっとユベールは魔物がすべて退治されるところを自分の目で確認したいに違いない。

 リーヴェスは、出入口の前から意地でも動こうとしない私たちを見て、大きなため息をついた。


「グラディウス、魔物はいま全部で何体いる? 急いだ方がいいのか?」

 

 少しの間があったあと、


「邪気の塊はまだ三体しか出現しておらぬ。急がずとも、問題なかろう」


と声が聞こえてきた。グラディウスの声に間違いないのだが、ユベールと一緒に来たグラディウスの話し方を知っていると、頑張って背伸びして話しているようで滑稽だった。


「グラディウス、なんでそんな変な話し方してるのよ。その話し方、全然似合ってないわよ」


 私は我慢ができず、吹き出した。しかしグラディウスは、反論してくる様子がない。


「この時代のグラディウスは、自分の継承者であるリーヴェス以外とは話す気がないらしい」


 ユベールはすねたように言った。ユベールの顔は、どことなく寂しそうだった。

 そんなことを言われると、グラディウスに何としてでも口を開かせてやりたいと思えてくる。少し考えたあと、これだったらグラディウスも食いついてくるかもしれない、という話題を思いついた。


「グラディウス、恋愛話好きでしょ? 私つい最近、十年片思いしていた相手に失恋したばかりなの。気にならない?」

「じゅ、十年!?」


 裏返ったグラディウスの声が聞こえてきた。やっぱり、どれだけお高くとまっていても、グラディウスはグラディウスだ。人の恋愛話が好きというのは変わらないらしい。


「やったわ! グラディウスが喋った!」


 私は嬉しくなり、ユベールを見た。一緒に喜んでくれるかと思いきや、ユベールは呆れ顔で私を見ている。

 リーヴェスを見ると、彼も呆然としていた。私たちを出迎えてくれた男の子も、どのような反応をしたらよいか困っているようだ。


 三人の表情を見て、今さらながら自分の醜態に気づく。グラディウスに喋らせたい一心で、本来であれば他人には内緒にしておきたい過去を、あろうことか失恋とは無縁そうな異性の前で大きな声でさらしてしまった。私は顔中が熱くなるのを感じた。


 そんな私を見て、ユベールは声を立てて笑い出した。ユベールはすでに私の失恋を知ってはいるが、この状況でいきなり私が自分の失恋について話し始めるとは思っていなかったようだ。


 私が体を張って失恋したことを暴露したにも関わらず、グラディウスが喋ったのは一言だけで、それ以上は口を聞いてくれなかった。必死で見ないようにしていた傷口に自ら塩を塗るような行為をしたわりに、得たものはほとんどなかった。


「――一週間後だ」


 軽く咳払いをしたあと、リーヴェスが言った。


「一週間後、魔物を退治する。だからさっさと帰ってくれ」

「一週間も先なのか?」


 ユベールが焦った顔をして聞き返した。


「俺にも都合がある。急ぐ必要がないんだ、いいだろう」


 リーヴェスは、早くそこをどけという目で私を見る。

 音がしたので門を見ると、門の外に馬車が止まっていた。御者がリーヴェスに手で合図を送っている。どうやらリーヴェスを迎えに来たようだ。

 まだ話し足りないのだが、リーヴェスの仕事の邪魔をするわけにはいけないと思い、


「じゃあ最後に、あなたの兄弟のいるところを教えて」


と私は切り出した。


「は? 何の用だ?」

「聖剣の後継者選びの時以来、二人の兄弟が家にこもりっきりって言っていたでしょ。邪気を払えば、元気になるんじゃないかと思って」


 リーヴェスの話を聞いた時から、もしかしたら私が力になれるのではないかと思っていた。仮に力になれなかったとしても、状況が悪化するわけではないのだし、部屋から出られる状態にないという兄弟たちに会いに行ってみる価値はありそうだ。


「だから言ってるだろう。お前はこれ以上、邪気に近づかない方がいい。邪気が浄化できるからといって、お前の体が大丈夫だという保証はどこにもないんだぞ」


 リーヴェスは私を睨み、強い口調で言った。だが私も譲る気はない。


「体に負担がかかっているかもしれないってだけで、絶対危険って言い切れるわけではないんでしょう? 不確かな未来を恐れて、いま自分ができることをしないで見ているだけなんて、私は嫌よ」

「忠告はしたからな。勝手にしろ」


 リーヴェスは不機嫌な顔で言い、出入口に向かって歩き出した。勢いに押され、私はうっかり道を譲ってしまう。


「ルカ、行ってくる」

とリーヴェスは男の子に声をかけると、家を出て行った。


「ちょっと待って、それであなたの兄弟の場所はどこなの?」


 私はリーヴェスの背中に呼びかける。


「教えるわけないだろ」

とだけリーヴェスは言うと、馬車に乗り込み、さっさと出発してしまった。


「あの、よかったら中でお茶でもどうですか?」


 ルカと呼ばれていた男の子が、丁寧に声をかけてくれた。いきなり押しかけてきたにも関わらず、ルカは私たちを客人のように扱ってくれる。


「ありがとう。でも、今日は遠慮しておくわ」

と私が言うと、

「また来てくださいね」

とルカは微笑んだ。リーヴェスにいくら嫌がられようとまた来る気でいたので、ルカにそう言ってもらえるのは嬉しかった。




 ユベールと二人、街中を歩く。


「あいつ、俺には関わるな、みたいな態度をとりながら、一人で困っている子を見かけたらほうっておけないんだな」


 ユベールはリーヴェスとルカのことを言っているのだと、すぐに分かった。リーヴェスがあの家に使用人を誰も置かないのも、人との関わりを極力避けたいがためなのだろうか。


「嫁の貰い手がないと泣きつけば、あいつ、レティシアと結婚してくれるんじゃないか?」


 いつものように冗談を言う口調で言ってくれればいいのに、ユベールは真顔で私に提案してきたので困った。


「嫁の貰い手がないってところは当たってるけど……余計なお世話よ」

とユベールを睨むと、ユベールはけらけらと笑った。

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