第26話 トロッコは、二人+おまけを乗せて
渓谷に面して添うように引かれた軽便軌道。その上に放置されたまま停まった一台のトロッコ。
どう見ても、放ったらかされてからかなり経ってる。
だいたいあれ、動くのか?
途中でくるりとカーブしてるせいで、軌道が何処まで続いてるのか判らない。
けど、奴らから逃げ切るには……。
迷ってる場合じゃねえ!
俺は、オリンクの提案にのった。
「あいよ! じゃ、行くか!」
張り切るオリンクの声と同時に、俺とラオンの足が地面からいきなり宙に浮き上がった。
オリンクは、俺とラオンを軽々持ち上げて肩に担ぐと、すげえ勢いで駆け出した。
やっぱこいつの馬鹿力は半端ねえ。
振り落とされないように、俺もラオンもオリンクの頭にガシッとしがみつく。
右肩にラオン、左肩に俺を乗せたオリンクはあっという間に軽便軌道の前に到着すると、そのまま俺たち二人をひょいっとトロッコに乗せた。
やっぱ、中もあちこち錆び付いてる。
トロッコに触れた手にも、赤茶けた錆がべったりこびりつく。
本当にこのトロッコ、大丈夫か?
もやもやした不安は拭えない。
続いてオリンクも、ひょいっとトロッコに飛び乗った。
岩場を、奴ら三人が追ってくるのが見えた。オリンクの超速のおかげで、距離はだいぶ開いてる。
「んじゃ、出発進行!」
まるで遠足気分のオリンクは、場違いに明るい掛け声を上げながら、錆び付き気味のレバーをその怪力で一気に押した。
ドギュイィィィィィィ!!!!!
日常生活では絶対に耳にしない類いの音を立てて、トロッコが走り出す。
走り出す……というか。
役目を終えて永く休眠中だったトロッコが、いきなり得たいの知れない馬鹿力に叩き起こされパニック気味に暴走した。
そんな表現の方が、絶対合ってる。
マーズ儀(地球儀のようなもの)をふざけて回転させたように、流れ去っていく景色。
例えるならば、さながらジェットコースター!
風を切り、暴走トロッコはとんでもない勢いで軌道を駆け抜けていく。
この速度、あり得ねえだろっ!
どんなスタートダッシュだよ!
風の圧力に全身を
「ひゃっほー! 走れ走れ!」
余裕なのは、トロッコを暴走させた張本人だけ。
「やめろっ! これ以上スピード上げんじゃねえ!」
もう一発レバーを押そうとするオリンクを、俺は慌てて制する。スピード摩擦で、車輪が火ぃ吹きかねない。
俺の隣で、ラオンも体を小さく縮込ませたまま、トロッコに必死にしがみついてた。束ねた長い髪が、風に殴られて馬の尻尾みたいに逆立っている。
渓谷に添ってなだらかにカーブする軌道を進みながら、ようやくトロッコのスピードが落ち着き始める。
あり得ないスタートダッシュで一気に飛ばして、あの岩場からはかなり離れた。
やり方は滅茶苦茶だけど、オリンクのおかげで奴らからは完全に逃げ切った。もう少し空気を読んでくれれば、オリンク程頼りになる助っ人は居ない。
深い渓谷すれすれに引かれた軌道を、俺たち三人を乗せたトロッコは絶妙な速度で駆け抜けていく。
力加減を知らないオリンクを
「そういえばオリンク、お前この休みに家に帰るとか云ってたよな」
少し思考に余裕ができた俺は、昨日オリンクと仕事場のシャワー室で交わした会話を思い出した。家に帰る用があるからと、オリンクは明日も休みを取ってる。
「うんそう。丁度帰る途中だったんだ」
そうか。だからこの荷物か。
俺はオリンクの背中に揺れる、大ぶりのナップザックをチラリ見る。
「お前ん家って、こんな岩場の近くなのか?」
見たとこ民家どころか、オリンク以外人すら見かけなかった。
ずいぶん
「ううん、おいらん家はもっと別の方向。遠回りして帰ってたんだ」
どんな遠回りだよっ!
突っ込んだとこで、オリンクからまともな答えが返ってくるわけがない。
「けどさ」
云ってオリンクは、真ん丸な眼でちろっとラオンを見た。そしてそのまま、俺を見る。
「お前たち、なんで追われてたんだ?」
オリンクが、一切の邪気のない眼で純粋に尋ねてきた。
なんで、○○は○○なのー?
そんな疑問珍問を投げ掛けてくる、素朴なちびっこみたいな眼差し。
なんで……?
それは、俺とラオンだって知らない。
いきなり銃を向けられて、絶対ヤバそうだったから逃げた。
渡してもらおうかしら。
女が云ったその言葉から、ラオンが狙われてる事はまず間違いない。銃を撃って来なかった事から、あれは単なる
ラオンに危害を加える気はない。
ラオンの素性を知った上で、なんかに利用しようとしてる……?
「判らんねえ、追われてる理由なんて、俺たちが訊きてえ」
訊いたとこで、ラオンを渡す気なんてさらさらねえけど。
今の俺がする事は、ただひとつ。
何がなんでもラオンを守るって事。
全力疾走の疲れもだいぶ癒えたのか、ラオンはトロッコの縁に掴まって流れる空を眺めていた。
空の低い部分は、ほんのり青が混じり始めてる。
昼間は赤みがかったマーズの空は、夕暮れには青く染まる。
「……なんか、散々だったな」
空に向けられたラオンの翡翠の綺麗な眼が、俺の方に傾く。
風に包まれたラオンは、柔らかく笑って首を振った。
低い太陽が、渓谷の隙間から俺たちを照らす。
光の仄青い粒子に飾られたラオンが、真っ直ぐに俺を見詰める。
俺は今置かれた情況もオリンクが同乗してる事も忘れて、うっとりとラオンに見とれていた。
この汚ねえトロッコが、レジャーランドのアトラクションとかだったならば、きっとこの上なくドラマチックでいい雰囲気だっただろう。
デートとしては、最高潮のムード。
ラオンが、俺に何かを云った。
けどその声は、別の音に奪われた。
ガッコンッ!!
そして、叩きつけられたような衝撃。
その衝撃に反射的に眼を閉じ、そして開いた時には俺の体は宙に浮いていた。
へ? なんだ、これ……?
トロッコが、視線の斜め下に見える。
あれ? 俺、あれに乗ってた筈なんだけど……。
俺が今居るのは、足場のない渓谷の真上。
体が、完全に空中にある。
ふと横に眼を向けると、俺と同じような状態でラオンの体も宙に浮いていた。
……ラオン!
何が起きたのかわけも判らないまま、俺はラオンの方に手を伸ばす。
俺の手が、宙を掻く。
ラオンの体には、届かない。
そこでようやく、俺とラオンはトロッコの外に投げ出されたんだと理解した。トロッコの車体は、軌道にあった何かの障害物に当たって脱線したらしい。
一度大きく跳ね上がったトロッコは、そのままうまい具合に元の軌道に着地していた。
一人だけ放り出されずに無事だった、オリンクと一緒に。
「はれー?」
惚けた声を洩らして、オリンクがトロッコの中から高みの見物で俺たちを見送る。
そのままオリンクとトロッコが、上空に遠ざかる。
いや、逆!
俺とラオンが落下していく。
オリンクに突っ込む余裕もねえっ!
「ラオン!!」
急降下する空気の圧に押されながら、俺は叫んだ。
俺自身の身の事なんか、これっぽちも頭になかった。
ラオンが、俺を見る。
そして、俺に向けて真っ直ぐに手を伸ばす。
俺は死にもの狂いで宙を掻きまくる。
ラオン!
もう少しで、届く!
指先が、僅かに触れた。
その指を、必死に
無我夢中に、ラオンの手を掴む。
そのまま、力いっぱい引き寄せる。
俺は、ラオンの体をぐっと抱えるように両腕で包み込んだ。
何がなんでも、ラオンは俺が守るんだっ!!
俺たち二人は、ひとつの形になったまま、流星のように深い谷間に落ちていった。
to be continue
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