02 すべての始まり

 どこからか男と女の話し声が聞こえてくる。ふと目だけ開けると、廃墟の壊れた天井から朝日の光が差し込んでいた。

 僕、ユベール・レーヴェンツァーンは、廃墟の中で気を失っていたようだった。


「お、目覚めたようだな」


 男は女と話すのを中断すると、僕に声をかけてきた。


 体を起こし周りを確認するが、ベッドらしき家具と小さなテーブルが置かれているだけの殺風景な部屋に、人影はない。

 手元を見ると、年季の入った錆だらけの剣が転がっていた。剣の近くには、タンポポが一輪咲いている。


 なぜ自分はこんな場所で倒れているのかを思い出すため、僕は直近の記憶をたどった。




 僕たちの世界は、魔物であふれていた。魔物たちは人の負の感情を原動力にして動いており、人の恐怖心や未来への不安といった負の感情が高まれば高まるほど、勢いを増していった。


 人々は自分たちの生活を守るため、今まで幾度となく魔物の退治を試みてきたが、すべて惨敗だった。魔物には攻撃が効かないどころか、魔物に近づいた者は正気を失い、家族や知人を襲った。人口はみるみるうちに減っていき、廃墟と化した街が増えていった。


 魔物たちに唯一攻撃を与えることができるのは、実在するかどうかも分からない聖剣だけだと言われていた。


 なぜか魔物から発せられる邪気の影響を受けない僕は、聖剣があることにわずかな望みをかけて、魔物の住処周辺を探し回っていた。


 今ではすっかり変わり果ててしまった、百年前は王都だった地域に足を踏み入れた時のことだった。今までも何度か来たことのある場所だったが、今回初めて少女のような声が僕の頭の中に響いた。


「そのまま、まっすぐ進んで」


 声の主の正体がよく分からなかったが、僕は声が誘導するままに旧王都を進んだ。


「その家の中よ。階段を上ってすぐのところにある部屋に入ってみて」


 案内された家は、他の建物と比べると比較的綺麗な状態を保っていた。部屋に入ると、部屋の中央に古びた剣が転がっていた。


「あなたが探していたのは、その剣よ。触ってみなさい」


 頭に響く声の通りに錆びた剣に触れたところ、気を失ったのだった。




「オレはグラディウス。助けてくれてありがとよ。四百年かけて蓄積された邪気のせいで、今まで身動きがとれなかったんだ」


 グラディウスと名乗った男の声は、なんだか少し嬉しそうな、弾んだ声をしていた。


「紫色の瞳をしてるってことは、やっぱりあいつの子孫か。その年までよく無事に生きられたな」


 グラディウスはひとり言のようにつぶいたあと、

「お前、名前は?」

と僕に尋ねた。


「僕はユベール・レーヴェンツァーン。もしかして……君が聖剣?」


 声が少し震えた。「聖剣というものがあるかもしれない」という不確かな情報しか得られぬまま、今まで手当たり次第に探してきた。目の前に「聖剣らしきもの」があるだけで、目頭が熱くなる。


