18 なんだかんだ優しい奴

 客間に向かって走っている途中、馬車に乗り込もうとしているリーヴェスの婚約者の姿が目に入った。

 うつむき加減で顔がよく見えないのにも関わらず、遠目で見ても彼女が泣いているのがすぐ分かるほどの取り乱し方だった。


 昨日初めて彼女を見た時、僕は彼女のことをプライドの高そうな美人だと思った。

 特に着飾ったりしなくても彼女は変わらず美しいのだろうが、彼女の髪型、服装、体型から、より美しく見せようとたえず努力している姿勢が伝わってきた。

 彼女の表情には、自分の求めるものはすべて手に入れてきたという自信が表れていた。


 彼女と結婚する気はなく、彼女の方から婚約破棄をするようにお願いしている、とリーヴェスは言っていたが、きっと彼女はこのまま一緒にいれば、いつかはリーヴェスが振り向いてくれるはずだと信じていたのだろう。

 リーヴェスが他人に、自分とは結婚する気がないと言っているのを意図せず聞いてしまったことは、彼女にとって受け入れがたい現実であったに違いない。

 リーヴェスの婚約が解消されるのも、時間の問題のように思えた。


 客間に着くと、リーヴェスがソファに座って待っていた。

 リーヴェスは僕に気づくと、

「遅い」

と言って立ち上がる。


「レティシアは?」


 僕が聞くと、リーヴェスは何も言わずに向かい側のソファを見た。彼の視線の先を見ると、そこには気を失ったレティシアが横になっていた。


 リーヴェスは「帰る」とだけ言うと、部屋の出入口に向かって歩き出す。

 どうやら気絶したレティシアを一人残したまま帰ることができず、僕を待っていたようだ。

 リーヴェスは今日レティシアに会うとすぐ、彼女の体を気にする言葉をかけた。どんな時でも無愛想な顔を崩しはしないが、彼の行動からは優しさが伝わってくる。


「婚約者を追うのか? 彼女たぶん、君が結婚する気はないって僕たちに話してたの、聞いてたと思うよ。さっき、泣きながら帰っていくのを見た」

「俺は仕事に行くだけだ。結婚する気がないことは、イレーヌには何度も話している。これを機に婚約破棄してくれるなら、それでいい」


 僕からはリーヴェスの背中しか見えなかったが、彼は気にしているようには見えなかった。

 リーヴェスが戸を開けると、戸の向こう側に今度はカーティスが立っていた。


「オルヒデー家の当主、久しぶりだな。少し話をしよう」


とカーティスは言うと、リーヴェスを無理やり部屋の中へと押しやり、部屋の戸を閉めた。

 またもや帰る機会を奪われたリーヴェスは眉をひそめる。


「手短に頼む。俺はもういい加減、この家を出たい」

「大丈夫だ、すぐ終わる」


 カーティスはレティシアに向けるような笑顔ではないものの、にこやかにリーヴェスに言った。

 二人は顔見知りのようだ。


「私を目覚めさせた、あの小娘は誰だ?」


 突然、リーヴェスの持っていた聖剣から声がした。


 僕と一緒に未来から来たグラディウスの声に間違いないのだが、違和感があった。

 未来から来たグラディウスの話し方が本来のものだとすると、目の前にいるグラディウスは頑張って低い声を出しているように聞こえる。幼稚な話し方もしていない。


 自分の持っている聖剣が話す姿を見るのは初めてなようで、リーヴェスは聖剣を見つめたまま、固まった。


「彼女はアルマの子孫、レティシアだ。グラディウス、久しぶりだな」


とカーティスが声をかけたが、グラディウスは何も言わなかった。

 そんなグラディウスを見て、カーティスがからかうように笑う。


「バカにも関わらず似合わない話し方をしようとするから、言葉がすぐに出てこないんだ」


 グラディウスは何も答えない。


 気絶する前のレティシアが、「考えを変える必要はないが、違う立場の人の意見も聞いてみろ」と言っていたことを思い出し、僕はこの時代のグラディウスに話しかける。


「グラディウス、君の当主リーヴェス・オルヒデーは、聖剣を継承するのは自分の代で終わりだと言っているが、どう思う?」

「――私の継承者でもないただの人間が、気安く私に話しかけるな」


 グラディウスは不快をあらわにして僕に言った。

 目の前にいるのは、本当にあのおしゃべりが大好きなグラディウスなのかと、僕は自分の耳を疑った。昨日までのグラディウスは、僕が話す気のない時でも遠慮なく話しかけてきたくせに。

 驚く僕をあざ笑うかのように、カーティスは言う。


「グラディウスからしたら、喜ばしいことさ。人間から解放されて、自由になれるんだからね」


 もう二度とあのグラディウスと話すことはないのかと思うと、当時はうっとうしいと思っていた彼のくだらない雑談でさえ、急に恋しくなった。


「オルヒデー家は、この国で人間が平和に暮らすための人柱みたいなもの。今までのオルヒデー家の奴らは喜んで人柱になるような変わった奴らばかりだったが、やっとまともな奴が現れたということさ。いいじゃないか、人柱自身がもう嫌だと言っているんだから、受け入れてやれば」


