第8話 恋患いのスパイラル
ラオン。
俺が、生まれて初めて好きになった
長いワインレッドの綺麗な髪の、肌が真っ白な女の子。
背がちっちゃくて、俺より頭一個分低い。
華奢で走るのも遅くて、何かどっか危なっかしい感じで。
守ってやんなきゃって、思う。
眼がくりっと大きくて、睫毛も長い。
澄ました顔も可愛いけど、笑った顔は更にスゲェ可愛くてさ。
俺はいつの間にか、アイツに恋をしてた。
けど。
アイツは俺の事を「一番大切な友達」
だと云う。
最高に悪気のない笑顔で、嬉しそうにそう云った。
……結構、ダメージ半端ねぇ。
しかもアイツは、この宇宙を司る巨大惑星ジュピターの姫。
恋愛成就、ほぼ0%に等しい相手。
俺は見事に、恋患いのスパイラルにはまっていた。
♡
何だか、ふわふわとした気分が抜けねぇ……。
理由はもちろん、ラオンの夢を見たから。
昼休みのうたた寝の、夢の中だけのデート。
良くある感じの、ベタデート。
そんな夢見ただけでこんだけ浮かれちまうんだから、俺って本当単純だ。
けど、今は仕事中! 気ィ引き締めろぉ~、俺!
次の配達先は、パン屋。
只今営業中だから、角を入って裏口の方へ回る。
店の換気扇の下を通った時に、焼窯で温められた空気と一緒に甘くて芳ばしい匂いがした。さっき昼飯食ったばっかなに、思わず食欲が刺激される。
チキショー、旨そうな匂いだなあ。
食べ盛りだし体力勝負の仕事だから、いくら食っても腹が減っちまう。
食いしん坊の、オリンク程じゃねぇけど……。
裏口の扉の前で台車を止めて、荷物の箱に貼られた伝票の宛先を再確認する。ここのパン屋に届く荷物は、大概二箱。それ程大きくない箱の中身はパンの中に練り込む木の実やらドライフルーツだから、二箱いっぺんに持ち上げても全く重くない。
宛先を確めながら、俺はあいた方の手で扉を叩いた。
「こんにちはー! 配達で~す!」
浮かれ気分の自分に渇を入れるように、いつもよりちょっと元気目に呼びかけてみる。
待つ事数秒。
微妙な間で、扉が開いた。
中からゆっくりというか、恐る恐る様子を伺うような感じで顔を覗かせたのは、いつものおかみさんじゃなかった。ふたつに分けた、おさげ髪の女の子。歳は多分、俺と変わらないくらいの。
なんとなく、顔に見覚えがあるような。確か、ここのパン屋の娘……。
名前……何だっけ?
その女の子は、何だかしどろもどろした感じで、視線を俺から少し斜めに逸らしてた。
何だ? 何処見てんだ?
ちょっと挙動不審っぽいぞ。
「あの、荷物、何処置く?」
何だかこのまま埒があかなそうだから、俺から訊ねた。
「……あの、何処でも」
……声がひっくり返ってる。何だ、対応しにくいぞ。
俺はとりあえず、適当に扉の内側に荷物を重ねてふたつ積んだ。そん時もその娘は、まるでビビったように一歩後退した。俺が二枚に重ねた伝票を手渡した時も、びくつきながらそれを受け取るし。
まさかこの娘、俺に怯えてんのか?
えっ、何で? 俺、何かしたか?
確かに俺、眼付き鋭いとか良く云われるし、鼻の上に少し目立つ傷もあるよ。
けどそんな、初対面の娘に怯えられる程、外見怖くねぇぞ!
この街に来てからは一切悪さもしてねぇし、変な噂だって立ってねぇ筈だし……。
女の子はたどたどしい手つきで伝票にサインすると、微妙に震えた感じでそれを俺に差し返す。眼すら合わせようとしないし。
やっぱ、あからさまだ。さすがにこれは、俺だって傷つく。
「ありがと」
俺はなるべく、これ以上この娘をビビらせないように、優しく云って無理矢理笑った。
……何だかなあ、さっさと次の配達行こ。
ドンマイ、俺!
「あっ……あのっ!」
俺が何とか開き直って、伝票をズボンのポケットに突っ込んで立ち去ろとしたら、あの女の子の声がそれを止めた。
何だ、苦情とか受け付けねぇよ。だって俺、何もしてねぇし!
