第3話 メールの返信が届かない
連絡手段といえば手紙や電報だけで、電話も家電だけだった時代は幸福だった。
いつでもどこでも24時間リアルタイムで連絡がとれる現況はかえって残酷だ。
――メールの返信が届かない。それも立て続けに3度も……。
寝ても覚めても、その件が頭の隅にしつこく引っかかっているので、なにをしていても鬱々として楽しめない。
われながら、なんとちっぽけな器だろうかと情けないが、ふいに連絡が途絶えた相手が、十数年来親しく交信してきた新聞社のコラム担当者であり、しかも、別のもう1社からは打てば響くようなタイミングで、現役時代と寸分変わりのない懇切な返信が送られて来ているので、どうしても釈然としない。
まさかとは思うが、用済み人間は斬って捨てるつもりか?
賞味期限切れ人間はスマホやパソコンのアドレス帳から削除されるのか? ついでに、これまでの付き合いの痕跡は一括してゴミ箱へ放り込み、すべてはなかったものとしてさっさと利用価値のある相手に乗り換えるのか? おのれ、若造め!
われながら尋常とは思えない繰り言が際限なく湧きあがってくる。
陳腐な刑事ドラマのように、新聞を切り抜いた脅しのファックスを送り付ける。
刃物を持って職場に乗り込む。
帰路の闇に乗じて切り付ける。
物騒な妄想に支配された夜の眠りは浅かった。
全身から鉄アレイをぶら下げたような朝、浩一郎はハローワークへ出向いた。
会計事務所に依頼してあった閉業の後処理も終了しそうなので、過去にケジメをつけ、新たにパート仕事でも探して、心機一転、いちから出直すつもりだった。
夫婦ふたり、カツカツながら年金で暮らしていける目処は立っていることだし、零細とはいえ骨の髄まで社長業が身についている人間が、いまさら他人に、それも子どもか孫のような年下に使われるのは、さぞかしシンドイことだろうとは思う。
だが、生きている実感が、どうしても欲しかった。
資金繰りに追われていたころはないものねだり的に憧れた平穏な生活だったが、いざ実現してみると、スカスカのサトウキビのような虚無感がやりきれなかった。
朝から時間を持て余して、家には居たたまれず、かといって、スポーツジム以外に行くところはない。その唯一の居場所のジムでさえ、
――平日の昼間から無駄な健康づくりをして、いまさらどうしようというのか。
世間から咎められているような気がして、以前のようには楽しめなくなった。
見る見る精彩を失っていく木偶の坊に、妻が愛想を尽かしたのも無理はなかったかもしれない。浩一郎自身、不甲斐ない自分が情けなくて仕方がないのだから。
ボランティアやカルチャーセンターへの参加もわるくはないが、どちらも仕事に匹敵するやり甲斐は望むべくもない。わずか数時間でもどんな仕事でもいい、この手で働き、結果としての報酬を得て、生きている実感を取りもどしたかった。
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