03 故郷との別れ
もう二度と戻らない決意をして領地を飛び出したのは、わずか三か月前だ。まさかこのような形で帰ってくることになるとは思わなかった。
領地の門をくぐり、自宅を目指す。
領地は三か月前と変わりない様子だった。
木々は相変わらず青々と茂っていて、鳥たちが追いかけっこをして遊んでいる。
飼い主のいなくなった牛、羊、鶏は、柵で囲われた放牧地ではなく、自由に自分の好きな所へ行き、日向ぼっこを楽しんでいた。
畑以外の場所には四、五階立ての集合住宅が建ち並んでいる。そして、今まで農作物を作っていた畑には、墓が並んでいた。三か月前、僕が領地を旅立つ前に簡易的に作った墓だ。領地に住んでいた人、全員分ある。
「人間は誰一人としていないんだな」
ローディと別れて以来、ずっと黙っていたグラディウスが初めて口を開いた。
見ればすぐ分かることなので、グラディウスのつぶやきに僕は肯定も否定もしなかった。かといってずっと会話がないのも気まずかったので、代わりに思い出話を少しすることにした。
「僕たちの土地だけは今までずっと平和だったんだ。魔物が領地の近くに出たこともない。貧しいながらも領民全員が生活できるだけの食糧もあった。いつかは魔物に襲われるかもしれないと思っていたけど、まさかその日がこんなに早く来るなんて」
わずか数か月前の出来事だが、まったく実感がわかない。最初は目の前に広がった惨劇が実は夢なんじゃないかと思ったが、今ではみんなと領地で楽しく過ごしていた日々の方が夢だったのではないかと疑いたくなるほどだ。
当時の僕は、魔物を倒す手がかりを得るため、あまり領地にはいなかった。数か月から一年くらい領地を留守にし、数日帰ってはまた出かけ、を繰り返していた。
他の場所へ行っても人に出会えるのは稀で、ほとんどが無駄足だった。何年もかけてこの島を巡ってみて分かったことは、聖剣が手に入れば魔物を倒せるかもしれない、という不確かな情報と、この島にはほとんど人間が生き残っていない、という事実だけだった。
あの日は、領地の門が見えた時点で嫌な予感がした。いつもは暇そうに立っている門番が見当たらず、門は開きっぱなしになっていた。領民の声が聞こえるほど十分には領地に近付いていないのに、領地全体が静まり返っているような気がした。
門に近づくにつれ、悲惨な光景が少しずつ目に入ってくる。門をくぐり、しばらく呆然と立ち尽くしたあと、家族が心配になり自宅へ走った。領地の様子からして、家族だけは無事だなんて信じていたわけではないが、案の定、自宅に入るとみんなの亡骸が横たわっていた。
いきなりのことすぎて、涙なんて出なかった。そしてあの日から今まで、泣いたこともない。
あともう少し早く領地に帰っていたら……と、自分の行動が悔やまれた。自分がいたところで状況は変わらなかっただろうが、いっそのこと、みんなと一緒に死んでしまいたかった。
今の僕を動かしているのは、ただの怒りだ。無力な自分に対しての怒りでもあるし、ことごとく人の命を奪っていく魔物に対しての怒りでもある。
この怒りが消え、僕の心を占めるものが悲しみ一色となった時、僕は僕でいられなくなると思った。だから、過去に行くといずれ消えるとローディに言われた時、ちょうどよいと思った。――魔物さえ退治できたあとであるのなら。
「この土地が最近まで大丈夫だったのは、レティシアってヤツがこの土地に宿した想いのおかげだろうな。お前の持ってる銀の羽根と同じ気が、この土地の節々から感じる。死後何十年もレティシアの気は残っていたんだ、人間にしては十分すぎる方だ」
僕を今まで守り、領地や領民の命までも今まで守ってくれていたレティシアという先祖は、僕の中では慈悲深い聖母のような美女として姿ができあがっていた。これから当の本人に会えるのは、少しだけ楽しみだった。