『あなた、悪のオーラが漂ってるんで、次から別の人に配達チェンジしてもらえませんか?』
とか云われたら……さすがに俺だって落ちる。
振り返った俺の目の前に、いきなり女の子が何かを突きつけてきた。
今度は俺の方が驚いて、後ろに退けぞく。
ん?
赤いリボンが結んである、ピンクの小さな袋?
「わっ、私が焼いたの! 良かったら、食べて下さいっ!」
何だ? 一体、何がどうした?
俺、怖がられてたんじゃねぇの?
俺はポカンと呆気にとられたまま、突きつけられたピンクの袋と女の子を交互に見た。うつむいてるせいで、女の子のつむじしか見えない。
「……ああ、ありがと」
俺は女の子の手から、ピンクの袋を受け取った。何だか、ほんのりと温かい。
「じゃあ、またね!」
俺が袋を受け取った途端、女の子は早口でそう云って顔も上げずに逃げ込むように扉を閉めた。
またね。
とりあえず、もう来ないでくれと云われなかった事にホッとする。
次の配達先に向かう道すがら、俺はパン屋の女の子に渡されたピンクの袋を開けてみた。中には、形の不揃いな小ぶりのクルミパンが3つ入ってた。
ふんわり、甘くて香ばしい匂いがする。
不恰好で、売りもんじゃねぇのは明らかで。
「私が焼いたの!」
そういえばあの娘、云ってたな。
中には、パンと一緒に手紙が一枚。
いつも配達ありがとう
一言だけ、書き添えてあった。
「ソモル兄ちゃん! 仕事頑張ってる?」
背中から、嫌という程良く知った声がした。振り向かなくたって、誰だか判る。だから、あえて振り向かねぇ。
「あーっ、何何? 何食ってんの?」
見慣れた生意気顔の弟分ターサが、餌を見つけた仔犬みたいにはしゃぎながら、台車の前方に回り込んできた。
まだ食ってねぇし。
俺より
そこらに居る本当に血の繋がった兄弟よりも、ずっと兄弟って感じの間柄。
ターサはこの街に棲む子供の居ない老夫婦のとこに引き取られて、今は他の子供と同じように何不自由ない生活をさせてもらってる。他の仲間も、けっこうそんな感じでうまくやってる。
俺の事も、面倒見てくれるって云ってくれた大人は居た。けど、俺の方から断った。
知らない大人に引き取られて一緒に暮らすのは、俺の
だから俺は、こうして自活中! いい汗掻いてる、俺。
「あーっ! パンだ! どうしたんだよ、それ」
ターサが、追究するような眼で俺を覗き込む。
俺の手の中の赤いリボン、ピンクの袋、そしてちょっと歪いびつで不揃いのクルミパン。
明らかに、店で買ったものでないのは、一目瞭然。というか、どう見ても貰ったものにしか見えない。しかも、それをくれた相手はどう考えても女の子である事はバレバレ。
ターサの眼が、じと~っと俺を見詰める。
「さっき、配達行ったら貰ったんだよ」
しゃーねぇ。面倒くさいから、正直に云う。
「えっ、もしかして、アンジェリカからっ!?」
そうだ。確かあの娘、そんな名前だったな。
店先でパン屋のおじさんにそう呼ばれてんの、前に何度か聞いた気がする。
「うそ~っ! マジで!」
ターサが、やたら大袈裟に驚く。でけぇよ、声が!
「一個、やろうか?」
3つもあるし、後でケチ呼ばわりされてもヤダから、とりあえず訊いてみる。
「うわ~! サイテ~!」
ターサの野郎、わざとらしく俺を軽蔑するような目付きで、僅かに後退した。
何だよ! 人がせっかくわけてやろうってのに、何で最低呼ばわりされねぇといけねぇんだよ!
「本当、兄ちゃんってそういうとこ鈍いんだよな。俺よりガキなんじゃない?」
カッチーン!
何だ何だ、ムカつくぞっ! こいつってば、最近本当生意気になったよな。
「もう少しさ、女心を勉強した方がいいんじゃない? せっかくモテるんだからさ」
ターサが、いつもの大人ぶった口調で云った。えっ、何、モテる……?
「とりあえずさ、パン一個ちょうだい」
ターサはひたすら生意気な笑顔で、俺の前に手のひらを差し出した
結局貰うのかよっ!
俺は少しひきつったまま、心の内側で盛大に突っ込んだ。
to be continue
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