「人間はオレのことをそうやって呼ぶみたいだな。お前、オレのこと探してたんだって?」


 聖剣という名に似合わず、聖剣の喋り方はやや幼稚だった。思っていたのとは少し違ったが、僕は気にせず用件を口にする。


「お願いだ、僕と一緒に魔物と戦ってほしい。魔物を退治すべく、君をずっと探していたんだ」


 当てのない聖剣探しに何度も挫けそうになったが、諦めなくてよかったと胸が熱くなる。しかし、グラディウスから返ってきたのは予期せぬ一言だった。


「力になってやりたい気持ちはあるが、お前じゃ無理だ」

「僕じゃ力不足だってことか?」

「ちげぇよ。オレと一緒に戦うことができるのは、リーヴェス・オルヒデーだけなんだ。オレはオルヒデー家と血の契約をしていて、今の契約者はリーヴェスなんだよ」


 廃墟に転がっていた、古びた聖剣。僕は嫌な予感がした。嫌な予感をかき消したい一心で、グラディウスに尋ねる。


「リーヴェス・オルヒデーって奴はどこにいるんだ? 教えてくれれば連れてくる」

「リーヴェスは百年前に死んじまったよ。リーヴェスが契約を解除せずに死んじまったから、オレは今もこうして契約に縛られていて自由に動けねぇ」


 聖剣を見つけさえすれば何とかなると勝手に思っていたが、僕の考えは甘かったらしい。


「どれだけ小さな可能性でもいい、教えてほしい。どうにかして、魔物を退治する方法はないだろうか」


 唯一の頼みの綱だった聖剣が使えないとなると、次なる一手はもう今の僕にはなかった。しかし、死んだ家族のことを思うと、ここで引き下がるわけにはいかない。


「手を貸してあげなかったら今にも死んでしまいそうな、その思い詰めた表情……たまらないわ。特別にあたしが協力してあげる」


 突然、先ほどまでグラディウスと話をしていた女の声が聞こえてきた。その声は僕をこの部屋まで導いてくれた声と同じものだった。

 風もないのに、聖剣の近くに咲いているタンポポがそよそよと揺れている。


「君が僕をここまで連れてきてくれたのか?」


 女は「そうよ」と短く答えると、くすくす笑った。


「コイツはローディ。百年に一度、三日間だけ咲く花で、何でも願いを叶えられる力があるんだ」


 いまいち状況を把握できていない僕に、グラディウスが説明してくれる。魔物を倒すために今まで情報を集めてきたが、そんな花があるなんて初耳だった。


「ただ、コイツは癖のあるやつで、どんな願いも叶えられる力を持ってはいるが、どんなヤツのどんな願いを叶えるかは、かなり選り好みをする」


 グラディウスが文句を言うような口調で言うと、すぐにローディが反論する。


「当然でしょ。自分の力を、自分の使いたいように使う。誰かに文句を言われる筋合いはないわ」


 今までおっとりした口調で話していたローディだったが、急に勢いよく喋り始めた。


「私が願いを叶えてやるのは、死にそうな美青年だけよ。弱りながら、苦しみながらも頑張ろうとしている姿にそそられるの! そして、私が助けてやった時の、私だけに向けられる嬉しそうな顔。たまらないわ」


 自分が「死にそうな美青年」に分類されたことは気に入らないが、聖剣の場所を教えてくれたローディには感謝しかなかった。

 まさか聖剣がこんなにも錆びた剣だとは思ってもいなかった。仮にグラディウスが視界に入っていたとしても、通り過ぎていたかもしれない。


 ローディの話す勢いは落ち着き、元のおっとりした口調に戻った。


「ユベール、あんたの『聖剣を見つけたい』という願い、叶えてあげたわよ。特別にもう一つの願い事――魔物を退治したい、というのにも力を貸してあげる。今までどんな美青年にも、一つしか願い事を聞いてこなかったんだから。感謝なさい」


 僕が「ありがとう」とお礼を言うと、ローディはまたくすくすと笑った。


「あんたがもし望むのなら、グラディウスの最後の継承者である、リーヴェス・オルヒデーが死ぬ前――百年前に連れて行ってあげる」


「百年前!?」


 僕が驚いた声を上げると、ローディは愉快そうに声を立てて笑う。まさか過去に行くことを提案されるとは、思ってもいなかった。


「この国ができた当初から、オルヒデー家が陰ながら魔物を退治することで、人間たちは平和を保ってきたの。この国は、オルヒデー家がいないとだめ。オルヒデー家最後の主であるリーヴェスは百年前に邪気に飲まれて死んでしまったんだけど、過去に行ってリーヴェスを救いなさい」


 「オルヒデー家」という家名は、グラディウスから名を聞くまで、耳にしたことのないものだった。

 建国当初から大きな役割を果たしていたのなら歴史書に名前が載っていてもおかしくないはずだが、目にした記憶がない。おそらくオルヒデー家が聖剣を継承しているのは、ごく限られた者のみしか知らないことだったのだろう。


「リーヴェスを救って、彼に魔物を退治してもらえということ?」


 僕はローディの機嫌を損ねないように、言葉を選びながら尋ねる。


「そうよ。ただし注意してほしいのは、リーヴェスを救うだけだと一時的な解決にしかならないってことよ。また三百年したら、この土地は魔物だらけになる。そうならないために……」


 ローディはもったいぶって、その先をすぐに言おうとしなかった。


「そうならないために?」


 僕が聞き返すと、ローディは待っていましたとばかりに、くすくすと笑った。


「聖剣の継承者であるリーヴェス・オルヒデーと、あなたの先祖、レティシア・キルシュバオムの仲を取り持ちなさい。そしたら、少なくとも千年は平和な世が続くことを私が保証するわ」