僕が何も答えずにいると、グラディウスは唐突に話題を変えてきた。
「彼女いたか?」
「いきなりどうしたんだ。いなかったよ」
「好きなやつはいたか?」
グラディウスはまだこの話題を続けたいらしい。僕が答えないでいると、
「いたんだな?」
とグラディウスは嬉しそうに言った。
「ローディがいなくなった途端、饒舌になったな」
僕は皮肉を込めて言ったつもりだったが、グラディウスは気にする様子もなく、いつもの調子で
「あぁ、オレあいつ苦手なんだ」
と答えた。
門から足早に歩いた甲斐があり、早くも自宅に着いた。
領民たちの家は十分に広いとは言えない集合住宅だが、僕の家は広い庭付きの二階建てだった。ここに、兄のダヴィド、兄嫁のマリー、姪のエマ、執事のドニ、メイドのネリーの六人で暮らしていた。六人で住んでも、家は空き部屋がいくつもあるほど広かった。
今ではただの肩書きでしかないのだが、兄のダヴィドは父から侯爵位を引き継ぎ、この土地の管理を行っていた。本来であれば無駄に広い家を取り壊して、領民の住む場所や畑にした方がよかったのだろうが、それを拒否していたのは領民だった。
レーヴェンツァーン家は魔物の発生以来、領地にある作物を領民と平等に分け合ってきた。「住む場所も食べる物も現状は特に困っていないので、せめて家ぐらいは立派なところに住んでください」というのが領民たちの言い分だった。
広い家に住み、年老いた執事とメイドが一人ずついたが、僕たちは領民と同じようなものを食べ、同じような服を着ていた。
家に入ると、向かってすぐの壁に家族の肖像画が飾ってある。姪のエマが生まれた時に絵の上手な領民が描いてくれたものだ。僕らにとって執事のドニとメイドのネリーは家族みたいなものだったので、僕も含めて六人が描かれている。
「なんだ、お前、この絵の女のことが好きだったのか」
グラディウスがまた唐突に恋愛話をし始めた。グラディウスの言う「女」とは、生まれたばかりの姪のエマでも、メイドのネリーでもないことは明らかだった。
「違う、彼女は僕の兄さんの妻だ」
「兄貴の女に惚れちまったのか。つらいな」
グラディウスは僕の話に聞く耳を持たない。
「この女とチューくらいはしたか?」
「さっきから恋愛の話ばかりだな」
恋愛話が好きな聖剣に呆れながら、僕は言った。
「オルヒデー家のヤツら、子どもに俺を継承させなきゃいけないからって、どいつもこいつも女に見境がないんだ。それを間近で見るうちに、癖になっちまった。で、好きだったんなら、一度くらいチューはしたか?」
また同じ質問に戻ってきた。チューしたのかどうか、僕に聞かないと気がすまないらしい。
「だから違うって言ってるだろ、そういう関係じゃない」
僕は強めの口調で言い、グラディウスを睨んだ。
「オルヒデー家の奴らは気に入った女がいると、すぐにチューしてたぞ。女の中には嬉しさのあまり気絶しちまうやつもいた。……まぁ、すぐにビンタしてくる女もいたけどな」
グラディウスは楽しそうに話している。人の色恋沙汰を見るのが、よっぽどおもしろかったようだ。
「リーヴェスも気に入った女がいるとすぐにチューするような男だったのか?」
まったく興味はなかったが、自分から話をそらすために聞いてみる。
「いや、リーヴェスはお堅い男だったよ。で、お前、チュー……」
また同じ質問を繰り返すのかと思い、話を遮って否定しようとしたところ、グラディウスは急に言葉をとめた。少し黙ったあと、独り言のようにまた話し出す。
「チューしなかったんだろうな。お前もリーヴェスも、後先考えずにチューするようなヤツだったらよかったのにな。そしたらこんなに悩まなくてすんだだろうに」
グラディウスは一呼吸おいたあと、今まで話していた声よりも大きく、明るい声で
