第29話 大切なモノ

 くそっ!

 よりにもよって、コイツらかよ!


 最悪過ぎだ。


 俺はライトの光に浮かび上がった、中心の女の顔を睨み付ける。


 だいたい、なんで見つかっちまったんだ。

 あの岩場から、こんだけ遠くに逃げたのに。

 コイツら、しつこ過ぎだろ!


 俺は奴らの動きに警戒しながら、ラオンを背中に隠した。

 今のとこ本気で撃ってくる気はなさそうだけど、相手が銃を持ってる以上迂闊な事はできない。

 俺は全身の神経をぴりぴりと張り詰めながら、奴らの様子を伺う。



「全く、手間かけさせて。今度こそ、渡してもらうわよ」


 女が、相変わらず耳障なざらざらした声で云った。


 俺の心臓の波打つ速さが、次第に増していく。

 戦わなきゃならねえ相手を前に、アドレナリンが急ピッチで分泌されていた。


 怒りと、正直ほんの少しの怯え。


 撃たれるかもしれない。


 けど、ラオンは絶対に渡さねえ!

 ラオンは、俺が守るっ!



「てめえらなんかに、渡すかよっ!」


 俺は、全身で凄んでみせる。

 脇の下と手のひらは、汗でびっちょりだった。


 奴らは痛くも痒くもない表情で、俺たちを真っ直ぐに見下ろしている。

 所詮はガキの駄々だとでも云わんばかりに。


 悔しい、すげえ悔しい!


 けど実際、銃を持った大人三人に俺なんかが歯が立つわけねえのは事実。


 どうすれば、ラオンを守りきれる?

 考えろ、考えろ……。



「さあ、時間がないの。早く渡してちょうだい」


 わざと諭すような口調で女が云う。

 ごねる子供を相手するように。


「お前らみてえなわけわかんねえ連中に、ラオン渡せるわけねえだろっ!」


 アドレナリン、マックス。俺は牙を剥く獣みたいに叫んだ。


 男なら、一生に一度は戦わなければならない時がある。例え、負けると判っていても、戦わなければならない時が。


 昔、有名な男の中の男が云っていた言葉。

 今が、俺のその時。


 ラオンの為に、俺は戦う!


 赤い布を前にした牛のように、俺は大きく荒く鼻息を吹き出して、構えた。




「何を云ってるの」


 俺の一斉一代の啖呵たんかに、女が乾いた声で返した。


「私たちが渡して欲しいのは、そのお嬢ちゃんの持っているマスコットぬいぐるみよ」




 …………えっ? 


 何だって? ぬいぐるみ?


 ぬいぐるみって、俺がラオンに買ってやった、あれか……?



「それは、私たちにとって大切な物なの。さっきは銃を見せて脅かしたりしたけど、それさえ渡してもらえれば手荒な真似はしないし、するつもりもないわ」


 なんだか、闘志が空振りに一回転した気分。


 大切な物って、良く判んねえ。

 あれは、俺がラオンに露店で買ってやったもんだ。

 何でコイツら、そんなもん欲しがってんだ。

 こんなしつこく追い回してまで渡せって、どういう事だ?



「ぬいぐるみって、これの事……?」


 俺の後ろに隠れていたラオンが、ちょっこんと覗き込むようにして手の中に握ったぬいぐるみを見せた。

 その瞬間、女の眼が獲物を見定めた補食動物のような鋭い光を帯びた。


「そう、それを渡してもらいたいの」


 警戒心を孕んだ猫を手懐てなずけようとするみたいに、女がゆっくりとラオンの方に手を伸ばす。


 ラオンは一歩前に踏み出し、俺の隣に並んだ。

 片手で持っていたぬいぐるみをぎゅっと両手で握り締め、胸元に寄せる。



「渡さない。だってこのぬいぐるみは、ソモルが買ってくれたものだから」


 ラオンの声が、はっきりと薄闇の中に響いた。

 ぬいぐるみを胸元に抱いたまま、ラオンは唇をきゅっと結んで、その大きな眼で真っ直ぐに女を睨み付けていた。


 ……ラオン!


 俺はラオンの肩を引き寄せ、腕の中にその小さな体を庇う。


 奴らが何でこのぬいぐるみを欲しがってるのか、その目的は判らねえ。

 大の大人が三人、たかがちっぽけなぬいぐるみをここまでして奪いたがる理由なんて、さっぱり判るわけもねえ。


 けど、ラオンは渡さないと云った。

 俺から買って貰ったものだから、渡さないと云ってくれた。


 ラオンが渡さないと云うならば、何が何でもコイツらにぬいぐるみはやれない。

 このぬいぐるみは、俺がラオンにあげたもんだ。

 もしそれでも奴らが力づくでラオンからそれを奪おうとするのなら、俺は全力で奴らと戦う。


 ラオンには、指一本触れさせねえっ!



「……仕方ないわね。子供に手を出すのは嫌だったんだけど」


 女は煙草の煙を吐き出すように、深く息を吐いた。

 それが合図だったかのように、女の横に居た男二人が俺たちに近づく。

 俺はラオンを庇ったまま、じりじりと後ろに下がった。


「あなたたちには、まずそのぬいぐるみに関しての記憶を忘れてもらう。その為に、このカプセルを呑んでもらうわ」


 女が何処からかピルケースを取り出して、指先につまんで俺たちに見せた。


 カプセルって、毒でも盛るつもりかっ!?


「いろいろとこちらの都合で悪いけど、これを一粒呑めば約24時間の記憶が消滅する事になる」


 女はまるで当然の事を説明するように、そう云った。



 …………はっ…………?


 約24時間の記憶が消滅する……だと?


 俺は、昨日の今頃の事を思い出す。

 昨日の今頃、俺は酒場のカウンター席でラオンと再会した。


 嘘か夢かと思考がフリーズするくらい、最高に幸せだった瞬間。


 24時間って、ラオンと過ごした時間、丸々じゃねえかよっ!


 それを、消滅させるだと、コイツら。

 ふっざけんなっ!!


 ラオンと、一年半越しの再会。

 ラオンとカウンター席で交わした、とりとめのない会話。

 だいだいの照明に照らされて、ワインを呑むラオン。


 俺の逆上のぼせた意識、脈拍。


 俺の小屋に向かう帰り道の、はしゃぐラオンの後ろ姿。

 綺麗なライン。伸ばした、腕の形。


 夜空の星を数える、ラオンの横顔。星をなぞる、細い指の形。


 寝顔の誘惑。俺の戸惑いと欲望。


 朝、目覚めた瞬間の、ラオンが居る幸せ。

 パンとミルクを頬張りながらの、今日の行き先相談。


 風に吹かれるラオンの長い髪。バスに揺られて触れ合った、その腕の柔らかさ。


 大道芸を見て、喜ぶラオンの笑顔。可愛い笑顔。


 零れ陽のベンチでチキンサンドを食べるラオン。至福の笑顔。


 人混みの中で、ぎこちなく握った手。暖かくてしっとりとした、ラオンの手。

 小さな手。

 幾度目かで、自然に繋げるようになった。


 ジイやたちに見つからないように、ラオンを隠して抱き込んだ肩の感触。

 恋人同士みたいな距離に、どきどきした。


 カフェとケーキと、ラオンの涙。ハーブティーの甘い香り。


 走るトロッコの中。

 仄青い夕暮れの光に飾られたラオン。うっとり見とれるくらい、綺麗だった。


 二度目の、ラオンの涙。俺の為に零してくれた、涙。


 甘い、ご褒美。



 ラオンの体温、髪の手触り、しっとりと小さな手、柔らかな感触。


 幾つも刻みつけた、ラオンの笑顔。


 一生忘れないって刻みつけた、ラオンの形。



 結ばれる事のない想いだから、せめて一生手離さないと決めた記憶。


 ラオンの姿、声。


 幾つも、幾つも……。



 その一瞬一瞬に覚えた感情が、俺の中に溢れていく。


 今日一日だけ、俺だけの、ラオン。


 俺の、大切なモノ……。



 何にも知らねえくせに、コイツら。この24時間の記憶が、俺にとってどんだけ大切なもんかも何にも知らねえくせに、コイツらっ!!


 絶対に渡さねえっ!! 俺だけの、ラオン!


 俺の怒りは、一気に沸点に達していた。




          to be continue


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