第8話 東北の被災地産の段染め毛糸

  





 履歴書を郵送した3社のうち、面接の連絡があったのは1社だけだった。


 ――まことに残念ながら、今回の採用は見送らせていただくことになりました。貴殿のますますのご健闘をお祈りします。


 通り一遍の挨拶状と共に返送されてきた履歴書を細かく裂きながら、浩一郎は、


 ――不採用の場合、型通りの挨拶状は不要。履歴書だけを返送してください。


 現役時代、わざわざ念押しの電話をかけて来た応募者を思い出した。


 不採用の理由は、やはり年齢だろう。

 スポーツジムのインボディ測定で、体力年齢は40代と判定されている。

 当然、見かけにも自信がある。

 とにかく会ってさえもらえれば、まだまだ十分に働けることがわかってもらえるはずなのに、面接の機会すら与えてもらえないのではどうしようもない。


 いや、それだけではあるまい。

 小とはいえ一国一城の主臭さが身についた人間を雇う煩わしさが厭まれたのだ。


 浩一郎自身そのことをおもんぱかり、日常の所作にもそれとなく気を遣ったり、長年にわたって従業員にかけて来たので口癖になっている「ご苦労さん」を「お疲れさま」に言い換えるなどのトレーニングを積んできたつもりなのだが……。


 またしても疑心暗鬼が鎌首をもたげかけたが、絶望の縁を覗く前に思い直した。


 ――顔も知らない他者の心中をあれこれ推察してみたって、なんの意味もない。



 浩一郎の場合、こういうときの慰めはやはり手芸だった。


 妻の幸子はいやがったが、趣味に男らしさも女らしさもあるものか。

 尻の形に凹んだリビングのソファに胡坐をかいて座り、無心に指先を動かしていると、心に溜まった汚れや不安を毛糸が吸収してくれ、自分本来の魂魄と静かに向き合う時間がいつしか導き出されてくる。不思議と腱鞘炎の痛みも気にならない。


 鈎針や棒針を駆使して、1本の糸から平面を生み出す手編みも、あえてミシンを遣わず、さまざまな色彩や模様の端切れから、衣類や小物を出現させる手縫いも、荒ぶる心を鎮めてくれる作用が、どこか禅に似ているように思う。


 いま浩一郎が手に取っているのは、東日本大震災の被災地へのささやかな支援のつもりで取り寄せた、ウールとアクリルがほどよく混じった段染め毛糸だった。


 編み上げた毛糸がほんの少しずつ重みを加え、じわっと太腿や膝を温めていくたしかな手応えは、世間から石礫を投げられ、ボロボロに傷んだ心を包帯のように包んでくれた。


 ただ、少し気がかりなのは、今日はいつもと様子がちがうことだった。

 おそらく濃い藍色系を使用しているせいだとは思うが、妙に手許が見えにくい。

 鈎針も毛糸も輪郭が霞み、2本取りの1本を、ときどき拾い残しそうになった。

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