第22話 甘い涙

 ……俺の勘違いでなければ、ラオンと俺って今、すげえいい雰囲気だと思う。


 並んで歩く、俺たちの距離は近い。

 歩きながら、時折肩とか腕とかが、何気なく触れ合うくらいに。


 これってもう、友達の距離じゃないよな……? 多分……。


 俺はそんな思考をぐるぐる巡らせながら、一人で勝手にドキドキしてた。

 さりげなく、手だって繋げる距離感。さっきまで、実際に手、繋いでたし……。


 俺はちらりと、ラオンの方を視線で伺う。

 ラオンは相変わらず嬉しそうに、俺が買ってやった手のひらサイズのぬいぐるみを両手でモコモコしている。


 あのぬいぐるみに、一瞬だけでもいいからなってみたいなあ……、なんて、それは俺のバカな願望。


 ラオンの中で、俺の位置って今どの辺なんだろ。

 さっきから俺ばっか浮かれ上がってるけど、ラオンの気持ちが知りたくなった。


 少なくともただの友達のままじゃないって、それくらいは期待していいよな?

 だって、手とか繋いじゃったし。ラオンの方からも、俺の手、握り返してくれたし……。


 なあラオン、俺の事、どう思ってる?


 思いきって、訊いてみたい。

 けど、やっぱすげえ怖い。期待しちゃってる分、答えが怖い。


 ほんの数センチくらい、勇気が足りない。

 ラオンの事、好きって気持ちが高まる程に、俺は臆病になってく。


 ラオンと一緒に居られるのは、多分、後数時間。


 もし、俺が好きって云えたら、なんか変わるのかな……。


 …………。


 好きだって云うのはまだ無理だけど、今はほんのちょっとだけ、勇気を出してみる。



「ラオン、手……」


 俺はラオンの方に、ぶっきらぼうに自分の手を差し出す。視線の端っこで、ラオンの様子を確かめながら。

 ラオンは、キョトンとして俺を見た。


「うん」


 ぬいぐるみをモコモコしてた片方の手を、にこっとしながら俺の方に伸ばす。

 ラオンのっさな手を、俺はしっかり握り締めた。



 ……ほら、やっぱ俺たち、ラブラブだよな……?



 俺、ラオンと行ってみたかったとこがある。

 何度も何度も、俺の頭の妄想世界で繰り返してた、シュチュエーション。

 すげえありがちで、だからこそしてみたかった、デートプラン。


「ラオン、ケーキとか好きか?」


「ケーキ?」


 ちょっとコジャレたカフェとか喫茶店で、ラオンとスイーツデート!

 すげえベタだけど、俺、ラオンとそんなデートがしてみたかった。


 女の子は甘いものが好きって、俺の勝手なイメージだけど、ラオンは可愛いから、ケーキとか良く似合うと思う。

 クリームいっぱいにデコレーションされたパフェとかケーキを、幸せそうに頬張るラオンが見てみたいってのが、素直な俺の願望。

 ぬいぐるみ買ってあげた時みたいな、あんな胸のきゅっとするようなラオンの笑顔が、もう一度見てみたいんだ、俺……。


 この街には、そんなデート向きのカフェとかが目移りする程溢れてる。

 だからここは、あえて俺が店をチョイスする。

 それくらいは、俺がリードしてみたい。


 だってこれがきっと、俺とラオンの最初で最後のカフェデートだから。



「あの店にしよう」


 赤茶色の煉瓦造りのオープンカフェ。

 午後の優しい陽射しが入り込んで、明るい感じの店内。賑わってるけど、まだまばらに空席もある。


 店と同じくらい洒落た店員のお姉さんに、俺とラオンは入口近くの席に案内された。

 ラオンは追われる身だから、外から丸見えなのはさすがに都合悪い。

 俺はラオンを、柱の陰になった方の席に座らせた。


 向かい合って席に着くと、じわりじわりと幸せで満たされていく。

 俺の夢でも妄想でもなくて、本当にラオンが真正面に居る。


 やべえ……、顔、にやけそう……。


 俺とラオンの前に、さっきの店員さんが水の注がれたグラスとメニューを置いた。



「ラオン、どれにする?」


 俺はグラスの水を一口飲んでから、小さめの絵本のようなメニューを開いてラオンに見せた。

 一頁一頁いちページいちページに、ケーキと飲み物の写真がメニュー名と値段を添えて載っている。



「わあ、綺麗! 凄い、これ全部食べられるの?」


 メニューを捲りながら、ラオンが眼をキラキラさせて嬉しそうに云った。

 これ全部食べられるの……って、なんかちょっと変な質問だな?



「もしかしてラオン、ケーキ食った事ねえの?」


「うん、ない」


 ケーキの写真に眼を奪われながら、ラオンが答えた。


 ……そうなのか。

 そういやジュピター人って、宇宙一の辛いもの好きだったよな。

 なのに、甘いものチョイスって……。


 どうしよう……。俺、なんかすげえ失敗したかも。



「だからね、ケーキ食べるの凄く楽しみ!」


 ほんのちょっと頬をピンクにして、ラオンが微笑む。

 良かった、喜んでる。

 どうかケーキが、ラオンの口に合いますように。


 俺はクラシックビターチョコレートケーキ、ラオンは果物がたくさん乗っかったムースケーキを選んだ。飲み物は、この店のオススメとかいうハーブティーにした。

 ハーブティーはひとつのポットに入ってて、それをセルフサービスで注ぐ。


 俺は最初にラオンのカップにハーブティーを注いだ。

 白いカップに立ち上った湯気は、甘い香りがした。



「このお茶、いい匂いがする」


 ラオンはハーブティーのカップを顔に近づけて、香りを楽しむように瞼を閉じた。


 ……やっぱ、可愛い。


 そんなラオンを眺めながら、不意に俺の思考を余計な考えが奪った。


 ラオンがもし、ジュピターの姫とかじゃなくて、俺と同じ街に棲む普通の女の子だったら、どうなってたんだろう、とか。

 俺が配達中に、毎日顔合わせたりできたのかな、とか。

 そしたらいつだって、こんな風に二人で出かけられたのかな、とか。


 そんな事、考えたって無駄だって、判ってるくせに。

 苦しくなるだけだって、判ってるくせに……。


 俺がきちんと好きだって伝えて、そして両想いになれたら、普通の彼氏彼女になれたのかな、とか。

 ず~っと、一生傍に居る事だってできたのかな……、とか。


 今目の前で笑うラオンを、俺がずっと守ってやる事だってできたのかな……、とか……。


 今の俺には、それができない。

 だってラオンは、ジュピターの姫だから。俺の手が届くわけもない人だから。


 すげえ、悔しいよ。納得なんて、できる筈もねえ。

 けど、どうする事もできねえ……。



 ……もう、考えるのやめよう。しかめっ面になっちまう。

 ラオンが忘れらんなくなるくらい、最高の思い出、作ってやるんだろ?


 笑えよ、俺!


「ラオン、楽しいか?」


「うん、凄く楽しいよ」


 …………良かった!



「お待たせ致しました」


 店員のお姉さんが、注文したケーキを俺とラオンの前に置いた。

 実物のケーキは写真よりもずっと鮮やかで、ラオンは両手を口元で合わせたまま眼をキラキラさせていた。


「綺麗! 食べちゃうの、もったいないねえ」


「食わなきゃ、もっともったいねえよ」


 そうだね、とラオンが笑う。

 何でもない会話が、すげえ幸せ。


 ラオンが、果物のムースケーキにフォークを挿し込む。

 小さく切ったケーキの欠片をフォークの先に刺して、パクっと頬張った。


 柔らかそうな唇の端っこにムースをちょこっと着けたまま、ラオンが俺を見る。


「美味しい!」


 花が咲いたみたいな、とびっきりの可愛い笑顔でラオンが云った。


 やった! 気に入ってくれた!


 俺も最高に嬉しい気分になりながら、ビターチョコレートケーキを一口食べる。

 ほろ苦くて甘いチョコレートが、とろり舌の上で溶けた。


 この甘さはきっと、一生忘れられない味になる。


 フォークで刺して、もう一口。

 皿の上のチョコレートケーキから視線を上げると、ラオンが真っ直ぐに俺を見ていた。


 ドキッとした。


 反射的に逸らしそうになった視線を、俺は無理矢理食い止める。



 何、照れてんだ。

 眼が合っても、もう逸らさないって決めたじゃんか。

 ラオンを好きだっていう俺の気持ち、もうバレたって構わないんだろ……?


 だから、俺もラオンの眼を、真っ直ぐに見詰め返す。



 ラオンの大きな翡翠ひすいの瞳が、揺らいだ。



 ……えっ……?



 綺麗に澄んだラオンの眼から、涙の筋が零れ落ちていた。




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