ヒメゴト―俺はきっと、あの日アイツに恋をした―
遠堂瑠璃
第1話 ヒメゴトの始まり
生まれて初めて、女の子と添い寝した。
いやらしい意味じゃなくて……だ。
俺は床で寝るって云ったのに、アイツが一緒に寝るってきかなかった。
全く……。
何も考えてないんだ、アイツは……。
挙げ句の果てには、俺が一緒に寝なければ自分が床で寝ると云い出す始末。
お前を床に寝かせられるわけねぇだろっ!
……俺が折れるしかなかった。
よっぽど疲れてたのか、アイツは寝床に就いて数分もしないうちにすやすやと気持ちよさそうに寝息を立てていた。
俺は、というと……眠れるわけがない。
ベッドの端と端、なるべく離れて横になってはいるものの、全く落ち着けない。
俺は、ちらりと視線を動かす。
アイツは壁側に体を丸め、俺に背を向けたまま眠っていた。
ほどいた長いワインレッドの髪が、枕の上に広がっている。
俺は手足を広げる事すらままならず、お行儀良く仰向けになったまま、視線を天井に向けた。
ともかく、眼を瞑る。
何も、考えなきゃいいんだ。
……
ゴソッ
アイツが動いた気配に、俺は眼を開いた。
寝返りを打ったらしく、さっきまで背中を向けていたアイツの寝顔が見えた。
しかも、近い。
寝返りを打った拍子に、距離が縮まっていた。
いい匂いがした。
寝息が、微かに俺の頬にかかる。
俺は、すっかり眼が冴えてしまった。
横目でちらりと、アイツの寝顔を覗き見る。
その肌の白さは、薄闇の中でもはっきりと判る。
……睫毛、長いんだな。
こうやって無防備に眠る顔は、起きている時のアイツの印象とはだいぶ違う。
……可愛いなあと、素直に思った。
なっ、何っ、真剣に見とれてるんだ、俺はっ!
ともかく、寝よう。明日は、朝早いんだ。
こいつを宇宙ステーションまで送ってやるって、約束したじゃんか。
………
俺は、もう一度眼を瞑る。瞼の裏は、当たり前に真っ暗になった。
そっか……。
明日になれば、こいつ、行っちまうんだな。
俺の思考が、またぐらついた。
俺に声をかけられ、きょとんとして振り向いた、アイツの顔を思い出す。
数時間前の出来事。
数時間前に出会ったばかりの女の子が、俺の隣で寝息を立てている。
いや、いやらしい意味じゃねぇぞ。
だいたい、俺もこいつも、まだ子供だし……。
けど。
アイツの寝息がかかる度に、やっぱそわそわと落ち着かない。
……どうすんだよ、眠れねぇよ……。
思えばきっと、これが俺のヒメゴトの始まりだった。
俺、13歳。アイツ11歳。
出会ったばかりの、夜の出来事。
アイツには口が裂けたって云えない、俺だけのヒメゴト。
♡
出会ったのは、ほんの偶然だった。
俺にとってはなんの変わり映えもしない日常。当たり前に繰り返される風景の中に、アイツは居た。
まるで見慣れた色彩の中に、いつもは使わない絵の具の色をちょこんと足したように、アイツはその日常に混じってそこに居た。そしてその色は、驚く程鮮やかに俺の瞳の中に飛び込んだ。
酒場のカウンター席、夕飯を平らげいつものようにミルクで一息ついてた俺の椅子の、ひとつ抜かした隣の席にアイツは居た。
ワインレッドの長い髪が印象的な、小さな女の子。明らかに体格に合ってない、ダボッとしたつなぎのズボンに不自然な茶色のマント。ちょっとおかしな格好だな。女の子が好んで着るような服じゃない。
多分、男物だし。なんか、違和感ありありだ。
その小柄で華奢な体も、この酒場の風景は不釣り合いを通り越して酷くチグハグだった。この時13歳だった俺よりも、間違いなく年下なあどけない横顔。
俺自身、この酒場の風景に馴染んでいるとは決して云えるわけじゃない。けど、俺がこんな場所に出入りしてるのには、れっきとした理由がある。
この街『サンタルファン』の砂漠近くの集積所で配達をしている俺は、一日の最後にこの酒場『ファザリオン』に荷物を届けるのが日課だ。荷物を届けて、夕飯をこの酒場で食う。開店準備に掃除やら何やらを手伝えば、マスターがその飯を無料(ただ)で食わせてくれるんだから、一人で暮らす俺にはありがたい。
そんなわけで、俺は子供の分際だけど正当な理由でこの酒場に居る。だから同じ子供の分際で、しかも俺より年下のくせに理由もなくこんなとこに居たアイツは、かなりおかしな具合に日常の風景の中からは浮き上がっていた。
俺は、一口ミルクを啜る。ちらり、視線を横に動かしながら。
薄暗い店内、橙の照明がアイツの横顔を照らす。耳の形は長く尖っていて、僅かに窪みがある。まるで蝶の羽をちょっと鋭くした感じ。いろんな星の人間が行き来するこのマーズでも、あまり見かけないような特徴的な耳の形。
軽く頬杖をついて、もう片手に持ってるのは……ワイングラス!?
