第23話 初めての事に、俺は狼狽える

 俺は、動けなくなった。


 ラオンの白い綺麗な頬を、零れ落ちた涙が伝っていく。

 その涙の筋を、俺は黙ったまま視線でなぞる。


 何を云えばいいのか、どう声をかければいいのか、判らなかった。


 午後の淡い光の射し込むカフェ、俺の真正面の席で、ラオンはポロポロと涙を零していた。

 声も洩らさず、ただ静かに。


 ラオンの手にした銀のフォークには、食べ掛けのケーキが刺さったままになっていた。

 まるで時が止まったみたいに、置いてけぼりになったまま。



 俺の思考は、半分くらい真っ白だった。


 泣いている女の子を目の前に、どうしたらいいのか戸惑っていた。


 だって俺、ラオンが泣いてる原因すら判らない。



 なんだ、俺……。なんか、いけない事、したか……?


 俺は弟分のターサに馬鹿にされるくらい、女心に疎(うと)い。

 俺は狼狽うろたえながら、真っ白になった頭の中で必死に考える。



 俺、ラオンになんか変な事云ったっけ……? 何が、ダメだったんだ……?

 ……う~っ! ……判んねえ……。



 ポタ、ポタ……


 ラオンの両眼から溢れた涙は、テーブルの上に零れ落ちて丸い形をふたつ作った。



「……あ」


 ようやく一声、それだけ洩らしてみたものの、かけるべき言葉が見つからない。


 ラオン、なんで泣いてるんだ?


 ストレートにそんな事訊いちまっていいのか。それはさすがにタブーなのか。


 俺はあらためて、自分が女の子の扱い方を全く知らない事に気づいた。

 女の子に目の前で、こんな風に泣かれるのだって、初めての経験だった。


 男ってのは、女の涙になすすべもない。

 運び屋のおっさんたちが云ってた言葉を、今こうして思い知る。しかも泣いてるのが好きな女の子ときたのなら、その威力は倍増だ。いい加減な対応なんて、絶対できねえ。



「へへっ」


 そうこう俺が悩みまくってるうちに、眼にいっぱい涙を溜めたまま、ラオンが悪戯イタズラっぽく笑った。

 その拍子に、涙がポロポロと幾筋も零れ落ちる。


 まるで無理して見せたようなその仕草に、俺の胸は鈍く殴られたようにズキンと痛んだ。



「ごめんね。やっぱり、泣いちゃった」


 ラオンは小さく呟いて、フォークのケーキをパクっと口に入れた。

 そして、またポロリと一雫の涙。



「……俺、なんかした……?」


 思いきって、尋ねてみる。


「ううん、違うの。ソモルのせいじゃないの」


 そう云ってニッコリ笑いながら、それでもラオンの眼からはまた一雫、涙が零れ落ちる。

 俺はそれ以上、言葉が見つからなかった。


 好きなの涙を前に、俺は無能なくらいなんにもできなかった。


 俺のせいじゃない……。本当に……?


 ……それなら、もしそれなら、ラオンの涙の原因って……?



 ラオンが、にこっとしながらケーキを一口。そして、また頬を流れ落ちる涙の粒。


 もしラオンが、俺とおんなじ気持ちだったら……。

 俺と離れたくないって、思っててくれたとしたら……。


 だから、泣いてくれてるんだとしたら……。


 胸が、ぎゅっとなった。

 ラオンの事が、いとおし過ぎて苦しくなった。



「ラオン……、俺は……」


 勢いで、好きだって気持ちが口をついて出かけた。



「甘い物食べるとね、涙が止まらなくなっちゃうんだ、僕」


 俺の言葉とほぼ同時に、ラオンがてへっと舌を出して呟いた。



「……えっ?」


 なんだって……? 甘い物……?



「父上も母上も、ジュピター人って皆そうなんだ~。甘い物食べると、涙が止まらなくなるの」


 ラオンがふふっと笑ってケーキをもう一口。

 それに合わせたように、涙がポロポロ。


 なんだって~っ! 涙の原因って、それっ!?

 あれこれ悩みまくって、一人で取り乱してた俺って……、ただのバカ?


 女の子の涙の理由に、そんなのって、あり……?



「あ、ああ、そうなんだ……」


「うん」


 なんだか呆気にとられて気が抜けちまった俺の正面で、ラオンがご機嫌にケーキを一口一口平らげていく。

 すげえ可愛い笑顔で、けど、大粒の涙を零しながら。


 どうやら、ケーキの味は気に入ってくれたみたいだけど……。


 拍子抜けしながら、俺も自分のチョコレートケーキを一口頬張る。

 さっきよりも、なんだか更にほろ苦く感じた。



 俺と離れるのが淋しくて、泣いてくれてたわけじゃなかったんだな。 

 一瞬期待しちゃった分、そこんとこはちょっとがっかり。……いや、かなりがっかり。

 気持ちが一気に上がって、そんで一気に落ちた。


 ……まあ、いいか。


 ラオンが辛くて泣いてるより、全然いい。


 うん……。



 俺はそんな風に、自分を納得させてみる。



 …………。


 俺は、何かおかしな空気を感じた。

 さっきまでとは、違う空気。

 店員が、ちらりとこちらを見ながら通り過ぎていく。


 ……ん、何見てんだ?


 あちらこちらから、ちらりちらりと俺たちの席に向けられる視線。


 えっ、何? なんだ?


 しかも心なしか、俺に対する眼差しが冷たい。



「ケーキ、美味しいね、ソモル」


 ラオンが、ケーキをパク。

 涙がポロリ、ポタポタ。


 その度に、俺に向けられた突き刺さるような冷たい視線が増していく。



 もしかして俺……、女の子を泣かす、いけない男とか……見られてる……?


 ラオンはただ居るだけで、目を引くくらい可愛い。

 そのラオンが、ポタポタと大粒の涙を流している。

 しかもその向かいの席には、目付きが鋭くてお世辞にも誠実そうには見えない、俺。

 確かに、かなり誤解を受けそうな絵面。


 ケーキを食べれば食べる程、ラオンの涙は止まらない。

 もうすでに、頬には幾筋もの涙の跡。

 笑ってるけど、泣き腫らしたみたいに眼ぇ真っ赤だし。

 なんかもう、俺がめちゃくちゃ泣かしたみたいに、なってる……。


『何、なんなのあの男!』


『うわ~っ、あんな可愛い女の子泣かして、サイッテー!』


『あの娘、あんなに泣き腫らして、可哀想~』


『あの野郎、ろくな奴じゃねえな!』



 ……聞こえる……。

 冷たい視線のあちこちに、心の声が聞こえる……。


 そして目の前には、眼を真っ赤にして笑顔で泣き続ける、可愛いラオン。


 ……居たたまれなくなって、俺は下を向いたまま、黙ってケーキを食う。

 一層苦味を増して感じるチョコレートケーキは、そんな俺を嘲笑うように、口の中で溶けては消える。


 夢だったカフェデートが、いつの間にか苦行の場みたいになっていた。

 せめてもの救いは、ラオンが喜んでくれた事。


 ……さっさと食って、出よう。


 なんだか俺まで、泣きたい気分。


 そんな風に、俺の心がちょっと凹み気味になっていた、その時。



「見つけましたぞ! 姫様っ!」



 しわがれた、ラオン直属のジイやの声が響いた。




      to be continue

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る