第4話 逃避行

 たった3日間の逃避行。

 俺とラオンの3日間は、そんな成り行きから始まった。


           ♡


 俺たちはゴミ置き場の陰に隠れたまま、周囲の様子を窺っていた。

 このまま動けば、多分見つかる。

 俺はこの後の行動をどうすべきか考えあぐねていた。


 どれくらいそうしていただろう。

 いつもならもう仕事が始まる時間をとっくに過ぎてんのかななんて思うと、胸の奥が苦しい。

 このままじゃ、埒明らちあかねぇ。

 どうにかしなきゃ。焦る気持ちだけが、時間の経過と共に俺をじわじわ追い詰めていく。



「ソモル兄ちゃん」


 小さくかけられた声に、俺ははっとして頭を上げた。 


 向かいの家の裏口が僅かに開いている。そこから小さな手が伸び出し、ちょいちょいと俺たちを招いてる。隙間から、手の主の顔がチラリと覗いた。



「ターサ!」


 気が弛んで思わず大きな声が出ちまって、慌てて口をつぐむ。

 

 ターサは俺と同じ避難船に乗せられてマーズに辿り着いた仲間の一人。今は子供の居ない老夫婦に引き取られ、本当の孫みたいに大切にしてもらってる。俺の一人暮らしの小屋も、ターサを面倒みてくれてるじいさんが宛がってくれた。

 そうか、ここターサの家の裏だったのか。

 何はともあれ、これ以上の救いの神はない。


 俺とラオンは体を屈めながら壁伝いに路地を進み、ターサの招く裏口へささっと飛び込んだ。


「助かったぜ、ターサ」


 ターサが、ニヤッという感じに笑った。そして、間髪いれずに俺のTシャツの袖を引く。


「愛の逃避行って、ホント?」

「はあっ?」


 耳元で尋ねられた言葉に、俺はすっとんきょうな声を上げた。

 一体、何処でどうしてそうなった。


「無理矢理引き離されそうになって、駆け落ちしたんでしょ?」


 呆れて開いた口が塞がらない俺に、ターサが言葉を続ける。


 ……どっからそんなデマが流れた? しかもこんな短時間に。

 今この街に溢れているのは、デマと噂と誤解だらけだ。こうやってゴシップは造られていくのか。俺は身をもってその事を学んだ。


 ラオンは俺とターサのやり取りを、眼をぱちくりさせながら見てる。


「……んなわけねぇだろ!」

「な~んだ、違うのぉ」


 あからさまにがっかりした声でターサがぼやく。こいつ、面白がってる。


「この状況に一番びっくりしてんのは、俺なんだよ!」

「とかなんとか云ってないでさあ、今からでも狙っちゃえば? 姫様、あんなに可愛いんだし」


 俺の腕を引っ張り、ターサが耳打ちする。


「ばーか!」


 ちょっとだけ図星をつかれたばつの悪さをごまかす為に、俺はターサの頭を軽く小突いた。

 ……って、こんなやり取りしてる場合じゃねえ。

 

