19 レティシアの美しさ

 夢なのか現実なのか境がよく分からなくなっていた。

 マリーとダヴィドが常に僕の隣にいて、語りかけてくる。頭痛は少しずつ痛さが増していた。


「私たちを救う方法、本当になかったの? ユベールの今までの選択って正しかったって私の目を見て言える?」

「くぅ!」


 頭の痛さに耐えられず、僕は頭を抑えながら悲鳴を上げる。今までなんとか我慢してきたが、もう限界だった。

 僕は次第に、もういっそのこと、マリーたちの手を取ってしまった方が楽なんじゃないか、と思うようになっていた。

 マリーとダヴィドが僕に手を伸ばしてくる。僕も、彼らの手をとろうと手を動かす。


 ――急に、自分の両手が温かくなったのを感じた。僕は、あと少しでマリーたちに届きそうだった手を止める。

 温かさは、僕の手から始まって、腕、肩、胸、顔、脚、と僕の体を駆け巡る。


 気づくと、僕の目の前にはレティシアが立っていた。マリーやダヴィドは近くにいない。

 僕はレティシアの家の庭にいて、いつの間にか夜になっていた。


「もう一人で頑張らなくてもいいのよ。あなたはもう一人じゃないんだから」


 レティシアは僕の手を両手で包み込み、微笑みながら言った。

 僕はこの時初めて、レティシアを美しいと思った。レティシアの笑顔がまぶしくて、目が離せなかった。


 レティシアの目が急に大きくなったわけでも、鼻が高くなったわけでもない。彼女の見た目は変わらないのだが、なぜか美しい。

 彼女の内面の美しさが彼女の表情を通して外にあふれ出ているのだろうか。


 すぐに分かった。変わったのはレティシアじゃない、僕だ。今まで僕は、レティシアの表面しか見ていなかったようだ。


「なんだよ、やっと気づいたのか。おせぇなぁ。レティシア、綺麗だろ。オレの言った通りだ」


 グラディウスの声が聞こえた気がした。


 レティシアは優しい目で僕のことを見ていた。

 目の奥から生温かいものがこみ上げてくる。それは僕の目の限界まであふれると、頬を伝って落ちていった。次から次へとあふれ出てきて、止めることができなかった。

 僕の凍りついた心が少しずつ溶けていくかのようだった。


 泣いたのはいつぶりだろうか、と思い返すが、よく分からない。そういえば、僕が久しぶりに笑ったのも、レティシアといる時だった。レティシアは僕に、忘れていた感情を二つも思い出させてくれた。


「たとえ君が何人いたとしても、頼りないものは頼りないよ」


 鼻をすすりながら、僕はレティシアに言った。

 自分の先祖と言えど、会って間もない同年代の女の子に、自分の弱い部分を見せるのが恥ずかしかった。

 弱い自分を隠したいと思った結果、思ってもいないことが僕の口から出てきた。レティシアはそんな僕をくすくすと笑う。


「大丈夫よ、私の他にもグラディウスも、リーヴェスも、お兄様だってついてるんだから」


 グラディウス、という名前を聞き、そうか、僕たちの知っているグラディウスはもうこの世界にはいないことを、レティシアは知らないんだ、と気づく。


「僕と一緒に来たグラディウスはもう……未来に帰ってしまったよ。今この時代にいるグラディウスは、僕たちの知っているグラディウスではないんだよ」


 消えた、なんて言えなかった。


「いくら違うように見えても、グラディウスはグラディウスだわ。未来のグラディウスは力になってくれたのだから、時間はかかったとしても、この時代のグラディウスもきっと力になってくれるわよ」


 自信ありげにレティシアは答えた。


「リーヴェスは、聖剣を継承させるのは自分の代で終わらせるって言っていたじゃないか」

「魔物の退治はするとも言っていたわ。心強い協力者よ」

「君は知らないと思うけど、君の兄さんが優しいのは君にだけだ。カーティスは僕に、レティシアとこれ以上関わらないでくれ、と言っていた。君の体が心配で、君を魔物たちに関わらせたくないんだ。力になってくれるかどうかは怪しいよ」

「そんなことないわよ。だって、ユベールがいま大変な状況だって教えてくれたのはお兄様だもの」

「え?」


 信じられず、僕は聞き返す。レティシアは嬉しそうに話す。


「お兄様が私の部屋に来て、わざわざ教えてくれたの。だから私、急いで来たのよ」


 確かにレティシアの恰好は、夜間着の上に羽織ものを着ているだけだった。こんな姿で部屋の外に出てくるなんて、年頃の女性としてはあるまじき行為だ。

 なぜカーティスがわざわざ僕の危機をレティシアに教えたのか理解できなかったが、レティシアにとってはカーティスが味方であることは間違いないようだ。


「青白い顔でうずくまっているユベールを見た時はどうしようかと思ったけど、意外と大丈夫そうで安心したわ」


 レティシアはまだ僕の手を握っている。僕が手を見ているのに気づくと、レティシアは慌てて手を離した。


「こ、これは、話しかけても反応がなかったから……」


 レティシアは顔を赤らめながら言う。


 自分はレティシアに浄化してもらったのだとすぐに分かった。僕の不安をかき立てていたマリーたちの声も、今にも頭が割れるのではないかと思ったほどの頭痛も、きれいさっぱりなくなった。


