第5話 68歳の求職者
「紹介状を書く前に、先方に連絡してみますね」
電話をかけてくれた担当者は、受話器を手で押さえ、
「年齢を訊かれたら、正直に答えてもかまいませんか?」
申し訳なさそうな小声で確認してくる。
「もちろんです。隠しても無駄ですし……」
釣られて声をひそめた浩一郎は、自分が置かれた状況が可笑しくなってきた。
――第1ステージもいろいろあったが、第2ステージもなかなか刺激的だな。
右隣の席では、長い髪を肩まで垂らした小太りの中年男が、同年輩の紺スーツの担当者の前で、折れはせぬかと心配になるほど、がっくりと首を垂れている。
左隣の席では、肌の浅黒い、国籍、年齢不詳の痩せぎすの女が、グレーのスーツの若い女性担当者にたどたどしい日本語で精いっぱいの自己主張を展開している。
「おたく、わかってる? 外国人の仕事、なんでもいいちゃうよ。危ない、汚い、安い、ノーサンキューだよ。外国人、仕事に命かけてるよ。頼んまっせほんまに」
「わかりました。わかりましたから、ね、ちょっと落ち着きましょう」
いまの浩一郎に言えた義理ではないが、派遣やら契約やら外国人やら、社会がますます多様化を深めている昨今、来る者拒まずで就職先を斡旋する業務に、達成感の類いは望めないようだ。
担当者の話では、電話口の3社とも、
「一応、履歴書を送ってみてください」
判で押したような返答だったらしい。
こちらに選択権がない以上、「一応」に引っかかっている場合ではない。
次の求職者の迷惑も考え、これ以上の長居は無用と退散することにした。
「これからはもっと長く働けるよう、社会の変化を期待したいですね。われわれの世代はギリギリ滑り込めましたが、今後は年金の受給だって覚束ないですし……」
最後にまたひとくさり余計なお世話を述べると、負け惜しみ、あるいは引かれ者の小唄と苦笑されるかなと思った担当者から、予想外のレスポンスがあった。
「おっしゃるとおりです。こういう仕事をしていますと、矛盾ばかりが目につきまして、かといって、われわれがなにをどうしてやることもできません。わたしの口から言うのもなんですけど、これでけっこう葛藤に満ちた仕事なんですよね」
ハローワークでここまで血の通った会話ができるとは思っていなかった浩一郎は、感情の昂ぶるまま、さらに日頃の思いを付け加えずにいられなかった。
「なんか、すみませんねぇ。はちきれんばかりに膨らんでいるわれわれ団塊の世代が社会の大荷物になっていて、支えてくださる次世代のみなさんにほんとうに申し訳ないです」
「…………」
図に乗ってお笑い芸人のような自虐ネタを口にした軽率を後悔したとき、ガバッと身を乗り出して来た担当者は、両隣を憚り、聞き取れないほどの小声で囁いた。
「うまくいかないことはとりあえずだれかのせいにしておく。それが自己責任という名の魔女狩りが幅を利かせる現代社会の常套手段ですから。同じメカニズムで、わたしどものように子どものいない夫婦にも風当たりが強まっている昨今、そうでなくても気を病む性質のわたしの妻などは相当に参っています」
官民あげての少子高齢化対策の蛮声に追い詰められた華奢な女性の翳が、一瞬、浩一郎の胸をよぎっていく。
「ですが、長い歴史のスパンで見れば、世代人口の多寡、子どもがいるいないに関わらず、みんなで持ちつ持たれつ順繰りに世話をし合っていくのが、本来の社会のあり方なわけですから。戦後日本の復興を支えてこられた畑中さんたちの世代も、どうか大威張りで次世代の世話になられてください」
椅子から立ち上がった担当者は、深々と腰を折って見送ってくれた。
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