あろう事か、ワインなんて呑んでやがるし!
俺の胸の中が、おかしな具合に騒がしくなる。
その女の子……アイツから、なんだか眼が離せない。何故だか危なっかしいような気がして、放っておけなかった。このままグラスのミルクを呑み干して、いつも通りの帰路に着くなんて気分にはなれない。
このままこの娘(こ)を、こんな場所にほったらかして帰れるわけがねえ。まるで義務感のように、そんな思いが俺の内側を焦がした。
「なあ」
だから、あんな風に見ず知らずのアイツに声をかけたんだと思う。
一瞬の間を置いて、アイツは俺の方へ振り向いた。
想像してたよりもずっと大きな眼が、不思議そうに俺を映す。橙の光に透かされた綺麗な翡翠(ひすい)の眼に、俺は射抜かれたように次の言葉を忘れた。その一瞬遅れで、心臓がトンっと、ちょっと強めに打ち付ける。
アイツは、小さく首を傾げた。その瞳に、俺の変な動揺まで見透かされちまいそうで慌てた。
「お前、なんでこんなとこに一人で居んだよ。子供のくせにワインなんか呑んで」
だからそれをごまかす為もあって、俺は思わずそんな云い方をしていた。
「このお店の古めかしい扉が気になって、思わず入っちゃったんだ」
アイツはなんだか嬉しそうな口調でそう答えて、にこっと笑った。
確かにこの酒場の扉は、今時びっくりする程古めかしい。云い変えれば、単にボロくてガタが来る寸前。
それに惹かれて中に入ったって、恐いもの知らずというか、なんて物好きな。
変な奴だな。こんな可愛い顔してるくせに……。
可愛い。そう意識した途端、カーッと体が熱くなった。
そう。
アイツは、すげぇ可愛いかった。俺の今まで見た女の子の中で、ダントツ一番可愛いかった。
そう認めてしまうと、妙に意識せずにいられなくなる。
「……お前、どっから来たんだ?」
しどろもどろに視線を彷徨わせながら、俺はわざとぶっきらぼうに尋ねる。
「僕、ジュピターから来たんだ」
……僕? 女の子なのに、一人称は僕。
そのチグハグも、なんだか新鮮な印象を俺に与えた。
ジュピターは、云わずと知れた太陽系一の巨大惑星。このマーズともお隣の惑星だ。けれどマーズへやって来るジュピターの人間はほとんどいない。
ジュピターは宇宙一と云っていいような経済力やリーダー性を兼ね備えた星だ。一方マーズは、荒くれ者ばかりの商いの星。わざわざそんな危なっかしい星に足を踏み入れるジュピター人なんて、皆無と云っていい。
「なんでまた、マーズなんかに?」
しかも見たところ、保護者らしい大人も居ない。
「宇宙貨物船にこっそり忍び込んだの。そしたら、着いたのがこの星だった」
アイツが、悪びれる様子もなくあっけらかんと答える。
こっそりって、なんだ。まさか、家出じゃねぇだろうな。
見た感じ、そんな宇宙規模の家出をするような非行少女とも思えない。それどころか、純粋そのもの。隣に並んだら、間違いなく俺の方が非行少年に見えるだろう。ちょっと前まで、実際人に云えないような事もしてたし……。
アイツは、大きな翡翠の眼を細めて、フフッと笑った。
瞳の奥に宿った光が、零れ落ちそうに揺れる。
俺の心臓が、またトンっと内側から強く打ち付ける。
「僕はね、これから宇宙の果てを見に行くんだ」
心地好いアイツの声が、俺の鼓膜をくすぐるようにそう告げた。
to be continue
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