「ふふふ」


 僕は目に涙を溜めたまま笑った。


「なんでだろうな、一人でいる時は不安で仕方なかったのに、レティシアと話しているとなんだか上手く行くような気になってきたよ」


「あはははは」


 レティシアも大きな口を開けて笑っている。


「どんな悩みも、みんなで分かち合えば多少は軽くなるってものよ」


 今まで頼りないと思っていたレティシアが、なぜだろう、急に頼もしく見えてきた。


「未来で一緒にいた家族が、さっきまで僕に語りかけてきていたんだ。カーティスは君を守りたい。リーヴェスは母親や兄弟を守りたかったけど守れなかったから、第二の母親や兄弟を犠牲にしないためにも、聖剣を繋ぐ気はない。僕の守りたいものは本当に、この国の人みんななのかって。家族を守りたかったんじゃないのか? 過去が変わったところで、家族が救われるとはかぎらない。僕のやっていることは意味がないんじゃないかって。僕は何も答えられなかった」


 自分の悩みを隠すことなく誰かに話したことは今までなかったのに、自然と口をついて出てきた。

 レティシアが急に頼もしく見えたとは言え、話し始めた自分に僕自身が驚いた。


「私もこの国の人みんなを救いたいと思ってるわよ? それじゃだめなの?」


 レティシアはよく分からない、といった顔をして、首をかしげた。

 レティシアらしい回答だと思った。


「過去が変わったところで家族が救われるとはかぎらないって、確かにそうだけど、でもユベールはその時その時にちゃんと考えて、できうる最善の方法を選んできたんでしょ? 私は魔物から救ってもらったし、邪気を浄化する力があるって教えてもらえたから、私はリーヴェスを助けることができたし……。すべてユベールのおかげよ。間違いなく、今はいい方向に変わってきてる」


 レティシアの紫色の瞳は輝いていた。


「その時の僕は最善の方法って思ってたけど、もっと探していたら、より良い方法が他にもあったかもしれない」

「大丈夫よ、ユベールの選択は正しいわ。よく一人でここまで頑張ってこれたわね。今まで本当にお疲れさま」


 レティシアはまた、僕の手を軽く握った。家族にするような感覚で、思わず手が伸びてしまったようだ。僕の視線に気づくと、レティシアはまた顔を赤らめて自分の手を引っ込めた。


 僕は基本的に、根拠のない意見は嫌いだ。きっと、今のレティシアの言葉を昼間の僕が聞いていたら、理解したようなことを気安く言うなと、腹を立てていたと思う。

 だけどなぜか今は、レティシアの言葉が心にしみてきた。僕は誰かに、自分の今までの行動を肯定してほしくてたまらなかったようだ。今までの努力を褒めてほしかったようだ。


「ふふふ」


 僕は袖で涙をぬぐいながら笑った。


「レティシア、もうそろそろ部屋に戻ろう。ユベールも、もう大丈夫なようだ」


 カーティスがレティシアの背後から現れた。


「お兄様、いいところに。ユベールをお兄様の部屋に泊めてあげてよ」


 レティシアはカーティスが来たことを笑顔で歓迎し、無邪気に言う。


「え?」


 予期していなかったレティシアのお願いに、カーティスは見るからに戸惑った顔をした。

 カーティスは困った顔でレティシアを見、レティシアは期待した目でカーティスを見る。最終的に折れたのは、やはりカーティスの方だった。

 カーティスは大きなため息をつき、


「……来なさい」


とだけ言うと、屋敷の方に体を向けた。


「よかったわね」

とレティシアは満面の笑みで僕を見る。


「ありがとう」


 カーティスとはちょうど話したいと思っていたところだったので、僕はありがたくレティシアの好意に甘えることにした。

 立ち上がり、僕はカーティスの背中を追う。いつも以上に体が軽い気がした。


 「グラディウスは未来に帰ったってさっき言ってたけど、ユベールも魔物を倒したら未来に帰るの?」


 レティシアは僕の隣を歩きながら聞いてきた。


「もちろん帰るさ」


 僕はすぐに答える。素直なレティシアは僕の言うことを信じたようで、それ以上深くは聞いてこなかった。

 僕が消えてしまう日が近づいているとしても、この時代のすべての魔物が退治されるところを見るまでは決して消えてやるものかと、僕は決意を新たにした。

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