第11話 同病相哀れむの図、か
翌日、大事をとって家で寝ていると、玄関のチャイムが鳴った。
腰は痛いし面倒だし、居留守を使ったが、いつまでもしつこく鳴っている。
仕方なく四つん這いで出てみると、昔、商工会議所の広報部で一緒だった元呉服店社長の中田欽一だった。たしか3年ほど前に倒産したはずだが、いまさら、なんの用だろう。
浩一郎の怪訝な顔を見て取った中田は、
「ちょっと近くまで来たもんだから、どうしているかと思いましてね」
言いながらもう、襟がくたびれた緑色のブルゾンを玄関に突き入れている。
「あいにく家内が留守なもんで、お茶も……」
浩一郎も曖昧に弁解しながら相手を観察する。
還暦前のはずだが、目の前の男はどう見ても70歳過ぎの老人にしか見えない。
傷ましい落魄ぶりに合わせ鏡を見せられているような嫌悪感が突き上げてくる。
「なに、風のうわさにね、店を閉じたと聞いたもんでね」
そうだ、思い出した、こういう下衆な言い方をするやつだった。
商工会議所の広報部時代にも、通俗なもの言いを好まぬ浩一郎の心中に頓着することもなく、手垢にまみれた通俗な冠詞や、知ったかぶりの四字熟語を連発しては得々と教養ぶり(あくまで本人基準の)をひけらかせたがるのが、虫唾が走るほどいやだった。
――こんなやつと同じ土俵に立たされてたまるか。
おぞましさに窄まった瞳孔は、都合よく、腰痛に因するものと解されるだろう。
「あたしはねえ、店がいけなくなってから、人情の裏表をいやというほど思い知らされましたよ。いいときは、こっちが呼ばなくても群がってくるくせに、いけなくなると蜘蛛の子を散らすようにいなくなる。いやはや人間とは浅ましいものです。あ、畑中さんも同じでしょ?」
「ええ、まあ……」
他者も自分と同じと信じて疑わない中田は、憮然とした浩一郎を格好のゴミ箱と思い定めたように、呉服店主らしい女言葉をネチッコクこねまわし、一方的に自分の鬱屈をまくし立て始めた。
「ずいぶんなことを言われましたよ。最初っから騙すつもりだったんだろうとか、人間性を疑うとかね。相手は債権者ですから、こっちはひたすら頭を下げつづけるだけでしたが」
「まあ、それは……」
「そう言っちゃあなんですが、債務といったって1社あたりにすればたかだか数十万円ですよ。個人ならともかく、企業にとっては痛くも痒くもない金額でしょう? そんなはした金で口汚く罵倒され、ときには尊厳まで踏みにじられたことがね、あたしにはどうしても許せないんです。復讐してやる夢をいまだに見るくらいで」
いやはや物騒な話になってきた。
浩一郎にしても、わずかな金のために保証協会の生意気な若造に平身低頭し、
「業界の平均的な数値はこれ。おたくの財務諸表はレベルが低すぎますよ」
えっらそうにふんぞり返って、自分で作成したわけでもないパソコンのグラフを傲然と提示され、あるべき経営について懇々と説教を食らったことがある。
あまりの傲岸不遜が腹に据えかねているときに夜の街で再会し、酔いも手伝ってヘナチョコ蚊蜻蛉のようなマンボズボンに本気で蹴りを入れてやろうかと思った。
あるいは、わざわざ窓口に呼びつけた、これまた息子ほどの融資担当者に、
「当方の顧客のABCランクで、御社は最下位のE。危ない企業枠なんですよ」
ネチネチ甚振られるなど、身体がふるえるような辱めを何度となく受けて来た。
しかし、それはそれとして、身体にの老廃物を放り出すような中田の恨み節は、借りた金を返さない、つまり「踏み倒した」側が口にしていい台詞ではあるまい。
ひと口に閉業といっても、倒産と解散では因って来たるところからして異なる。
似て非なるラインを取っ払って仲間扱いされるのは、甚だしく迷惑だった。
「でも、金を借りたのは、こちらですからねえ」
精いっぱいの皮肉も効果がなく、口角泡を飛ばす中田の興奮は頂点に達した。
「それよりもっと腹立たしいのはね、同じ釜の飯を食ってきた従業員連中ですよ。音沙汰がないのはまだいい方で、引き籠りになった息子に損害賠償を払えと四十路に足を踏み入れようという従業員の父親に怒鳴り込まれたときは、さすがのあたしもあなた、開いた口が塞がりませんでしたよ。放漫経営のせいだとトランプ紛いの強面で喚かれましたが、バブル期じゃあるまいし、いまどき、放漫にうつつを抜かせる経営者がどこにいますか? まったく時代錯誤も甚だしいですよ。ねぇ?」
――そうか。そのことを言いたくて、わざわざ訪ねてきたのか、この男は。
それを証明するように、渋々とうなずいて見せる浩一郎の相槌を確認するごとに、中田の表情は、物の怪がとれたように明るくなっていく。
言うだけ言って立ち去る身勝手さに呆れながらも、どこまで行っても交わることがない経営者と従業員の宿命に、浩一郎はあらためて嘆息したい思いだった。
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