第30話 俺は、負けるもんかと歯を食い縛る

 許せねえ、コイツら!

 こんな連中に、今日一日の俺の記憶の重さなんて判るわけがねえ!

 俺とラオンの頭から、今日一日の記憶を消すだと?


 ラオンにとって、俺と過ごした今日一日の記憶が、俺にとってのそれと同じ重さを持つものかなんて判らねえ。けどコイツらは、ラオンの中からも丸々今日の俺との記憶を奪い去ろうとしている。


 ラオンは今日、俺に『ありがとう』と云ってくれた。

 ラオンの中に、刻み込まれた俺。


 ラオンが『ありがとう』と云ってくれた瞬間、心の一番深い場所で結びつけた気がした。


 繋ぎ合った手。その記憶。

 俺とラオンの、心の結び目。


 コイツらはそれを全て、奪い去ろうとしている。


 俺の体が、怒りで震えた。沸騰しそうな血流が、全身を駆け巡る。


 許せねえ許せねえ許せねえ許せねえ許せねえ許せねえ許せねえ許せねえっ!!




「…………ふざけんじゃねえぞ、てめえら…………!!」


 吐き出した声が、感情の激しさに震える。

 連中は乾いた視線で、俺とラオンを見ていた。大人って生き物の見せる、一番嫌な眼で。



「このカプセル、坊やの方から呑んでもらった方が良さそうね」


 女の言葉と、ほぼ同時だった。

 隙をつくような動きで、俺とラオンの両脇に男二人が立っていた。


 くそっ!


 ラオンを庇いながら逃げようとした俺の肩を、男の手が掴んだ。鉄みたいに頑丈な手に、固定されたみたいに動きを止められた。抵抗しようとした俺の腕を、もう一人の男が掴む。

 その勢いで、ラオンの体が俺から離れた。


「ラオンッ!」


「ソモル!」



 引き離された瞬間、急に夜の肌寒さを覚えた。



「放せってんだよっ! この野郎っ!」


 大人のくせに、二人がかりなんて卑怯だ。

 俺の体は、男二人に両腕を掴まれて身動きすらとれない。いくらもがいても、奴らの手はびくともしねえ。


 ちくしょうっ!


 自分がまだガキだってだけで、こんな連中に力で全く歯が立たない事が、我慢できない程悔しい。


 ふざけんなっ! ふっざけんなっ! ふっざけんなっ!!


 頭の奥が、憤りで戦慄わなないてる。



「ラオンにだけは、手ぇ出すんじゃねええっ!!」


 吠えたって、何にもできねえくせに。

 俺は、わめくだけで何にもできねえ自分自身に、連中に覚えた怒りと同じくらい腹が立った。


 奴らはラオンに手出しする様子はなかった。

 そう、最初の標的は俺なんだ。


 片方の男が、女から渡されたピルケースの中から、一粒カプセルを取り出す。


 24時間の記憶を消し去るカプセル。

 コイツらは、俺にこれを呑ませようとしている。

 ラオンと過ごした俺の今日一日を、奪い去ろうとしている。


 俺が、一生忘れないと決めた、大切な時間を。



 キラキラ、キラキラ……


 瞬く光の粒のように儚くてとうとい、一瞬一瞬のラオンを……。



 渡すかよ! 奪われてたまるかよ!

 もう二度と手に入らない時間。


 俺の中の、ラオン!



 男が指先につまんだカプセルを、俺の口元に近づける。


 呑まされてたまるかっ!

 俺は全身の力を込めて、歯を食い縛った。


 男が俺の顎を掴み、無理矢理口をこじ開けようとする。

 男の握力に、俺は必死にあらがった。


 顎が、震える。首の筋がつりそうになった。


 ……負けるもんかよっ!


 息が苦しい。

 次第に頭に血が上って、意識がくらくらし始めた。食い縛った歯が、一瞬浮き上がりそうになる。



 …………負けねえっ!



 意識が、ますます不安定にぐらついていく。

 耳鳴りが聞こえた。


 駄目だっ! 耐えろ、耐えろ……!


 意識が落ちたら、奴らの思うつぼだ。


 ラオンを、守るんだろ?


 俺の傍に居るラオン、俺の中に居るラオン。




 …………ラオン…………!



 意識が、痺れていく。








「そこまでだ!」



 白く染まる意識。

 ぼーっという耳鳴りに交じって、遠くにいかつい声が聞こえた。


 同時に、俺の顎をこじ開けようとしていた男の手の力がゆるんだ。


 呼吸が楽になる。



 ……何だ……?