「気に入った女を見つけたら、たまには後先考えずにチューしてみたらどうだ?」
と言った。
これ以上この話を続けたくなかったので、僕は「あぁ、そうだな」とだけ答えた。
グラディウスと無駄話をしているうちに、一階にある書斎の前に着いた。ローディは家にレティシアの書いた日記が残っていると言っていたが、あるとしたら書斎ぐらいしか思いつかなかった。
マリーによっていつも綺麗に保たれていた書斎も、今では部屋中ほこりだらけだ。
机にはダヴィドがよく使っていた本が山積みされていて、ノートもペンもいつでも書ける状態で置かれている。ダヴィドがいてもおかしくない部屋の様子なのに、溜まったほこりがダヴィド達はもうこの家には住んでいないことを告げてくる。
早くこんな家から出て行きたかった。
書斎の本は膨大で、一冊一冊見て確認していたら時間がかかりそうだった。どこから手をつけようか考えていると、
「おい、右に進めよ」
とグラディウスが僕に教えてくれた。
「レティシアの日記の場所、分かるのか?」
「あぁ、聖の気が
グラディウスの指示に従って、本を探す。グラディウスが場所を教えてくれた本は、全部で五冊あった。全て同じデザインで、「レティシア・キルシュバオム」という名前と、一から五までの連番がそれぞれの表紙に書かれていた。
「君の言う通り、レティシアの日記だ。ありがとう、助かったよ」
グラディウスに一言お礼を言ったあと、一の数字が表紙に書かれた本を開いた。
十四歳の誕生日プレゼントで日記帳を買ってもらったらしく、日記帳をもらったその日の出来事が最初の一ページ目に書かれてあった。毎日のように書いている期間もあれば、一年空いている期間もある。
最初の方は、読んでいて恥ずかしくなるような片思いの記録が綴られているだけだった。一冊目の日記帳はほとんど片思いの記録だったが、最後のページには魔物について書かれていた。僕は一通り記載に目を通したあと、グラディウスに説明する。
「レティシアは、十六歳の時に初めて魔物を見たようだ。森で魔物に遭遇し、魔物と一緒にいた見知らぬ男に命を狙われ大怪我をしたが、ぎりぎりのところで兄に助けられたと書いてある。そしてこの日を境に、王都付近で急激に魔物が発生するようになったらしい」
「レティシアが魔物に初めて会ったと書いてある日っていつだ?」
ページの一番上に書いてあった日にちをグラディウスに伝えると、
「リーヴェスが街で魔物に遭遇する日の前日だな」
と言った。
「レティシアが魔物に遭遇する前に移動できればいいってことだね。――君も、レティシアとリーヴェスを引っつけることができれば、本当に平和な世は続くと思う?」
ローディの言うことを疑っているわけではないのだが、グラディウスの意見も聞いてみたかった。
「あいつが言うんだ、間違いねぇよ。オルヒデー家は魔物を切り裂くことはできるが、邪気から自分の身を守ることはできねぇ。初代の頃から少しずつオレに邪気が蓄積されていって、ついにリーヴェスで限界が来ちまったんだ。オルヒデー家が邪気を切り裂く力も、邪気から身を守る力も両方あれば、言うことなしだろ」
紫色の目を持つ者は今まで長生きできなかったらしいが、今後は聖剣に守ってもらえるのだとしたら、紫色の目を持って生まれてきた子どもからしても悪い話ではないだろう。
「そうか、分かった。ローディに言われた通り、何とかして二人を引っつけよう」
一冊目の日記帳を本棚に戻すと、僕は二冊目を手に取った。
「お前、本当にいいのかよ?」
グラディウスが不満そうな声をあげた。
「先祖であるレティシアがリーヴェスと結婚したら、お前生まれてこないかもしれないぞ。お前の兄貴だって、生まれてこないかもしれねぇ。いいのかよ?」