「取り持つって、結婚させろってことか?」


「そうよ。あなたとレティシアの先祖に、邪気を浄化することのできる特別な力を持った女性がいたの。彼女も紫色の瞳をしていてね、あなたもレティシアもその不思議な力を受け継いでいるのよ」


 レティシアという名には聞き覚えはないが、何代も前に僕と同じ紫色の瞳をした女性がいたことは聞いたことがある。


 自分に邪気を浄化する力があると言われたことには、あまり驚かなかった。魔物に近づいても自分だけ大丈夫だったのはこの力のおかげだったのかと、ようやく理解できた。


 ローディが話すのを静かに聞いていたグラディウスだったが、レティシアの名前が出ると話に加わってきた。


「目の前のコイツだけじゃなく、レティシアってヤツも早死にしなかったのか。珍しいな」


「レティシアは、サナティオがずっと守っていたのよ。ユベールに関しては、レティシアの強い思いが微かに残っていて、ユベールを守っていたみたいね」


 サナティオ? 知らない名前が次から次へと出てくる。


「見て、これ」


とローディが言うと、僕の胸元が光り出した。

 光っているのは、服の下に身につけていた、銀の羽根の装飾品だった。お守りだと言われて親に幼い頃から持たされているもので、首飾りにして肌身離さず身につけていた。

 僕は光っている銀の羽根を服の下から引っ張り出す。服の外に出すと、羽根は光らなくなった。


 グラディウスが驚きの声を上げる。


「間違いねぇ、サナティオの羽根だ。人間嫌いのアイツがなんでレティシアを守っていたんだ?」

「サナティオと百年前に話した時は、レティシアって女の子をえらく気に入っていたわよ」


 つまらなさそうにローディが答えた。ローディとグラディウスの話に、僕が割って入る。


「紫色の瞳をしていると、短命なの?」

「え、知らないの?」

「なんだ、知らねぇのか」


 ローディは驚いたような声を出し、グラディウスは意外そうな声を出した。周囲からは紫色の瞳を驚かれはしたが、短命だと言われたことは今までない。


 僕の質問に答えてくれたのは、グラディウスだった。


「邪気を浄化できる力を受け継いだ人間はみんな紫色の瞳をしているんだけどよ、今までは大抵生まれて間もなく事故や病気で死んでたんだ」


「なんで?」


 僕がすぐに聞き返すと、今度はローディが教えてくれた。


「人外の生き物からしたら、人間のくせに邪気を浄化するような特殊な力を持っていることが、おもしろくないのよ。特に邪気を原動力にしているような子たちからしたら、自分たちの存在を揺るがしかねない存在だもの」


 二人は、僕の知らない多くのことを知っている。そう思うと、質問が次から次へと出てきて止まらなかった。


「レティシアはサナティオって人が守って、僕はレティシアが守ってくれたってさっき言ってたけど、君たちの知り合いのサナティオって何者なんだ?」


「どんな病も怪我も治すことができる力を持っているヤツだ。ただ、超がつくほどの人間嫌いで、人間の世界にはあんまり寄りつこうとしねぇ。あいつが人間を守ってるなんて、信じられねぇ」


「分からないことはまだまだあるでしょうけど、過去に行けばすぐ分かるわよ」


 グラディウスは僕の質問に答えてくれたが、ローディはすっかり飽きてしまったようだった。ローディの口調からは、もうこれ以上質問しないでくれ、と言っているような圧力を感じた。


 しかしどうしても聞きたいことがあり、僕は困り顔を作ってローディを見た。


「すまない、最後にもう一つだけ教えてくれないだろうか……?」

「仕方がないわねぇ、いいわよ」


 僕が下手に出ると、ローディは嬉しそうな声を上げた。僕はローディの扱い方が、少しずつつかめてきた気がした。


「ローディはさっき……」

「嫌だ、ローディって。美青年に名前呼ばれちゃった!」


 話し始めたものの、すぐにローディに遮られてしまった。ローディはきゃっきゃっと一人で盛り上がっている。


「気にすんな、続けろ」


 グラディウスが冷めた声で僕に続きを促す。


「この国ができた当初から、オルヒデー家が魔物を退治してきたって言ってたけど、魔物はその都度退治しなくてはならないものなの? 完全に消し去ることはできないのか?」


「無理だ」

「無理よ」


 二人の声はほぼ同時だった。


「魔物はただの邪気の塊だ。生き物の抱く負の感情が集まって、やがて魔物になる。魔物を出現させないためには、生き物に負の感情を抱かせないようにするか、生き物全てを殺すかしかない」


「この島はもともと、私たちのような特殊な力を持った生き物が住んでたの。昔から特殊な土地なのよ。初めてこの島に来た人間たちは、不可解なことが起こっても、自然豊かで災害も起こらないこの土地に居続けることを選んだ。だから、魔物の出現は仕方のないことなのよ」


 まずグラディウスが説明し、続いてローディが補足してくれた。二人の言うことに、僕は何も言い返すことができなかった。


 僕たち三者の間に沈黙が流れた。


 僕は心を落ち着かせるため、大きく息を吸い、そして吐く。肩の変な力が抜けた気がした。


「ローディ、僕をぜひ過去へ連れて行ってほしい」


 僕の最後の質問につまらなさそうに答えていたローディだったが、僕が彼女の名前を呼ぶと、また嬉々として話し始めた。


「いいけど、大きな代償が伴うわよ?」

「構わない。魔物を倒すことができるのなら、それでいい」


 ローディの問いかけに対し僕が迷うことなく返事をすると、ローディは

「いいから、とりあえずどんな代償なのか聞きなさい」

と説教口調で言った。


「代償は二つよ。まず、過去に行くことはできても、今の時代に戻ってくることはできないこと。そして、一定時間経過すると、あんたの体も魂も消えてなくなること。消える日は、百年前の世界に着いたその日かもしれないし、怪我や病気で死んだあとかもしれない。いつ消えるかはあたしにも予測できないわ。時空を超えるのって、体に大きな負担がかかるの。一度しかできないし、超えた時の負担はやがて体に現れる。この二つを受け入れられるなら、過去にあんたを送ってあげる」


「問題ない。魔物が全部退治されるのを見るまでは、過去にとどまってみせる」


 代償を聞いても僕の決心が揺らぐことはなかったが、慌てた様子でグラディウスが口を挟んできた。


「ちょっと待て、本当にいいのかよ? 過去に連れて行く代わりに、死ねと言われているようなもんだぞ。命がけにも関わらず、お前の願いが叶う保証はない。すべてはお前の実力と運次第だ。それでも百年前に行きたいと思うのか?」


「命がけであることは、今までと変わらない。ただ今までは、魔物退治の手がかりがなく、やみくもに自分の身を危険にさらしているだけだった。だけど、今回は魔物退治の確かな可能性がある。可能性があるだけまだましだ」


 自然と声に力が入った。グラディウスは少し黙ったあと、

「なぁ、オレも連れて行けよ。少しは役に立てると思うぜ」

と言った。


 僕にとっては、ありがたい申し出だった。過去で何が起こったのか詳しく知っているグラディウスがいてくれれば、現地で情報収集する手間が省ける。現時点で僕は、聖剣の使い手であるリーヴェス・オルヒデーについて、名前以外は何も分からない。


「この上ない申し出なんだけど……。ローディ、大丈夫かな?」


 許可してほしい、という願いを込めて、僕はローディを見た。ローディはくすくす笑った。


「私はいいわよ。時を越えることによる代償はグラディウスも同じよ。あとあんたの場合、百年前にいるグラディウスが目覚めたら、あんたは消えるわ」


「構わねぇよ。オルヒデー家はもう誰もいねぇのに、契約がとけねぇんだ。身動きがまったくとれねぇし、床に転がってるだけなのに邪気はどんどん溜まってく。近くに誰もいなくて暇だし、最悪な気分だ」


「あんた、本当にばかね」


 ローディが呆れたように言った。「ばか」の部分をわざとらしく協調して言っている。


「うるせぇよ、そもそもオレが人間に力を貸さなきゃいけねぇ状況になったのも、元はと言えばお前のせいだ」


「何言ってるのよ、あんたがばかだっただけでしょ。私は、私を探す死にそうな美青年の前に姿を現しただけよ。あたし、自分の失敗を人のせいにする男って嫌い」


 急に僕とグラディウスの体が光り出したかと思うと、すぐに視界が真っ白になった。


「もうこれ以上、あんた達と話すことはないわ」


 ローディの言葉が頭の中に響く。


 真っ白だった視界が、少しずつ和らいでいく。王都にいたはずだったが、気がつくとそこは僕の兄、ダヴィドが管理していた、レーヴェンツァーン家の領地の前だった。


「ユベール、家にレティシアが書いた日記がまだ残っているわ。過去に行く前に読んでおくと、少しは役に立つかも。準備が整ったら私の名前を呼びなさい」


 ローディの声はこれを境に聞こえなくなった。

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