「そんな事より俺たち、宇宙ステーションに行かなきゃなんだ」

「ステーションに? なんで? やっぱ愛の……」


 俺はもう一度、ターサの頭を小突いた。今度は加減なし。


「いって~! 本気でやりやんの」


 ターサが眉毛をへの字に、頭を押さえたまま抗議する。しつこいお前が悪い。


 宇宙ステーションに行かなきゃならない事情の説明は、この際面倒なんですっ飛ばした。

 ラオンの夢を知ってるのは、俺だけでいい。


 ターサはこれ以上詮索しても無駄だと悟ったのか、わりと諦めは早かった。 


「ステーションへの抜け道ならあるよ」


 ターサは壁際の本棚の前に来るように、俺たちをうながした。そして俺とラオンが見ている前で、本棚を横へ押す。

 重そうな本棚は、意外と簡単に動いた。


「この下」


 ターサはたった今まで本棚のあった所の床を指差した。扉のようなものがある。ターサは少し重そうに、ゆっくり扉を押し上げた。


 俺とラオンは、開いた扉の中を覗き込んでみた。真っ暗で、その先に何があるのか全く見えない。


「ステーションの裏にある橋の下まで続いてる。ここを抜けて行けば見つからない筈だよ。ヘマさえしなきゃね」


 さっきのげんこつへの細やかな仕返しか、余計な一言付きでターサが云った。


「すげえな、お前のじいさんの家」


 秘密の地下道が備えられた一般民家なんて、そうそうない。


「じいさんの死んだじいさんの云い付けで、地下の抜け道を作ったんだって。昔家事にあって、髪の毛全部焦がしちゃったらしい」


 きっとその後、生えてこなかったんだろうな。でなきゃ、こんな手のこんだ事しねえ……。


 ターサは俺たちを地下道へ誘導しながら、火を灯したランプを手渡した。


「ありがとうターサ、元気でね」


 地下道へ降りながらラオンが云って、にっこり微笑む。思いがけずラオンに言葉をかけられ、ターサはしどろもどろに顔を赤くしていた。


「じゃあな、帰ったらなんか礼するよ」

「だったら、姫様に俺の事カッコ良く紹介しといてよ」


 ラオンに聞こえないように小声で呟いたターサに、俺は苦い笑顔で手を振った。


 パタン


 扉が閉められると、そこはただ延々と続く暗闇だけの空間になった。かろうじてランプの光が足元を照らしてるだけで、道が真っ直ぐに続いているのか曲がっているのかすら判断つかない。この真っ暗な地下道がどれ程の長さなのか、抜けるまでにどのくらいかかるのか判らないけど、後はもうとにかく進んで行くしかない。あまりにも暗くて、本当に橋の下に出られるのかすら不安になってくる。


 ……何弱気になってんだ。俺がしっかりしなきゃだろ!


「大丈夫か、ラオン」

「うん、大丈夫」


 ラオンの様子を確かめて、俺は慎重に足を踏み出す。

 なんだかじめじめして、カビっぽい臭いもする。足元もべちゃべちゃとして歩きにくい。雨の後の土道みたいに足が嫌な感じに沈み込む。


「気をつけろ、ラオ……」


 言葉も云い終わらないうちに、俺は踏み出した右足の着地点に違和感を覚えた。


 ヤバい!

 思った時には、すでにバランスを崩していた。


 ズッテーン! ビチャッ!


 

 豪快に着いた尻餅しりもちと同時に、手にしたランプが宙を飛ぶ。

 ぬかるみの中に投げ出され、ランプの火は情けなく燻りながら小さくなり、茫然と見守る俺たちの前で力尽きたように消えていった。



 ……終わった、と思った。


 やらかしちまった。一番やっちゃいけないヘマしちまった……。 


「……悪りぃ、ラオン」


 仕出かしちまった罪の重さをズッシリ背負いながら、俺は後ろのラオンを振り向く。




「……うぎゃあああっ!」


 その瞬間、予期せぬものを目撃して、俺は盛大に悲鳴を上げた。危うくもう一度、尻餅つくとこだった。


「どうしたの、ソモル」


 俺の驚きっぷりに、ラオンがきょとんと尋ねる。


「……め……ラオン、お前、眼が……」


 だって驚くに決まってんじゃんか! 真っ暗の中で、ラオンの眼がぼんやり火の玉みたいに光ってんだからさあ! 

 あり得ねえだろ、こんな光景! まさか眼が光るとか、そんな事想像すらしてねえし!


 ラオンは俺の動揺をよそに、きょとんと首を傾げてる。多分。

 真っ暗の中で、ラオンの表情は俺には見えない。見えるのは、ぼうっと浮かび上がるラオンのふたつの眼の光だけ。


「あれ、ソモルは光らないの?」


 逆に訊き返され、俺は返す言葉もない。

 ジュピターの人間は夜行性の名残があるらしく、闇の中でも視界が利くのが当たり前らしい。すっかり拍子抜けしてた俺に、ラオンが丁寧に説明してくれた。


 もしかして、昨夜も光ってたんだろうか? 

 星に夢中で全く気づかなかったけど。そういえば、妙に瞳がキラキラしてたような……。


 いや、今は悠長にそんな事思い出してる場合じゃない。

 ラオンの夜行性の眼があれば、俺が招いちまったこの暗闇ピンチを乗り切れる。


「ラオン、お前眼が利くんなら、俺を引っ張ってってくれないか」

「うん、いいよ」


 ラオンと先頭を交代する。俺はラオンに手を取られながら、たどたどしく前に進んだ。

 何にも判らない真っ暗闇の中で、ラオンの手の暖かさだけが、俺をいざなう灯火だった。


 その手の暖かさがなかったら、きっと俺……。



「ソモル、あれ、出口だよ」


 やがて射し込んだ一筋の光に、ラオンの嬉しそうな声が聞こえた。



               to be continue

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る