ローディにレティシアとリーヴェスを引っつけろと言われた時から、自分や兄が生まれてこないかもしれないことくらい、薄々感づいていた。しかし、グラディウスにわざわざ責められるように言われると、腹が立つ。
「そもそも世界が平和になれば、人々の行動も変わり、未来は大きく変わらざるをえないんだ。未来の人たちが魔物に怯えることなく笑って過ごせるのなら、僕はそれでいい」
いらだちながら話し始めたが、話しながら少しずつ心が落ち着いていくのが分かった。魔物の心配がない未来。これ以上望むものは他にない。
「分かった。できるかぎりのことは協力する。――大丈夫だ、レティシアはきっと美人だ。リーヴェスもすぐに気に入る」
グラディウスはそう言うと、静かになった。領地に入ってからというもの、グラディウスは何かと僕に話しかけてきていたが、それ以降僕に話しかけてくることはなかった。
僕はレティシアの日記の続きに目を走らせる。
二冊目の最初のページには、ずっと片思いしていた相手に失恋したと書かれていた。ページをいくらめくっても、失恋の話が続いている。ページをめくるたびに、本当にレティシアは美人なのだろうかと、不安が少しずつ大きくなっていく。
失恋の話がようやく終わったかと思うと、王都からかなり離れた田舎に住む、レーヴェンツァーン侯爵のところへ嫁ぐことになったと書かれていた。
前々から縁談の話は来ていたが、レーヴェンツァーン侯爵はレティシアより三十歳も年上なうえに、後妻に入ることになるため、レティシアの父親が今まで渋っていたらしい。
しかし、レーヴェンツァーン侯爵領にはまだ魔物は出現していなかったため、レティシアの安全を願った父親は、結婚を決めたと書かれている。
念のため三冊目、四冊目、五冊目、と最後まで目を通したが、以降はレーヴェンツァーン侯爵のところへ嫁いできたレティシアの日々が書かれているだけで、めぼしい記述は見当たらなかった。
レティシアは僕の何代前にあたるのか知るために、家系図を確認する。レティシアは僕の高祖父の母――僕から見て五代前の女性だということが分かった。血が繋がっているといえど、ここまで離れていれば、レティシアと僕はほぼ他人のようなものだと思う。
外はすっかり日が暮れていた。
僕は書斎の奥に置いてある金庫を開ける。そこには、まだ平和だった時に使われていた通貨が保管されていた。布袋に入るだけ通貨を入れると、布袋をポケットにしまう。
「グラディウス、もう出発しようと思うけど、大丈夫か?」
領地に長居する気は僕にはなかった。グラディウスは僕の問いかけに対して「あいよ」とだけ答えた。
「ローディ、過去に連れて行ってくれるか?」
僕が彼女の名を呼ぶと、すぐにくすくすと笑う声が聞こえてきた。
「もういいのね。じゃあ、レティシアが魔物に遭遇する前に着くように、あなた達を運んであげる。場所は、レティシアもリーヴェスもいる王都よ」
どうやらローディは、僕たちの話を聞いていたようだ。ローディは笑うのをやめると、
「グラディウス、言っとくけど、あたしもあんたのこと苦手だし嫌いよ」
と低い声で言った。
「知ってるよ」
グラディウスは面倒くさそうに答えた。
「じゃぁ、ちゃっちゃと行くわよ。ユベール、合図をするまで目を閉じててね」
急に僕とグラディウスの体が光り出した。言われたとおり、僕は目を閉じる。
前方から強い風が吹き続けた。息はかろうじてできたが、立っているのはやっとだ。
「私、オルヒデー家の人たちの顔、とっても好みなの。美形一族を断絶させないように、くれぐれも頑張りなさいよ!」
ローディからの激励が、頭の中に大きく響く。
目をかたく閉じているのに、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます