12 レティシアを守るもの

 レストランを出ると、僕はレティシアの屋敷に向かって歩いた。

 昨日今日と二日続けて気を失ったレティシアを届けるのは気が引けるが、レティシアが目覚めない以上、仕方がない。


 今日は何と言ってレティシアを使用人たちにお願いしようかと悩んでいると、

「レティシアを面倒事に巻き込まないでくれないか?」

と後ろから怒った男の声が聞こえてきた。


 振り向くと、銀色の髪をした男が立っていた。男の髪は日の光を反射してまばゆく輝いて見え、僕は思わず顔をしかめた。

 男は足早に僕に近づいてくると、レティシアを僕から奪う。


「サナティオ!」


 男を見て、グラディウスが嬉しそうに言った。


「ローディから聞いたぞ、なんで人間嫌いのお前が人間の恰好してるんだ?」

「この姿の時は、レティシアの兄、カーティス・キルシュバオムだ」


 カーティスは不機嫌そうに答えた。


 血が繋がっていないのだから仕方がないが、カーティスは外見上、まったくレティシアと似ていない。

 人外の何かが人間に化けているのではないかと感じさせるような、神秘的な美しさがカーティスにはあった。

 グラディウスは「人間の格好」と言ったが、人間の僕からしたら、カーティスの見た目は完全に人間ではない。人間の美しさとは少し異なる美しさのせいで、変に目立ってしまっている。


「なんでレティシアを守ってやってるんだ?」


 グラディウスはカーティスの機嫌を気にする様子もなく、相変わらず楽しそうに話しかけている。


 一方カーティスは詳しくは話す気がないようで、

「レティシアには少々借りがあるんだよ」

とだけ答えた。


 二人のやり取りを見るかぎり、グラディウスとカーティスは知り合いではあるようだが、あまり仲がいいようには見えない。


「人を疑うことも知らないような、あの能天気なレティシアに借りがあるのか?」


 僕は疑問に思ったままを口にした。


 何も考えず、勢いだけで突っ走っていくあのレティシアが、いったいカーティスにどんな借りを作ったのか、想像できなかった。


 レティシアが僕の話をすぐに信じてくれたため、彼女の信頼を得るために余計な時間をかけなくてよかったのは助かったが、突拍子もない話をすぐに信じるレティシアの素直さには恐ろしさを感じた。

 ここまで素直なのは大事に育てられてきた証なのだろうが、僕と同じ時代を生きた人間から見たら、彼女はただのばかだ。人の話をそのまま信じるなんて、考えられない。


 今ではだいぶ慣れてきたが、僕はレティシアと初めて話した時、彼女ののんきな性格がいらだたしくてたまらなかった。

 僕の言ったことに対して、案の定、カーティスはさらに怒った。


「レティシアは疑うことを知らないわけじゃない、疑わないだけだ。レティシアの賢さが分からないのは、お前がバカだからだ」


 グラディウスはレティシアのことを綺麗だと言い、目の前にいるカーティスは賢いと言う。人外のものからのレティシアの評価の高さに、僕は納得がいかなかった。


「なんで君たちのレティシア評価はそんなに高いんだ? まったく理解できないよ」


 別に答えを求めていたわけではないが、僕が言ったことに対しカーティスは


「バカには分からなくても結構だ」


と低い声で言い、グラディウスは


「あんなに綺麗なのに、なんで分からねぇんだよ」


と驚いた。


 きっと人外の彼らと人間の僕とでは、物事を感じる根本が違うのだろう。根元から違うから相手がなぜ理解できないのかが分からないし、分からない理由が想像できないからこそ説明もできない。

 逆に僕が彼らに、なんでレティシアが綺麗に見えないんだ? と聞かれても、分からないとしか答えられない。


 今までずっと不機嫌な顔をしていたカーティスだったが、グラディウスが僕に話す姿を見て、急に驚いたような顔をした。


「人間相手に話す時の、あの変な喋り方はやめたのか? オルヒデー家以外の人間と一緒にいるのも、私の知っているお前からしたら考えられないな」


「まあな。百年も床に横たわったまま何もできないと、前に持ってたこだわりとか、どうでもよくなっちまってよ」


 最初の険悪だった雰囲気は一時的なものだったようで、カーティスとグラディウスは僕のことは気にせず二人で話し始めた。


「時空を超えて百年後の未来から来たんだってな。なんでまた、そんな無茶なことをしようと思ったんだ。時空を超えることで負った損傷は、私でも治すことはできないぞ」


 そういえばサナティオはどんな病も怪我も治すことができる力を持っていると、グラディウスが言っていたな、と未来でした話を思い出す。


「リーヴェスがオレを後継者に引き継がずに死んじまうから、オレはリーヴェスの死後、床に寝たきりさ。動けねぇし、死ぬこともできねぇ。だからローディの力で過去に行くって言うユベールについて来たんだよ」


「契約者が死んでも契約が切れないって、バカなんじゃないか? そういうものは契約を結ぶ前にしっかり確認しておくものだ」


 カーティスは心底呆れているようで、嫌みったらしく言った。


「うるせぇよ。オレはオルヒデー家と契約を結ぶ気なんて更々なかったのに――」

「お前のバカな性格が変わらないように、私の人間を嫌う気持ちも変わりない。だけどお互い、会わない間に変わったものもあるようだな」


 グラディウスはまだ話したそうだったが、カーティスは遮るように話し始めた。もうこれ以上は、グラディウスと話をする気がないようだ。


「話を戻すが――邪気を払うことで、レティシアの身にどれだけの負担がかかるかもしれないか、お前たちは考えたことはあるか?」


 「お前たち」と言ってはいるが、カーティスは僕の答えを求めているようだった。


 彼の話し方からは性格の悪さがにじみ出ていた。そして彼の目を見れば、自分がいかに嫌われているかがすぐ分かった。

 人を見下すような彼の態度は、僕はどうも好きになれない。レティシアぐらい能天気な人間でないと、彼と良好な関係を築くのは難しいと思う。


 邪気を払うことでかかる身の負担なんて、今まで考えたこともない。

 レティシアにかぎらず僕にも当てはまることだが、気を失ったこと以外は今のところ特に体に異変を感じたことはない。


「そんなに怒るなよ。かなり蓄積された重い邪気を払ったあとは気絶しちまうようだけど、数時間もすれば起きるぜ。ユベールがオレの邪気を払ってくれた時もそうだった」


 グラディウスが僕をかばうように答えてくれた。しかしカーティスは意地の悪そうな顔で僕の方だけ見て話す。


「もっと考えてくれ。特殊な力を受け継いでいたとしても、レティシアは人間にすぎないんだ。この先どんな負担が彼女を襲うか分からない」


 そんなことを言われたって、僕は今まで命がけで魔物退治の手がかりを探ってきた。今さら、何だって言うんだ。

 どんな負担が彼女を襲うか分からない? 確実に負担がかかっていると言われるのであれば、僕だって考えなおす。だけど、不確かな情報で批判されるのは我慢ならなかった。

 カーティスに反論したい気持ちを、手を握りしめることでぐっと抑え、僕は言う。


「……レティシアには、今後も協力してもらわないと困る。だけど、レティシアに邪気を浄化させたくないと言うのなら、僕が代わりに浄化する」


 これは僕ができる、最大限の譲歩だった。これでもカーティスが承知してくれないのなら、分かったふりをして陰で動くしかない。


 しかし、カーティスから飛び出したのは思いもよらない言葉だった。カーティスは冷たく言う。


「時空を超えた影響が、すでに出ているようだ。未来ではどうだったか知らないが、今のお前にはもうほとんど邪気を浄化する力はない。今後は、邪気に近づかないことだ――だが、レティシアには頼るな。これ以上巻き込まないでくれ」


 こっちの世界に来てからまだ一日程度しか経っていないのに、すでに消えかかってる? まだ魔物退治の目処も立っていないのに。


 僕は慌てて自分の体を見るが、体が透けている様子はない。僕はカーティスの言葉が信じられなかったし、信じたくもなかった。

 だが彼の言葉は、僕の心を乱すのには十分だった。

 おかげで、とりつくろっていた僕の表情が崩れてしまった。冷静な対応をしたいのに、僕はもう怒りの感情が隠せなかった。


「この国を救うためだ、多少の犠牲はやむをえない」


 カーティスを睨みながら、僕は言った。


 正直なところ、レティシアを危険にさらすのは心苦しいが……、僕はもう後戻りはできない。どんな道であったとしても、道の先に自分の望む未来があると信じて、進むしかなかった。


 安易に予想できたことだが、カーティスは僕の言葉を聞いて激怒した。


「犠牲は仕方がない? ――お前がただレティシアだけを犠牲にするような奴だったら、今この場でお前を殺していたところだ」


 カーティスは声を荒げることなくあくまで静かに喋っているが、彼の目は殺気立っていた。

 カーティスはもう僕たちと話すことはないと言うように、キルシュバオム家の屋敷がある方向へ向かって歩き出す。


「先ほども言ったように、私は人間が嫌いだ。大嫌いだ。この国の人間が全滅しようが、私にはどうでもいい。レティシアさえ幸せでいてくれたらそれでいいんだ」


 レティシアは僕たちが揉めていることにちっとも気づく様子はなく、幸せそうな顔で寝ている。

 カーティスは歩きながら時おりレティシアの顔をのぞき込んでは、愛しいものを見るような優しい目になった。その表情は僕たちに見せたものとはまったく異なるものだった。彼の目を見るだけで、彼がどれほどレティシアのことを大切にしているのかが想像できた。


「これ以上レティシアに関わることは、この私が許さない。――あと、レティシアには私がサナティオだということは決して言うなよ。この娘は私のことを実の兄だと信じているんだ」

とカーティスは言うと去って行った。


 こんなにも見た目が違うのに、それでも兄弟だと信じられるなんて、レティシアの気が知れない。


「知らないうちに、あいつも変わったな。あんなに人間に入れ込むようなヤツじゃなかったんだけどな」


 カーティスの後ろ姿を見ながら、グラディウスがひとり言のようにつぶいた。

 僕はカーティスが歩いて行った方向とは逆の方向に歩き始める。


「おい、どこ行くんだよ?」


 グラディウスが話しかけてきた。


「時間潰して、レティシアの家」

「目を覚ますの待って、話しかけるのか?」

「違うよ。今日はもう、レティシアは休ませてあげよう。テネブライが襲ってくる可能性もあるし、レティシアの屋敷の敷地内で待機する」


 この時代は本当に平和のようで、広い庭にはたまに使用人が確認にくる程度だった。


 道行く人を見るかぎりでは、生活に困窮している人はいないように見える。一般庶民でも、おしゃれにお金をかけられる程度の金銭的余裕と、友人と遊びに出かけられるような時間的余裕もあるみたいで、みんな楽しそうだ。

 僕もこんな時代でマリーたちと楽しく過ごせたら幸せだっただろうな、と道行く人を見ながら思った。


「ユベール、レティシアと会ってからは結構楽しそうにしてたのに、すっかりオレたちの時代にいた頃のお前に戻っちまったな」


 グラディウスの声はどことなく寂しそうだった。


「楽しそう? 僕が?」

「あぁ、まさか笑ってるお前を見ることができるとは、思ってなかった」


 グラディウスに言われて初めて、自分が笑っていたことに気づいた。確かに思い返してみると、自然に笑っていた気がする。あんなふうに最後に笑ったのは、いったい何年前だっただろう。よく思い出せない。


「レティシアの独特の勢いに引きづられたみたいだ。これからはもっと気を引き締めるよ」

と僕が言うと、グラディウスは寂しそうな声のまま

「オレは笑ってるお前の方が好きだぞ」

とだけ言った。


 僕は何も答えなかった。

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