第15話 エピローグ

  





 1か月ぶりのスポーツジムは、古巣にもどったように懐かしかった。


「うわあ、畑中さんだ。どうしていらしたの? みんなで心配していたのよ」

 ロッカールームで着替えて2階への階段を上って行くと、待っていたように夏川モナミが駆け寄って来た。相変わらずの露出度だが、どことなく雰囲気がちがう。


 ひと口に言えば、


 ――浦島太郎の女性バージョン。


 もしかして、オレに会えない寂しさに、急に老け込んだとか?

 そんなわけがないと気づいたのは、菩薩顔の目尻はおろか、濃い目のファンデーションの下にも満遍なく寄った、愛用の裁縫箱の蓋にそっくりの縮緬皺を発見したときだった。


 ――ゲゲッ、こんなバアサンだったのか?


 完全に騙されていた。

 騙した相手はモナミではなく、自分自身の眼球だったが……。


 そう思ってあらためて見やれば、海辺の水着もかくやとばかりに、惜しげもなく曝された肌までなにやら寒々しく禍々しく、とてものことに正視に堪えられない。


 ――だれか、大判のバスタオルを被せてやれ。


 そこへ颯爽と登場したのが野々宮裕也だった。


 ――ん?


 浩一郎は再びわが目を疑った。


 自分とは天と地の開きがあるイケメン野郎とばかり思っていたが、いま見れば、トウモロコシの毛のような頭髪をポヤポヤなびかせ、身体にピッタリ張り付くアスリート仕様の派手なウェアの猫背を丸め、貧相な腰をふらつかせながら、ヨロヨロ歩くひとりの老人がそこにいた。


「ついにお陀仏かと思っていたが、ゾンビのようにしぶとく蘇生しおったな」

 相変わらずナイスガイぶった裕也は、さっそく憎まれ口を叩いたが、


 ――ということは、もしかして、オレもか?


 四方の鏡の正直に呆然とした浩一郎は、悪態を言い返す気にもなれなかった。

 いままでこの目で見ていたつもりの事物はことごとく幻想だったというのか。


 数多の汗がこびりついたマシンの赤錆や床のゴミまで、見なくていいものまでが異様な立体感で飛び込んで来る。3D映画の眼鏡を無理にかけさせられたように。


「なんかオレ、生まれ変わったような気分なんだわ」

 やっと口を開いた浩一郎に、裕也がおもむろに告げた。

「憑きものが落ちたような顔をしているよ。無駄な気負いがとれてよかったな」


 たしかに、オレはいままで無駄に突っ張っていたような気がする。

 照れくさそうにそっぽを向き、珍しく真面目に裕也が打ち明けた。


「言いそびれていたけどね、オレ、病気で会社を休職していた時期があるんだよ。快復して復職してからも日の当たらない部署ばかり歩かされてな、出世コースから外れたと腐っているとき、ふっと力みを捨ててみたらすごく楽になったんだよな」


 初めて聞く話だった。


 学業成績はトップだったのに、親に金がなかったばかりに高卒で社会へ出た自分とちがい、裕福な家庭に生まれた裕也は東京の大学へ進み、帰郷して一部上場企業へ就職した。不公平なほど順風満帆な人生だと内心でうらやんでいたのだが……。


 厳粛な気持ちに撃たれていると、今度はかたわらの夏川モナミがパッと駱駝色の帽子、いや、ウィッグを脱いだ。あろうことか、その下から現われたのは、青々と剃り上がった坊主頭だった。


「わたし、青蓮っていってね、となり町の釈迦山の麓の観音庵で尼をしているの。よほど業が深いのか、出家しても煩悩と縁が切れなくてね、モナミと青蓮の間を行ったり来たりしてなんとかバランスを取っている、尼僧界の落ちこぼれでーす」


 モナミならぬ青蓮の告白を聞いた浩一郎は、一瞬にして、すべてを了解した。

 いろいろあった3人が人生の終焉近く、ジムに掃き寄せられた偶然と必然……。アドレナリンの噴射を意識した浩一郎は、得意のムエタイを繰り出したくなった。


 ――エイッ!


 気合いを込めた畑中浩一郎のラウンドハウスキックはスパッとみごとに決まり、野々宮裕也と夏川モナミ、居合わせた老若男女のジム仲間たち、それに若いトレーナーたちまでが盛大な拍手を贈ってくれた。



 

 創業20周年の「R3Nフィットネス」のネーミングが、千客万来の願いを込め「老若男女」の頭文字を取ったものと知っているのは栄えある「創業会員」だけ。スペシャルなゴールドカードとともに秘密保持が暗黙の了解になっている。【完】

                          

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手編み男子――ビフォーアフターの風景 上月くるを @kurutan

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