 俺は、きつく閉じていた瞼を開いた。


 眩しい。


 真昼のような光が、俺たちの周囲を取り囲んでいた。


 堪えていた顎の力を急に抜いたせいで、俺は一瞬立ち眩みのような目眩に襲われた。

 男の手からも解放された俺は、ふらりとよろめく。



「ソモル!」


 崩れそうになった俺の腕に、ラオンがふわりと寄り添った。


 甘い、ラオンの髪の匂い。


 視界が、まだぼんやりする。強い光のせいもあるかもしれない。

 首から上だけが、すげえ熱い。ずっとりきんでたから、顎から頭にかけて血が上り過ぎた。


 ラオンに支えられるようにして、俺はあらためて周囲を見回した。

 ざっと二十人くらいの重装備した警官隊が、連中と俺たちをぐるり360度隙間なく取り囲んでいる。


 どういう展開なのか、判らねえ。判るのは、どうやら俺たち、助かったって事だけ。



 …………良かった…………。



 張り詰めていた神経とアドレナリンが一気に力が抜けた。


 ラオンと、俺たち二人の大切な記憶を守りきったんだ……。


 隣に寄り添う、ラオンの温もりと感触。

 俺はラオンの肩にぎこちなく腕を回して、優しく引き寄せた。

 柔らかな髪が、首筋に触れる。ほんの少し、くすぐったい。

 ラオンと居られる、最後の幸せを噛み締める。


 この感覚も、俺の大切な記憶になっていく。



 忘れない、記憶に…………。



 大好きな、ラオンの。俺の……俺だけの、ラオン。



         ♡



 連中が、どうしてラオンのぬいぐるみを狙っていたのか。

 種明かしは、こうだ。


 奴らの目的は、ぬいぐるみそのものじゃなく、それに埋め込まれていた青いガラス玉だった。

 ぬいぐるみの腹の部分に、飾りとして埋め込まれたガラス玉。

 これが実は、ガラス玉に模した機密データ保存球体だったらしい。この中に、奴らの計画に必要な重要データが全て保存されていた。

 今マーズは、王の生誕祭で各星々からのVIP来賓も多く、警備もそうとう厳重になっている。その検問の目をくぐり抜ける為に、露店で売るぬいぐるみのひとつにその機密データを埋め込み、カモフラージュした他の同じ形のぬいぐるみの中に交ぜた。


 目印は、青いガラス玉。

 それが仲間内の伝達ミスの手違いの為、そのまま露店で売られちまったらしい。


 それをたまたまラオンが気に入り、俺が買ってやった。

 俺の瞳の色に似ているからと、ラオンは青いガラス玉の埋まったぬいぐるみを選んでくれた。

 赤やピンク、他の色のガラス玉のぬいぐるみをラオンが選んでいたら、奴らに追いかけられる事もなかった。

 そういう事だったみたいだ。


 あの露店の牛乳瓶底メガネの売り手も、奴らの仲間だったらしい。だから俺たちの顔もばっちり覚えられてたし、GPSから居場所もすぐに嗅ぎ付けられたわけだ。



 そうまでしてマーズに運び込んだ、球体に組み込まれたデータ。

 奴らの組織的な計画。


 それは、マーズ城の占拠。


 警官隊のふりをして潜り込んだ組織の連中が、来賓客や王族を人質にマーズ城を占拠する。

 そんな大がかりで、とんでもない計画。


 計画がそのまま連中の思惑通り実行されていたら、ラオンやその両親の王や王妃たちも人質の中に含まれていた。

 そう考えると、すげえ、ぞっとする。


 各惑星からのVIP来賓を人質にしてまで、連中の組織が要求したかった条件。

 それは、マーズの隣の惑星、地球アースによる殖民地化した小惑星の解放。


 地球の横暴な小惑星殖民地問題は、銀河系の惑星会議でもしょっちゅう議論されている。

 ニュースにうとい俺でも、その事は知ってる。

 人質にされる筈だった来賓の中には、地球からのVIP客も含まれていた。

 巻き添え食う他の惑星客たちにはえらい迷惑な話だけど、連中の組織も必死だったんだと思う。やろうとしてた内容は、誉められたもんじゃないけど。


 俺、勉強ってした事ねえから、難しい事は判んねえ。全部、警官隊のおっさんが話してくれた事だから。

 奴らにひでえ事されたのは事実だけど、連中はラオンや俺に一切危害を加えようとはしなかった。それもまた、事実。


 なんか、後味すっきりしねえよな。



 俺とラオンが悪党に追われているって通報から、様々な裏付けで連中の計画が明るみに出たらしい。

 その通報者は、なんとオリンク! あのオリンク!

 谷底に落ちる俺とラオンをアホ面して眺めてたオリンクは、その後ちゃんとしかるべきとこに通報してくれていた。

 俺はほんの少し、オリンクを見直した。



 結局、ラオンが連中から必死に守り抜いたぬいぐるみは、証拠品として解析される為に押収された。

 警官隊に説得されたすえ、渋々ぬいぐるみを手渡すラオンの横顔は、俺まで悲しくなっちまうくらいにしゅんと項垂れていた。


「せっかく、ソモルがくれたのにな……」


 ぽつっとラオンが洩らした言葉は、多分俺の耳にしか届かないくらい小さな呟き。


 ラオンの翡翠ひすいの大きな眼が、きらりと揺れた。


 淋しそうなラオンの横顔を見詰めながら、俺は胸の奥の方がざわりと苦しくなった。



 ああ、そうか。


 俺たちもう、お別れなんだな……。




           to be continue


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