とカーティスが言った。

 リーヴェスは先ほどオルヒデー家は国のために犠牲になっていると言っていたし、カーティスも人柱みたいなものだと言う。二人の考えは近いようだ。

 反対されることは覚悟のうえで、僕は自分の意見を言う。


「今までは継承者選びの時に死人が出ていたようだが、今は邪気を浄化することのできるレティシアがいる。邪気を浄化していれば、今までのような悲劇は起こらないんじゃないか?」

「とんでもない!」


 予想通り、カーティスが真っ先に反論してきた。


「お前、レティシアにも人柱になれと言うのか? 一人だった人柱が二人になることで、少しは楽になるとでも? 私は認めないよ」


 カーティスは鋭い目つきで僕を睨んでいる。

 レティシアでなくて、僕が代わりに犠牲になると言えないことが、もどかしかった。

 急に、マリーの声が僕の頭に響く。


「これ以上過去にいたって何の役にも立たないんだから、早く私たちのところに来なさいよ」


 僕は額に手を当てて、うつむいた。


「ユベール、お前はもう悩まなくていいんだ。今までのことなんか、すべて忘れてしまおう。こっちは楽しいよ」


 今度は兄のダヴィドの声が頭に響いた。

 寝不足のせいか、頭が痛い。


「おい、大丈夫か?」


 僕の様子が見るからにおかしかったせいか、リーヴェスが声をかけてきた。


「ただ寝不足なだけだ、問題ない」


 相変わらず頭には電気が走るような痛みがあったが、僕は額に当てていた手をやめて、体を起こす。

 僕が問題ないと答えたあとも、リーヴェスは僕のことをじっと見ていた。彼にはすべて見透かされているような気がして、居心地の悪さを感じた。早くその目を僕からそらしてほしかった。


「話の腰を追ってすまない。カーティス、リーヴェスに話があるんだろう?」


 カーティスはリーヴェスとは異なり、僕の体調なんて気にも留めていない様子だった。


「レティシアの力に気づいたようだが、レティシアを利用することは私が許さない。私はただ、それが言いたかっただけだ」


 カーティスが話し始めたあともリーヴェスはしばらく僕のことを見ていたが、カーティスに視線を移すとリーヴェスは言った。


「安心しろ。俺も彼女にはもう会う気はない。オルヒデー家最後の主として、責任を持って魔物は退治するが、それで終わりだ」

「話が分かる奴でよかった」


 カーティスは嬉しそうに微笑んだ。

 リーヴェスはため息をついたあと、

「今度こそ帰らせてもらう」

と言って部屋の出入口に向かって歩き始める。


「どうぞどうぞ」


 カーティスは笑顔で部屋の戸を開けた。

 リーヴェスはそのまま帰るかと思ったが、部屋の出入口の前で立ち止まると、振り返った。僕はリーヴェスと目が合う。


「お前は間違っていない。だが、俺も間違えているつもりはない。すでに犠牲になってしまった母親や兄弟はもう救うことはできないが、似たような犠牲者をこれ以上出さないことに俺は尽力する予定だ。次の代に聖剣を繋げというお前の意見は聞けないが、お前が救われることを願っている」


 言い終わるとリーヴェスは出入口の方に体を向け、そのまま帰って行った。

 最初は僕と話すだけ時間の無駄だと言っていた奴が、わざわざ立ち止まって僕に声をかけていった。


 僕は間違っていない? 僕が救われることを願っている? 奴は、僕に優しい言葉でもかけたつもりなのか。


 リーヴェスの不器用な優しさは、今の僕にとってはいらないものだった。なんで自分はこんなにむしゃくしゃしているのか分からなかったが、いらだちがおさまらず、何かに怒りをぶつけたい気分だった。


 そんな僕を気にする様子もなく、カーティスはレティシアを抱き上げると部屋を出て行った。


「リーヴェスの守りたかったものは母親と兄弟。でも既に犠牲になってしまったから、第二の母親と兄弟を出さないことが今の彼の願い」


 マリーの声が聞こえてくると同時に、締めつけられるような痛みが頭に走る。

 僕は頭を押さえながら、窓から部屋の外へ出た。


「カーティスの守りたいものはレティシア」


 頭の痛みは少しずつ強くなっていく。マリーの声が聞こえるたび、頭が割れそうなくらい痛くなる。


「ユベール、もうやめましょうよ。ユベールの守りたかった私たちはもう死んでしまっているの。今さら、何をやっても意味がないの」


 否定したかったが、もう僕には否定するだけの力が残されていなかった。

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